[エッセイ]困った法則
日曜日の朝、朝ごはんどうしよう。ご飯だけは炊けている。かと言って他は何もない。玉子すらない。
ご飯をつかって何か作れないかと考えてチャーハンでも作ろうかと思ったが、玉子がないのでやめた。代わりに思いついたのがドライカレーだ。
もちろんちゃんとしたドライカレーではなく、とことん簡単にしたなんちゃってのドライカレーである。具など何にもなくご飯を炒めながらカレー粉と塩コショウをふりかけテキトーに味付けして作る、インド人もびっくりの料理もどきだ。
ご飯はある、塩コショウもある、残るはカレー粉だ。カレー粉は袋入りのやつをパントリーで何度か見たぞ。
パントリー内で鶏ガラスープの素やらコンソメスープの素やらが置いてある場所に目星をつけて漁る。しかし出てこない、以前はここらで見たはずなのに。もう一度探す、けれども出てこない。代わりに出てきたのはいつ買ったかはっきりしないナツメグの袋であった。多分ハンバーグ用で買ったような記憶が脳ミソのどうでもいい領域の引き出しから微かによみがえる。
しかし肝心なカレー粉が見つからない。使わない時にはちょろちょろと顔を出していたのに。
捜索範囲を隣の乾物エリアに広げて探してみる。乾物エリアには春雨やらかつお節やらが並び、私も乾物でござい、とカレー粉もすまし顔で並んでいるかと思ったが見つからない。
奴はどこへ行った。あまりにほったらかしにしていたから怒って実家へ帰ってしまったか。
結局、朝ごはんにドライカレーという計画は頓挫してしまった。
いわゆる「あるある」というやつではあるのだが、いる時に限って見つからないことが往々にしてある。
今朝のような、いらない時にはあるのにいる時に限ってないという現象にも名前があるらしく、マーフィーの法則と言うそうだ。
探し物が見つからなくて困っている人をほくそ笑むような、なんとも地味にいやらしい法則ではないか。探し物がいらない時にはそっと身を潜めて、いる時には挙手して出てきてくれるなんて法則がある世界だったらどれ程良かったか。
こんな地味に性格の悪い法則がある程には、世界は少し歪んでいるということなのだ。
そしてこの法則のおかげで僕の日曜日にも初っ端から歪みが生じるのだ。
