日航123便――二つの隠蔽構造
1985年8月12日の日本航空123便墜落事故は、公式には「後部圧力隔壁の不適切な修理による破損」が原因とされている。
ネット上では公式発表を疑う様々な陰謀論が語られ、それに対して公式側は「根拠のない憶測」として切り捨てる構図が長く続いてきた。そうした対立を見ながら、一つの仮説を組み立ててみた。
本稿では、その仮説を整理する。
航跡が示す横田着陸の企図
事故機は垂直尾翼の大部分と油圧系統を失い、操縦がほぼ不能となった。
大月上空付近での大きな降下と旋回の後、機体は横田基地方面に接近している。
東京進入管制は「羽田も横田も着陸可能になっている」と伝え、横田側も支援を申し出ていた。
にもかかわらず最終的に北へ転進し、山岳地帯へ向かった。
この航跡を「制御不能による偶然の迷走」とだけ片づけるのは、強引に感じられる。
少なくともクルー側には、横田を現実的な着陸候補として意識していた可能性が高い。
高濱機長のスロットル制御技術
高濱雅一機長は、スロットルのみによる機体制御に優れた技量を持っていたとされる。
当時のロサンゼルス・タイムズには、上司へのインタビューとして、その点が記録されている。
油圧系統を完全に失った状態では、通常の操縦桿操作はほぼ不可能となる。
残された手段は、左右エンジンの推力差を使って機首方位を変え、全体の推力を調整して高度と速度を制御するという、極めて高度な技術である。
この技術に長けていたからこそ、大月上空での降下と旋回、そして横田方面への接近という航跡が残ったと見ることができる。
制御が完全に失われていたのではなく、限られた手段の中で一定の方向性を持った飛行が試みられていた可能性が高い。
公式記録の曖昧さ
公開されている管制交信と事故調査報告書では、横田が緊急着陸の候補として提示された事実は確認できる。
しかし「クルーが明確に横田着陸を企図し、ある程度制御を取り戻した上で積極的に向かっていた」とは公式に断定されていない。
CVRの応答も「Uncontrollable」が中心である。
結果として「制御不能の結果、偶然に航跡がそうなった」という説明に収束している。
この曖昧さが、不信の起点である。
二次災害回避という合理的判断
では、なぜ横田が事実上の選択肢から外れたのか。
最も強い動機として考えられるのは、二次災害の回避である。
制御不能状態の大型機が横田基地に墜落した場合、
- 基地内の軍用機・燃料施設への被害
- 在日米軍関係者や周辺住民への大規模な人的被害
- 火災・爆発による二次被害
のリスクは極めて大きかった。
山中に墜落するより、米軍の重要拠点に墜落する方が、被害規模も政治的衝撃もはるかに大きい。
当時の日本側関係者が、このリスクを強く意識し、「横田を積極的に使わせない」方向で動いた可能性は十分にある。
責任回避としての隠蔽
問題は、その判断の事後処理である。
「二次災害を避けるために横田着陸を積極的に進めなかった」という事実が公式に残れば、
- なぜ制御が不安定な機体を山岳地帯へ向かわせる結果になったのか
- 生存可能性をどう判断したのか
- 判断の責任者は誰か
という追及が避けられない。
そこで「制御不能の結果」という説明に収束させ、判断そのものを公式記録から消した――これが仮説の核心である。
合理的なリスク回避の判断と、その判断に対する責任回避がセットになっている。
二つの隠蔽構造
この事故には、少なくとも二つの隠蔽が重なっていると見る。
一つは、ボーイング側のものである。
747SRの高頻度運用に対する構造的な脆弱性や、1978年の尻もち事故後の修理ミスが、同型機全体や企業責任に波及することを避けようとした可能性である。
もう一つが、日本側のものである。
横田着陸を事実上機能させない政治的・組織的判断が存在し、その判断自体を責任回避のために隠蔽した、という構造である。
前者は機体の物理的原因に関わる。
後者は、事故後の意思決定と情報管理に関わる。
両者が重なることで、公式説明は「修理ミスによる不可抗力」に収束しやすくなる。
おわりに
二次災害の回避という判断自体は、当時の状況下では合理的であった可能性が高い。
しかし、その判断を公式に残さず、「制御不能の結果」として処理した点に、責任回避の意図を感じざるを得ない。
航跡は、高濱機長らが最後まで機体を制御しようと奮闘した痕跡を残している。
その奮闘の先に横田という選択肢が確かにあったことを、公式は十分に語っていない。
あくまで仮説にしか過ぎないが、この二つの隠蔽構造を前提に改めて公開資料と航跡を読み直す必要があると感じている。
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日本の危機を広く知ってもらうため日々noteで投稿しています。あわせて日本復活に必要と考えている新しい技術・産業についても書いています。