【メモ】堂々とはみ出す者たちへ
うちの近くには幹線道路もあるが、ほとんどは片側一車線ずつの広くはない道路だ。そこを昼夜問わず路線バスも網の目のように走り回っている。マイクロバスではない。12mあるフルサイズの横浜市営バスだ。
スーパーへ向かう途中、対向車線をバスがこちらへ向かってくる。バスの前にはハザードを付けて停車している乗用車。バスはセンターラインを大きくはみ出してくる。僕は減速しないとぶつかるのでブレーキを踏むしかない。それくらいシビアなタイミングで飛び出してくる。
普通、止まって待つのは”はみ出さなければ通れない”バスの方ではないのか。なぜ、ただ直進しているだけの僕が止まって待たねばならないのだ。バスはこちらを見もせず片手を上げてすれ違っていく。まるで「バス様に譲るのは当然だ」とでも言わんばかりに。
あれ? なんだこの感じ……。
他にも同じようなことがあるな。
ATMやレジの列で、わざとらしく「ああ、間に合うかしら」と声をあげるおばちゃん。大人しく並べ。間に合わなくて死ぬ事案はそう多くない。僕もうんこ我慢してるし。ま、譲ってあげるけどね。僕いい人なんで。
席が埋まった電車で人の前に立ち、重そうな荷物をこれ見よがしに見せつけてくる高齢の方。重いなら網棚に上げろ。そもそも自分が持てる量を把握できない知能なのか。ま、代わってあげるけどね。僕いい人なんで。
どう見ても一杯のエレベーターで、最後に乗ったくせにブザーが鳴っても「自分のせいじゃない」と言わんばかりに無視する子連れ夫婦。お耳が遠いのかしら。小銭が落ちる音には敏感なくせに。ま、代わりに降りるけどね。僕いい人なんで。
人に親切にするのは嫌いじゃない。自分が大きな損をしない範囲で、誰かが助かるのは悪い気がしない。なんならちょっとくらい損しても、誰かが享受する幸福がそれ以上なら、人類トータルプラスだ。
だが、譲られて当然という生き方をしている人はどうかと思う。そういう人たちはきっと誰かに譲ることはしない。いつも自分が他人に譲られて得をすることに慣れている。
本音を言えば、その意地汚い生き方をその場で小一時間詰めてやりたい。だがそれで僕が得するわけでもないし、空気を悪くする。そのうえそういう人は反省しない。場所を変えて同じことを繰り返すだけだ。
『神の車輪はゆっくり回るが、確実に粉をひく』
ヨーロッパに古くから伝わる諺だ。悪事を働いた者がその場を逃れたとしても、神の裁きからは決して逃れることはできないという意味だ。
卑しい生き方をする者は、いずれそれに相応しい人生を歩むこととなる。そう信じていれば、目の前の蛮行をいい人のふりしてやり過ごすことなど造作もない。
あ、僕……神を信じてないんだった。
神は見ずとも人は見ている。譲られるのが当然と思っている人へ、施しを続ける僕にもいつか幸運が訪れる。
僕の善行をたまたま清原果耶ちゃんが目撃し、告白してくる日がいつかやってくるかもしれない。
だから今日も僕は、譲る。
