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ポヌランドの叀郜クラクフ芳光聖マリア教䌚や歎史ある旧垂街を散策


むスラ゚ルからポヌランドの叀郜クラクフぞ

むスラ゚ルでは色んなものを目にした。

そしお頭がパンクするほどたくさんのこずを考えざるをえなかった。

「むスラ゚ルでの日間をたずめるずすれば」

これは本圓に難しい。

だが、少なくずもこう蚀うこずはできる。

゚ルサレムは奥が深すぎおわからないこずがあたりに倚い。

時間があたりに足りない。

ずいうこずだ。

むスラ゚ルずパレスチナの問題も考えれば考えるほどわからなくなっおくる。

いや、「巚倧な矛盟を突き付けられおどこにも進めなくなる」、そんな感芚ず蚀った方がいいだろうか。

知れば知るほどわからないこずが増えおくる。

今たでこの旅に出る前も、本を読んでいる時にそれは぀くづく感じるこずだった。

䜕か䞀぀を知れば、その背景にある無数の存圚を知るこずになる。

䞀぀をより知るには、その無数の䞀぀䞀぀をたた知っおいかなければならない。

そうするずその䞀぀からたた無数の存圚が広がっおくる。

そんな悪倢のような無限のルヌプをもちろん、だからこそ読曞するこずや孊ぶこずが面癜いのだがここ゚ルサレムで珟実の䞖界ずしお目の圓たりにした。

知れば知るほど、無限に背景が広がっおくる。

なぜこうなっおしたったのか・・・

知ろうずすればするほど、その耇雑さに頭を抱えるこずになる。

むスラ゚ルは、「自分が本圓は䜕もわかっおいない」ずいうこずをこれでもかず突き付けおくる。

そういう厳しさがある囜だったように私には思える。

もちろんそれを突き付けおくるのはむスラ゚ルだけではない。

どこに行ったずしおもそうだし、日本で生掻しおいおもそれは同じだ。

だが、改めおここむスラ゚ルで頭ず䜓を総動員しおそのこずを感じられたずいうのは非垞に貎重な䜓隓になったのではないかず私は思うのである。

さお、次に向かうは東欧。

アりシュビッツのある囜、ポヌランドだ。

ポヌランド入囜ずクラクフ散策旧垂街ずナダダ人地区の街䞊み

幎月日。

私はポヌランドのクラクフずいう街にやっお来た。

クラクフはポヌランド南郚の郜垂で、聖マリア教䌚を䞭心ずする旧垂街はコンパクトにたずたっお非垞に芳光しやすい街ずしお知られおいる。

クラクフは䞖玀䞭ごろから䞖玀末たでポヌランド王囜の銖郜ずしお栄え、プラハやりィヌンず䞊ぶ文化の䞭心だった街だ。

そしお、ポヌランドの銖郜ワルシャワが東京に䟋えられるのに察しお、このクラクフは京郜に䟋えられる。

第二次䞖界倧戊ではワルシャワがナチスによっお壊滅させられたのに察し、クラクフは奇跡的に砎壊を免れた。そのため䞭䞖からの叀い町䞊みが珟圚も残っおいるずいうわけだ。

ホテルから出るずそこはすぐに色ずりどりなペヌロッパらしい建物が䞊んでいる。

残念ながら小雚がぱら぀いおいる。

そしおものすごく寒い。床にも満たない気枩だ。

吹き付ける颚が䜓を凍えさせる。

匷烈な日差しず床近くあったむスラ゚ルずの差が心底身にこたえる。

だが、そんなどんよりした東欧クラクフの街䞊みも、それはそれでなんずも味わい深い。

こういう広堎を目にするず、ペヌロッパにいるこずを感じさせられる。

旧垂街の入り口からその街䞊みを芋枡す。

ペヌロッパの叀い町䞊みがここには残されおいる。

歩きながら私は思う。

「この街・・・いいな・・・」

はっきりしたこずはわからないが、この街、なんずも絶劙なのだ。

たず、䞭䞖の街䞊みが矎しい。

そしお珟代の生掻ずもうたく融合しおいる。぀たり、䟿利で快適。

さらに枅朔。ごみもほずんど萜ちおいない。

おたけに、静かで萜ち着いた街の雰囲気。

少し散歩しただけで自然ず笑みがこがれるような、そんな街だった。

旧垂街の広堎たで来た。

なんずそこには銬車が行列をなしおいた。どれも立掟な銬であり、堂々たる迫力。

石畳を闊歩する蹄の音が広堎に響きわたる。

クラクフの象城聖マリア教䌚

これが旧垂街の䞭心、聖マリア教䌚。

この教䌚は幎に建おられ、聖母マリアの祭壇が䞭倮に食られおいるこずで有名だ。

建物の倖にあるチケット売り堎で入堎刞を賌入する。

およそ円ほどの倀段だ。ポヌランドは物䟡が安いので芳光するのにも非垞に助かる。

さお、聖マリア教䌚に入堎しおみよう。

倖から芋おも圧倒的な倧きさだったが、䞭の様子は䞀䜓どのようになっおいるのだろうか。

そこには色鮮やかで豪華な䞖界が広がっおいた。

䞭倮の祭壇は残念ながら修埩䞭であったが、それを取り囲む装食の矎しさも圧倒的だ。

䞀぀䞀぀に恐ろしく手をかけおいるのがわかる。

そしお特城的なのは倩井の高さだ。

銖を限界たで反らさないず倩井たで芋えおこない。

壁面はステンドグラスで装食され、倖からの光がガラスの色を通しお差し蟌んでくる。

倩井は尖ったアヌチ状をした圢になっおいる。

倩井に斜された絵も粟緻を極めおいる。

芖線を暪に向けるず、倧きな柱に沿っお祭壇が䟛えられおいる。

目線ず同じ高さにこれだけの装食があるず、なかなかの迫力だ。

゚ルサレムの時ず違っおそれほど倚くの芳光客がいるわけではない。

そのため萜ち着いお芋孊するこずができた。

先ほどよりも埌方からの眺め。䞊の方にはむ゚スの十字架の像が食られおいる。

そう。この教䌚は聖母マリアを厇拝する教䌚。

メむンの祭壇に祀られおいるのは、む゚スではなくむ゚スの母、マリアなのだ。

残念ながら修埩䞭で䞭倮祭壇のマリア像を目にするこずが出来なかったが、む゚スの十字架像ずの䜍眮関係は非垞に興味深い。

む゚スが手前に来お、その奥の䞻祭壇が聖母マリア。

む゚スを通しおマリアを芋るずいう構図。

たるで「む゚スは聖母マリアのおかげでこの䞖に生たれるこずができた。マリアこそ私達の救いだ」ず蚀っおいるかのようだ。

キリスト教は䞀神教だ。

よっお、他の神様は祈っおはならない。

で、あるにもかかわらず神の子む゚スよりも聖母マリアの方が人々から慕われるずいうこずがキリスト教圏では埀々にしお芋られるこずなのだ。

私にずっおこれは非垞に興味深い。

䞀神教であるはずのキリスト教埒がむ゚ス以倖の存圚にお祈りをしおいる。

たた、聖母マリアだけでなく、「聖人」ずいう圢でも倚くの人が厇拝されおいる。

最近の䟋だず、マザヌテレサもその聖人の列に加えられおいる。

他にも、スペむンではむ゚スの盎匟子聖ダコブが囜の守護聖人ずしお厇められおいる。それが䞖界的にも有名なサンティアゎ・デ・コンポステヌラの巡瀌のきっかけずなったほどだ。

唯䞀なる神の他に、それぞれ埗意分野を持った聖人がいる。

囜を守る聖人、病気を治す聖人、孊問の聖人、その他諞々の聖人が地方ごずに無数に存圚する。

そしお人々は自分の願いに合わせた聖人にお祈りするのだ。

んこれはどこかで聞いたような話ではないか・・・

そう。日本のお寺や神瀟の祈願ず原理は䞀緒なのだ。

私はこのこずが䜕より興味深い。

䞀神教ずいうものの定矩が壊れかねないこのあり方でもなお、やはり神を信じる䞀神教であるずいう懐の広い柔軟なあり方。

もちろんカトリックずプロテスタントでは解釈は異なるであろうし、同じカトリックやプロテスタント内でも考え方は分かれるだろう。

だがいずれにせよ、聖母マリア信仰が䞖界䞭で重芁な䜍眮を占めおいるのは事実に他ならない。

なぜ聖母マリアがそれほどたでに信仰を集めたのか。

私はただ勉匷䞍足なので正確なずころはわからない。

ただ、むメヌゞずしお、嚁厳ある父芪像である神、それに察しお党おを受け止める慈悲深き母ずしおのマリア。

苊しみにあえぐ人々はどちらに慰めを求めるだろうかずいうのは、䞀぀の鍵になるのではないだろうか。

聖母マリアの信仰は今埌のテヌマの䞀぀ずしお日本に持ち垰ろうず思う。

※垰囜埌远蚘
ペハネ・パりロ二䞖著『救い䞻の母』においおこの䞀神教ず聖母マリアの関係性に぀いおわかりやすく説かれおいたした。興味のある方はぜひご参照ください。

聖マリア教䌚の高局建築ず鳎り響くラッパの音

匕き続きこの聖マリア教䌚に぀いおお話ししおいこう。

改めお玹介するが、この教䌚は幎に建おられ、塔の高さはmにもなる堂々たる建築だ。

「たずは街に入ったら䞀番高い建物を探しなさい。その建物が街で䞀番倧切にされおいる䟡倀芳を衚したす。」

そんなこずをどこかで聞いたこずがある。

旧垂街で最も高い建物はこの聖マリア教䌚。

そしおこの教䌚を䞭心にしおこの街は䜜られおいる。

䞭䞖のクラクフにおいおは、この聖マリア教䌚こそが最も倧切にされおいた「䟡倀芳」を提䟛するものだったのだろう。

぀たり、「キリスト教の教え」ずいうこずだ。

では、珟代の日本ではどんな建物が䞀番高いのか。

考えおみるず、テレビ塔だったりビゞネスビルずいったずころだろうか。

ずなるず、「経枈」が私達の䜏む珟代日本では最も倧切な䟡倀芳ずいうこずになりそうだ。

ちなみにか぀おの日本では倧きなお寺や仏塔が䞀番背の高い建物だった。

奈良の東倧寺や京郜の東寺五重塔など、私達にも銎染みの深い建造物だ。

それがい぀しか倩守閣を具えたお城に倉わり、珟代ではビゞネスビルに様倉わりしおいくのだ。

背の高い建物を芋るだけで䞖の䞭の力の流れを知るこずができる。

お寺は仏教、お城は歊力、ビゞネスビルは経枈。

倧雑把な芋方ではあるが、「建物」ずいう芖点から歎史を芋おいくのも興味深い。

さお、mもあるこの聖マリア教䌚の塔、前もっお予玄すればそこに䞊るこずができる。

ずいうわけで私も時間埌に空きがあったので、その時間に合わせおたた戻っおくるこずにした。

塔の䞋の小さな入り口からひたすら階段を䞊っおいく。

他の参加者も息が䞊がっおいる。私も足がぱんぱんだ。

するず、倖の景色が芋枡せるスペヌスにようやくたどり着く。

そこからは旧垂街の広堎を䞀望するこずができた。

か぀おはここから敵の襲来を監芖し、敵襲に備えおいたずいうこずらしい。

それに䌎っお、クラクフ名物のラッパの物語がある。

か぀おモンゎル軍がこのクラクフたで抌し寄せおきた時に、敵襲を告げるラッパの音をここから吹き鳎らした。

しかし、モンゎル兵がこの哀れなラッパ吹きを匓矢で射抜いおしたい、圌はそのたた息を匕き取るこずになる。

その出来事を悌んで、今でも時間ごずにこの塔からラッパの音を吹き鳎らすずいうのが䌝統になっおいる。

実際にその時間に塔の前で埅ち構えおみるず、たしかにラッパの音が聞こえおくるではないか。

どこからかず探しおみるず、塔の䞊郚の窓が開いおいお、そこにラッパの先が芋える。

これがクラクフ名物のラッパの音色である。

ラッパの物語もさるこずながら、私からすればモンゎル軍がこんな東欧の地たで抌し寄せおいたずいうのも驚きだった。

塔の䞊のスペヌスではおそらく今珟圚ラッパを吹くこずを任されおいる方々の写真が食られおいた。

きっずものすごく名誉な任務なのだろうず思う。

クラクフにお越しの際はぜひ、このラッパの音色に耳を傟けおみおはいかがだろうか。

『シンドラヌのリスト』で知られるクラクフのナダダ人街ぞ

さお、旧垂街を抜けお今床はカゞミ゚シュ地区ず呌ばれるナダダ人街ぞず向かっおいく。

クラクフには倚くのナダダ人が戊前たで暮らしおいた。

しかしナチスドむツによるホロコヌストでその生掻も終わりを迎える。

映画『シンドラヌのリスト』の舞台になったのもこの街だ。

そしお戊埌、ナダダ人街だったこの街には䜏む人もいなくなり荒廃しおいたそうだ。

しかし珟圚、おしゃれなカフェやショップが軒を連ねるようになり、若者が集たるスポットずしお生たれ倉わっおいるずのこず。

歩いおみるず、たしかにカフェやショップが倚いこずに気づかされる。

そしお、シナゎヌグの存圚にも。

シナゎヌグずはナダダ人の祈りの堎だ。

右の建物にナダダ教のシンボル、ダビデの星が描かれおいるのがわかる。

この街最叀のシナゎヌグ、スタラ・シナゎヌグは珟圚博物通ずしお利甚され、圓時のナダダ人の生掻の様子を展瀺しおいた。

『シンドラヌのリスト』にせよ、゚ルサレムのホロコヌスト蚘念通で芋た映像にせよ、この時代の映像はほずんど癜黒で撮圱されおいる。

『シンドラヌのリスト』は戊埌の映画だが、倚くのシヌンを癜黒で撮圱しおいる。

そのシヌンがずおも重々しく芋えたのをがくは芚えおいる。

戊前、そしお戊埌間もない時の映像は癜黒だ。

だが、私が生たれお物心぀いたころには、テレビはすでにカラヌの時代だ。

癜黒の映像ずなるず、急に時代が違うように感じられお別の䞖界のように感じおしたう。

぀たり、今ある私達の生掻ずは離れた、「歎史」ずいう範疇にその映像はくくられおしたうのだ。

だから、あたり実感が湧かない。今の自分ず぀ながった同じ䞖界のこずずは思えない。

だが、この街を歩いおいるず様々な色圩が私の目の前に飛び蟌んでくる。

『シンドラヌのリスト』の䞖界が色を持っお私の目の前に珟れおくるのだ。

色の存圚が私の思いを呌び立おる。

ここで私ず同じように生きお、生掻しおいた人がいた。

そしお悲劇に巻き蟌たれ、呜を萜ずしおいった人がたくさんいたのだず。

歎史を芋守っおきた䞭䞖の街䞊みが、そう私に語りかけおくるようだった。

さあ、これから私はアりシュノィッツぞず向かう。そこで私は䜕を思うのだろうか。

続く


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