「忘れた」ってなに?
話題になっているこれ。
要約すると、結婚当時は夫の不備や会話から逃げる姿勢に原因があると考えていたが、自身の対話スタイルにも過ちがあったと自覚する話。
夫のミスに対して「なぜ」「どう改善するのか」と理詰めで問い詰め、夫が謝罪や限界を示しても、自身がロジックとして「納得」するまで何時間も追及を止めなかった。
当時は建設的な議論のつもりだったけど、結局自分の正しさと納得を強要していたことに気づき、一方的に責め立てていたことが夫婦関係を壊した要因の一つだったと気づいた、と。
読んでいて、これ私だ、と思った。
たとえば、「忘れた」と言われて、「なぜ?」と返す。
「なぜ」と言われたほうは、理由を聞かれたのではなく責められていると感じるのだろうけど、言っているほうは単純に「なぜ?」と思っているのだ。
謝ってほしいわけじゃない。
原因がわかれば次に対策することができるから、同じ過ちを繰り返したくないから、その一歩目として「なぜ」と訊いているに過ぎない。
だから、この増田の心理がすごくよくわかる。
責めたいのではなく、たんに知りたいだけなのだと。
あと、曖昧な状態に耐えられないから質問攻めにする、というのもある。
「わからない」「覚えていない」「説明できない」
答えのハッキリしない状態に耐えられないから、自分の「納得」のためにどこまでも質問する。
わかりすぎる、これ、自分だ。
ただ、私はここまで徹底的にやることはない。
わからないってことがあるかよ、お前のことだろ?と心の中では思っているが、仮に原因がわかったとて、それまでに費やす時間と労力が無駄だな、とすぐ切り替えてしまう。
言葉は悪いが、「もう次行こ、次」なのだ。
それに、答えを待つことが、相手に解決策を委ねる不安定な感じがして嫌だというのもある。
自分で考え、自分で決めて、「今度からこうするね」と言ってしまったほうが楽だし。
年を取ると寛容になれるよね。
何かしようと思って立ち上がった瞬間に、「あれ?なんで今立ったんだっけ?」ってことがしょっちゅうある。
人の忘れっぽさなど非難できようはずがないのだ。
でも、心の中では常にPDCAが回っていて、アセスメントしてプランを立てて、というのは習い性のようなものだ。
そういう身からすると「わからない」というのは、あまり聞きたくない言葉ではある。
「で、次どうする?」と、すぐ思ってしまうのだ。
