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戦略・作戦・戦術、について

1 序 言



2 Levels of warという概念

いわゆる戦争の階層という整理区分は、古くは古代ギリシャ語のストラテゴスとタクティコスといった区分に始まり、戦略と戦術や大戦術といった形の2階層であった時代がほとんどでした。
これが第二次世界大戦でのソ連軍によるトリアンダーフィロフ、スヴェーチン、そしてトハチェフスキーらによる縦深作戦の結実に至る過程での作戦術の発想や、ベトナム戦争で戦術的成果を得つつも最終的には撤退した米軍による反省とエアランドバトル構想の立案という東西それぞれでの発展により、作戦術という思考様式が作戦アプローチという手法で定式化され、その定式の前提条件として戦略、作戦、戦術の3層構造が用いられるようになったと解しています。



なお、片岡徹也によれば明治期の日本海軍でも、作戦ではなく戦役という語があり、戦争、戦役、会戦の3層構造が定義されていた、との記述があるので、何層にするのが適切かの議論は脈々と続いていたとするのが適切だと思います。

※これ以上突っ込むと沼るので閑話休題

​3 戦争を次元で区分する意義

さて、問題はこの3層構造という理論付けの持つ意義だと思います。
私見ですが、こうした作戦術に連なるあらゆる理論は、究極のところ実学である「How to win」を支える論拠でしかなく、戦争という社会現象を解明するための理論としてはまだまだ不十分なものだと考えています。

現代では、こうした作戦術的視点での戦史分析が盛んですが、それはあくまでも特定の視座から分析した場合、このような結果となる、というだけに過ぎません。
物理学で言えば、ニュートン力学で分析していた事象を量子力学で分析し直すとこうなります、といった具合でしょう。

また、戦争は定理を有する自然科学ではなく、人間同士の相互作用である社会科学の領域だと考えます。このため、定理や公理を導出することはできず、事例が新たに加われば理論が常に変容する分野です。

こうした中でも、一定の共通理解を生み出すためのツールとして、戦争という巨大な事象を分割する視座としての3層構造という理論の有益性は大であると考える一方、上述したようにあくまでも実学の延長線上での視座であることは認識しておくべきと考えました。

4 戦略的失敗と戦術的勝利

​さて、この戦術レベルでの成功で戦略レベルの失態をカバーできるかという問題ですが、理屈上はあり得るものの、実例としてはほぼないのが答えかと思います。

​他方、その階層間の関係性については、上記2図それぞれにあるように、重複していると捉えるのか、連接していると捉えるのかに議論があります。
連接しているとした場合、理論上も戦術の成功は作戦次元にも全く影響し得ないということになります。また、重複の場合でも、重なっている領域にしか影響を及ぼし得ません。このような切り分け方の場合、戦術次元での成功は失敗している戦略次元へ影響しないと明言できます。

​上記の場合は、戦略的成功を戦術的成功が助長する(西方電撃戦)、あるいは戦略的に成功していても失敗する戦術(米軍の嘉数攻撃)や、戦術では成功していても失敗する戦略(ベトナム戦争)があり得ますので、一方的関係性と言えます。

​なお、この手の戦術で戦略環境を逆転されたとする論拠でよく出る桶狭間での織田信長ですが、あれは桶狭間という戦場の設定とその戦場での決戦ができるようにする情報網の整備など、作戦レベルでの成功が前提にあってこそだと考えます。

5 異なる捉え方(私見)

​他方、私は一部上記階層構造とは別の形もあり得るのではないかと考えています。
それは、添付図のように地形的広がりの中、戦略の範囲内に戦役(作戦)が、戦役の中に会戦(戦術)が包含されているという考えです。


​こうして見たときには、戦術上の成功は戦略に直接的な影響を及ぼします。

このように戦術の成功が戦略にも影響し得るという理論的基盤を整えた上で、現実としてそれが厳しい理由についてです。

​まず、戦術が用いられる場面、即ち会戦や交戦はなぜ生起するのかという話です。つまり、作戦上の要求からその場面は生起するのであり、失敗または成功している作戦の延長線上にその戦術は現れます。
この際、あくまでも延長ですから、当該戦術は作戦の中で成否について検討がされているはずです。

こうした時、期待値が作戦の成否に直結するのであれば、そのための作戦上の準備が周到になされるはずですので、そうでないなら、それは成功したとしてもそこまで作戦に影響しないと判断されていると見るべきでしょう。

6 “戦略”の持つ意義

大前提ですが、戦略を策定することだけで戦争に勝てる、とは私は考えてはおりません。

ベトナム戦争当時での米国の戦略(ここでは戦域戦略ではなく国家戦略を想定しています)が東南アジアの赤化の阻止にあったとすれば、その政治目的を達成できなかったという点では戦略の失敗と言えます。

他方、その戦略の失敗、とは、戦略を履行する段階での軍事的行動の不備(よく言われる“作戦”の不在)であり、履行の不備と言えます。

逆に、北ベトナム側は米国の戦域レベルが国家戦略であり、それは政治目的と直結した軍事行動を包含した戦略と言えます。
そういった観点で、戦略が不在でありつつも勝利した、とは到底考えられません。

ホーチミンもグエンザップも政治的及び軍事的に優れた戦略を立案、履行できた故に彼らの勝利がある以上、私は、戦略を立案することなく、作戦と戦術が優れるものはないと考えます。

私が本項の冒頭で述べた、戦略だけでは勝てない、というのは、プロダクトとして印刷された戦略とその内容の美醜をもって戦争に勝利できるわけではない、という意味であり、またそうした生成物のみを称賛する(所謂コンサルタント的な)方々にあまりいい思いはしない、という意味です。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、ではありませんが、戦略の観点での優劣は勝敗を予測する大きな要素であると思います。

7 作戦術の持つ意義

ここで言う作戦術、とは作戦次元で適用される術、という訳ではなく、各階層を繋ぐ橋渡し的なものと捉えてください。(作戦術そのものについてはまた別の投稿で取り上げたいと思います。)

どのような形であれ、LEVELS OF WARがあるという前提の下で、その階層間をどう繋ぐか、こそが作戦術(Operational art)をはじめとする軍と政府の各級指揮官の仕事である、と考えれば、Layerがどういう構造を取っているか、はあまり気にしなくてよいのではないかと考えています。

逆を言えば、思考法が確立されてれば、どのような階層構造であろうが、どの階層間だろうが、“繋げる”ことはできると思うのです。

他方、“その階層の中で上手くやる”ことは階層構造次第では多数の思考法を必要とし、構造をどのように理解するか、が極めて重要になると思います

8 結 論

​こういったレイヤー毎の意思決定要領の差というのは一見分かりやすい説明ではあるものの、いわゆる「3ブロックの戦争」や戦争の次元が入り交じるような戦いへの対応という視点からは、明確な切り分けが果たしてできるのかという疑問を抱かせる訳です。

とはいえ、現場にそういった作戦術を学ばせる事もまた頭でっかちの上層部が抱く理想でしかなく、現実的ではない訳です。