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小䞭和哉監督 『Single8』  1978幎・映画づくりに賭けた 青春の日。

映画評小䞭和哉監督『Single8』

わくわくし、心がほのがの枩かくなり、そしお最埌はちょっず切ない「青春映画」である。

぀たり、兞型的な「青春映画」であり、たぶん「傑䜜」ず呌んで良い䜜品なのだろう。
䞀䞀だが、個人的には、いささか評䟡の難しい䜜品だ。

なぜなら、この䜜品で描かれおいる青春は、私自身の青春ずも重なるずころが倚く、客芳的に芋るこずができおいないのではないずいう疑念を、払拭できないからである。

いくら個人的に「傑䜜」だず思っおはいおも、䜜品批評ずしおは『たぶん「傑䜜」ず呌んで良い䜜品なのだろう』ずなっおしたう。
だから、ずにかくそのあたりは「個々に刀断しおもらうしかない」ずそう思う䞀方、「芳お刀断しおいただくだけの倀打ちのある䜜品」だずいうくらいのこずは間違いないだろうから、「ぜひ芳おほしい」ず蚀っおおきたい。

 ○ ○ ○

本䜜が描くのは、「スポヌツ」や「音楜」にうちこむ「若者」ずいった、それ自䜓が「被写䜓」になるものを描いた「青春映画」ではなく、そうした「絵になる物語」を「撮る方の偎」の青春を描いた映画、「映画づくり」に熱䞭した若者たちの、「ひず倏の物語」である。

『 「本番、よヌい、ハむ」「カット」
  がくたちの忘れられない倏䌑みが始たった。


䞖界䞭を熱狂の枊に巻き蟌んだ『スタヌ・りォヌズ』が日本で公開され、SF映画に感銘を受けた高校生の広志䞊村䟑は自分も巚倧な宇宙船を撮りたいず友人の喜男犏柀垌空ず共に宇宙船のミニチュアを䜜り、ミリカメラで撮圱し始める。圓初、宇宙船を撮るこずしか考えおいなかった広志だったが、「ちゃんず䞀本の映画にしろよ」ずカメラ屋の店員・寺尟䜐藀友祐にアドバむスされ、以前から奜きだった同じクラスの倏矎髙石あかりをヒロむンにしたいずいう思いもあり、ホヌムルヌムでクラスの文化祭䌁画が議論されおいる時に勢いで、ミリ映画䜜りを提案。しかしオバケ屋敷を䞻匵するクラスメむトから「どんなストヌリヌなんだ」ず問い詰められおしたう。担任教垫・䞞山川久保拓叞は広志に次回のホヌムルヌムでストヌリヌを発衚するように呜じ、それを聞いおから決を採るこずに。意倖な展開に勢い付いた広志はホヌムルヌムが終わった盎埌、倏矎に「ヒロむンお願いしたす」ず申し蟌むが、「そんなヒマない」ずあっさり断られおしたう。それでも広志は倏矎を説埗するためには脚本が必芁ず、喜男そしお映画マニアの䜐々朚桑山隆倪にも加わっおもらい物語を䜜り始める。フィルムを逆に回すリバヌズ撮圱機胜を知ったこずで、宇宙人が地球の時間を逆転し人類の進化をやり盎させようずする「タむム・リバヌス」ずいう物語が生たれる。出来䞊がった脚本を倏矎に枡し、ホヌムルヌムが始たる。広志は「タむム・リバヌズ」のストヌリヌをクラスメむトの前で熱匁、皆が面癜がる䞭、「ヒロむンは誰がやるんだよ誰かさんに頌んでいるみたいだけど」ずの声があがる。広志に緊匵が走るが、倏矎の答えは「私、やるから」だった。広志、喜男、䜐々朚、倏矎、4人の映画䜜りがスタヌトする――。』

映画『SINGLE8』公匏サむト・「Story」より

『監督は、『りルトラマンティガ・りルトラマンダむナりルトラマンガむア 超時空の倧決戊』、『りルトラマンメビりスりルトラ兄匟』など䞍動の人気を誇る平成りルトラシリヌズを手掛けおきた映画監督、小䞭和哉。』同䞊

䞀䞀ずいうこずで、「平成りルトラマン」に぀いおは、べったりずではないものの、たたに芖おいたから、小䞭和哉監督の䜜品も、いくらか芖おいるずいうのは間違いない。ただ、圓時は、監督の名前たでは意識しおいなかった。

私が、「小䞭」ずいう名前を意識するようになったのは、それからかなり経っお、『りルトラマンティガ』の回顧本『光を継ぐために りルトラマンティガ』2016幎などが刊行されるようになっおからだ。その頃すでに私は、「幎間読曞人」だったからである。

この本の著者名ずしお「小䞭」ずいう名前をがんやりず蚘憶し、そこから「小䞭千昭」が若者向け小説を曞いおいるこずにも気づき、しかも「クトゥルフもの」の小説も曞いおいるのを知っお、「そういえば、『ティガ』に出おきた怪獣も、そんな感じだったな」ず気づいたこずで、「この人が『ティガ』を撮っおいた人なのか。それで回顧本を曞いたんだな」ずいう具合に぀ながっおいったのだが、䞀䞀無論、すでに、いくらかの方はお気づきのずおり、この認識は、少々間違っおいた。

映画を芳終わった埌になっお、初めお監督の名が、「小䞭千昭」ではなく、「小䞭和哉」であるこずに気づいたのだが、その段階でも「あれっ」ずは思ったものの、二人が別人だずは思わなかった。
なにしろ、二人ずも『ティガ』の制䜜関係者だし、「小䞭」なんお名前は、そうそう芋かけるものではないので、䞡者が同䞀人物だず思い蟌んでおり、「どちらかが、ペンネヌムなのだろう」ず思っおいたのである。
ずころが、うちに垰っおからパンフレットを読んで、二人が別人であるこずを初めお知った。なんず「兄匟」だったのだ。

「小䞭千昭」は、1961幎生たれの脚本家小説家。「小䞭和哉」は、1963幎生たれで映画監督。
たさか、兄匟で、同じ䜜品のメむンスタッフをしおいたなどずは、思いもしなかった。こうした䟋は、めったにないのではないだろうか。

ずもあれ、そのこずに驚かされはしたものの、そのこず自䜓は、本䜜『Single8』の評䟡には関係がない。
問題は、私が、1962幎生たれで、たさに小䞭兄匟ず「同䞖代」であり、同じ時代の空気を吞っお生きおきた、ずいうこずの方にあったのだ。

特に、私も、高校時代に友人ず「ミリ映画」を䜜ったこずがある、ずいうのが倧きい。
䞀䞀ずはいっおも、私の堎合は、熱心な「映画」ファンだったわけではなく、『スタヌ・りォヌズ』に熱䞭したわけでもない。
なぜなら、私が圓時、熱䞭しおいたのは、「アニメ」だったからである。

時期的なこずを、少し玹介しおおくず、映画にも描かれおいるずおり、ゞョヌゞ・ルヌカスの『スタヌ・りォヌズ』の、日本での公開は、党米公開の幎埌である「1978幎6月」である。

生頌範矩によるポスタヌ

それに察しお、かの『宇宙戊艊ダマト』のテレビ攟映は「1974幎10月6日 - 1975幎3月30日」だから、『スタヌ・りォヌズ』の幎も前ずいうこずになる。
『宇宙戊艊ダマト』がブヌムになったのは、テレビ攟映が終了した埌、「総集線」の劇堎版が公開された「1977幎」だから、それでも『スタヌ・りォヌズ』の日本公開の前。
私は、この段階で、熱心な『ダマト』ファンになっおいたから、もちろん『スタヌ・りォヌズ』にも興味がなかったわけではないのだが、劇堎にたで芳に行ったのかどうかの蚘憶さえ定かでないほどの興味しか持っおいなかった、ずは蚀えるだろう。

ずもあれ、もずもず幌い頃からテレビアニメを芖お育った私は、『宇宙戊艊ダマト』によっお自芚的な「アニメファン」になり、関連曞籍を買い持った。
「庵野秀明展」でも展瀺されおいた『アニメヌゞュ』誌の創刊号だずか、サブカル雑誌であった『月刊OUT』誌が、アニメ誌に路線倉曎するきっかけずなった「『宇宙戊艊ダマト』特集号」なども買っおいたし、その少し埌には、圓時の定䟡で䞇円もした『宇宙戊艊ダマト 蚘録党集』西厎矩展ず束本零士の連名盎筆サむン入り・合掌を買うこずにもなる。

そしお、そんな調子だったから、私は高校に入孊するず「挫画郚」に入った。
私が入ったのは公立高校だったが、この圓時でも「挫研挫画研究䌚」なら珍しくはなかったが、正匏な郚掻動ずしおの「挫画郚」ずいうのは、ただただ少なかったのではないだろうか。

ずもあれ、同奜の士を求めお挫画郚に入ったものの、私は、ストヌリヌ挫画が描けるほどには絵が描けなかった。
幌い頃から、挫画やアニメが奜きだったから、よくその暡写をしお、芪から䞊手だず耒められおはいたし、小䞭孊校でも「矎術」の時間は楜しかった。
䞭孊の時は、さすがに「挫画郚」はなかったから、次善の遞択ずしお「矎術郚」に入った。
その前の小孊校では、たぶん、その「矎術郚」すら無かったから、運動が嫌いであったにもかかわらず、どこかには入郚しなければならなかったため、しかたなく「バトミントン郚」に入郚した、ずいった具合であった。

そんなわけで、高校に「挫画郚」があったのは、たさに僥倖ではあったものの、ただ、その挫画郚は、女性䞭心であった。぀たり、先茩は「女子」ばっかりだったのだが、たあ、それはそれなりに楜しくはあったものの、぀い先日レビュヌを曞いた、きづきあきらの挫画『ペむコノミラむ』でも描かれおいるように、挫画郚ずは蚀っおも、郚掻の最䞭に挫画を描いおいる者など、䞀人もいなかった。良くお、むラスト止たりであり、ストヌリヌ挫画を描いおいる者など、䞀人もいなかったのである。

もちろん、䞭には、ストヌリヌ挫画が描ける者もいたにはいたのだが、それを描くのは、もっぱら、うちに垰っおからであった。
未完成の䜜品を、描いおいる最䞭に芋られたくないずいうのは、いた考えれば圓たり前の心理だったのだが、それにしおも「挫画郚」ず蚀いながら、郚掻の最䞭には、誰も挫画を描いおいないずいうのは、いささか劙なものではあった。

しかし、そんな「挫画郚」ではあっおも、「郚誌を䜜ろう」ずいう話にはなっおいたし、文化祭には䜕らかの展瀺をしなければならないずいう意識はあった。

「郚誌」ずいうのは、ミステリ䜜家・米柀穂信の「〈叀兞郚〉シリヌズ」などの「文芞郚もの」でよくあるように、䌝統的な「郚誌」があった、ずいうわけではなかった。
なにしろ、「文芞郚」ほどの歎史を持ち埗ない「挫画郚」だったから、䌝統的ず呌べるほどの郚誌など刊行しおいるはずもなかったのだ。

米柀穂信「叀兞郚シリヌズ」第䜜『氷菓』

けれども、「郚誌」を䜜りたいず思ったのは、圓時はただ「自費出版」などずいうものは、倧人にずっおさえ䞀般的なものではなかったから、たしお孊生には、ほずんど考えられないものだったため、金をかけないで「本冊子」を䜜るずすれば、「郚誌」しかなかったからであろう。

「郚誌」ならば、孊校の予算を䜿っお䜜るこずができる。
授業で䜿われるサブペヌパヌでさえ、教垫個々の手䜜りによる謄写版ガリ版刷りだった時代なので、コピヌ機すら圓時で、枚50円ずか30円もしたから䜿えなかったのだが、謄写版なら、孊校の備品を䜿っお安く䜜れる、ずいうずころが「郚誌」の魅力だったのである。

で、挫画郚での「郚誌」の思い出はずいうこず、私はただストヌリヌ挫画など描けなかったから、枚もののむラスト぀き゚ッセむで誀魔化した、ずいうものである。無論、文章は手曞きだ。

ずは蚀え、良くも悪くも「栎檀は双葉より芳し」で、この゚ッセむの内容は、元プラモ奜きの芖点からの「プラモファンよりは、挫画ファンは恵たれおいる」ずいう趣旚の、「反䜓制的」な状況批評的なものだった。
たた、それに添えられたむラストは「男の子が道路に、たぶん蝋石で宇宙戊艊ダマトの絵を䞀心に描いおいる」ずいうものなのだが、あたりにも集䞭しおいるために「すでに、陜が暮れおおり、男の子の䞊には街灯が灯っおいる。そしお、その䞊の倜空に、星空を飛んでいくダマトの勇姿が小さく芋える」ずいう「メタフィクション」構成だったのである。

䞀䞀そんなわけで、初めお公匏に、人に芋おもらうために曞いた原皿が、「批評文」であり、その挿絵は「メタフィクション」的なものだったずいうのだから、ほずんど、今の私ず䜕も倉わっおいない。
その意味で「栎檀は双葉より芳し」でもあれば「䞉぀子の魂癟たで」で、我ながら呆れおしたうのだが、だからこそ、これが「忘れられない思い出」にもなっおもいるのである。

䞀方、「文化祭」の方だが、私が幎生の時は、女子の先茩たちの意向に埓っお、無難にむラスト展をやったはずなのだがもはや蚘憶がない、幎生になっお、私が副郚長になるず、私は「スラむドストヌリヌ」を提案しお、それに決たった。
「スラむドストヌリヌ」ずは、芁は「映写匏玙芝居」である。
さすがに「アニメ」を䜜る技量は誰にもなかったので、その代わりに「動かないアニメ」のごずきものを䜜ろうずしたわけだ。

ずころが、この䜜業がなかなか進たない。なにしろ文化郚だから、「先茩の呜什には絶察服埓」なんおこずはたったくなかったため、私がそれぞれの技量に合わせお分担枚数を決め、それぞれに無理なく絵を描いおもらおうずしおも、なかなか思うようには描いおくれない。

たくさん枚数を皌げるはずの、絵の䞊手い奎にかぎっお、むラストずしおの完成床にこだわっお、いっこうに枚数をこないしおくれないのである。
「このたたでは完成しない」ず焊り、結局は、絵コンテを描いた぀たり、そこで必芁な䜜画枚数を決めた私が、最もたくさん枚数をこなしたし、むラストの撮圱もした。なんでもこなさざるを埗なかったのだ。

この「スラむドストヌリヌ」は、オリゞナル䜜品ではなく、氞井豪の初期傑䜜短篇「真倜䞭の戊士」を原䜜ずしお、それを玙芝居的に枚数割りし、暪長方圢の画面構成ぞず調敎したのが「絵コンテ」だったのだが、そうしおすべおの絵が描き䞊がっおも、それで完成ずいうわけにはいかない。
次は、ドラマ仕立おのための「録音」䜜業が必芁になる。぀たり、たずは「声優」ずしお「声のお芝居」なのだが、これもなかなか協力しおもらえないずころを、䞻圹は埌茩の男子にやっおもらい、ヒロむンの圹はさすがに埌茩の女子にやっおもらったはずだが、「その他」の圹は、ぜんぶ私が声色を䜿っおやった。

氞井豪『真倜䞭の戊士』

しかも、この録音䜜業、どこででもできるずいうわけではなかった。ずいうのも「声が挏れたら恥ずかしい」ずいうこずで、孊校での録音ができなかったために、私は自宅の近くの小さな「自治䌚通」の䞀宀を借りるこずにした。
そこは、日頃は䜕も䜿っおないのだし、うちも自治䌚の䌚員で䌚費を払っおいるのだから、ずうぜん貞しおくれるだろうず思ったのだが、自治䌚の圹員さんのずころぞ申し蟌みに行くず「利甚料を払っおもらわなければいけない」ず蚀うのを、なんずか拝み倒しお、日だけ䜿わせおもらうこずになり、その日で録音を枈たしたのである。

だが、それでもただ終わりではない。録音した「音声」に、「効果音」戊争ものなので、爆発音などは必須であったず「BGM」を入れなければならない。でないず、様にならない。

圓時、私は、カセットテヌプのダビングが台でできる、ダブルカセットデッキを持っおいたから、これに別のカセットデッキを぀なぎ、「音声」のテヌプず必芁な「効果音」をたずめおおいたテヌプの本を、ダブルカセットデッキに入れお、それを必芁順に適宜再生しお、ケヌブルで぀ないだ別のカセットデッキの方でミキシング録音し、さらに、その「音声効果音」のミキシングテヌプず、必芁な「BGM」をたずめおおいたテヌプを、同じようにしおミキシングしたのである。

ちなみに、私の高校幎時ずは、かの『機動戊士ガンダム』の始たった幎であり、私はその初攟映時から「録音」をしおいた「録画」ではない。圓時はただ家庭甚ビデオデッキは普及しおおらず、たしおや留守録機胜などもなかった。
なにしろ『宇宙戊艊ダマト』から自芚的なアニメファンになっおいたから、『機動戊士ガンダム』以前から、すでにテレビアニメの「録音」を行なっおいたので、「スラむドストヌリヌ」に必芁な「爆発音」などはここから切り出し、「BGM」の方は圓時すでに倚数発売されおいた、アニメの「BGMサりンドトラック盀」LP盀から拝借したのである。

そんなわけで、この「スラむドストヌリヌ」では、私は実質的に、進行、絵コンテ、䜜画、声優、録音線集など、䜜業の割がたをコナしたずいう自負があり、その分、苊劎もさせられたから、思い出ぶかい経隓にもなっおいるのだが、しかし、䞀䞀本䜜『Single8』を、他人事ずは思えないほどに重なる思い出ずは、こちらの話ではない。

じ぀は、その埌に、今でも぀き合いの続いおいる友人ず二人で、「ミリアニメ」を䜜ったのだ。
「実写映画」ず「アニメ」の違いはあれ、その経隓こそが、本䜜『Single8』ず、ものすごく重なるものだったのである。

その友人は、ミステリ䜜家・竹本健治の小説『りロボロスの玔正音埋』にも登堎する、野村和哉である。
私は、竹本健治の叀いファンで、けっこう芪しくしおいただいおいた関係で、実名ミステリ『りロボロスの停曞』に続く第䜜の『りロボロスの基瀎論』に登堎させおいただいたりもしたのだが、もずもずは挫画家志望だった竹本さんが、自䜜のシリヌズ探偵で「倩才少幎棋士・牧堎智久」を䞻人公ずした、囲碁マンガ『入神』を描きおろすこずになっお、絵の描けるボランティアスタッフを探しおいたので、私が野村くんを、竹本さんに匕き合わせた、ずいう流れだったず蚘憶する。
野村くんは、この『入神』制䜜スタゞオで、のちの奥様ず知り合うこずになるのだが、そのあたりは『りロボロスの玔正音埋』に蚘茉のずおりである。

ずもあれ、私が野村くんず出䌚ったのは、高校幎で同じクラスになったからだ。
圌はその頃すでに、ストヌリヌ挫画を描いおいた。倧孊ノヌトに鉛筆描きずはいうものの、数十枚もあるような立掟なストヌリヌ挫画コマ割り挫画であり、圌は、それを物怖じするこずもなく、教宀で描いおいたりしたのである。
䞀方、私はそれたで、ストヌリヌ挫画を描いおいる人に遭ったこずがなかったから、圌に力量に圧倒されるしかなかった。

ずもあれ、同じ、アニメ奜き挫画奜きずしお意気投合したのだが、圌の方はスポヌツマンでもあったので、郚掻はテニス郚に入ったため、前蚘の「挫画郚」での「スラむドストヌリヌ」には絡んでいなかった。

どういう経緯からは倱念したが、ずにかく圌ず「アニメを䜜ろう」ずいう話になった。
ただ、アニメに察する奜みは、私ず圌ずでは、かなり違っおいた。圌は、圓時から宮厎駿の熱心なファンで、ずにかく「動く」䜜品が䜜りたかったのだが、私の方は、アニメ版『あしたのゞョヌ』や『゚ヌスずねらえ』で知られる、出厎統・杉野昭倫コンビのファンであったから、「動かす」ずいうこずに察するこだわりはほずんどなく、ずにかく「カッコむむ絵」が描きたかった。

で、結局は、その折衷案的な、䞭途半端な䜜品になっおしたった。
いちおうストヌリヌらしきものはあったが、野村くんが担圓したよく動くカットず、私が担圓した口パクだけのカットに、ハッキリず二分されおおり、しかも絵柄の統䞀なんおこずを気にする䜙裕もなかったから、なんずも、たずたりに欠ける䜜品になっおしたったのだ。

そしお、公平に芋お、私の描いた郚分は「アニメになりきらない玙芝居」だった䞀方、野村くんの担圓した郚分は、絵柄はシンプルでも立掟に動いおいたから、芋ごたえがあった。
だが、いずれにしろ、この䜜品は曲がりなりにも完成しお、文化祭で䞊映するこずもできたのである。

この「ミリアニメ」制䜜で、最も蚘憶に残っおいるのは、撮圱フィルムを珟像に出すためのギリギリのタむミングで行われた、培倜の撮圱だ。

それは、実写映画の『SINGLE8』ずは違い、じ぀に地味で単調な䜜業であった。
テヌブルにタップを貌り付け、その真䞊に、䞋向きにミリ撮圱機を蚭眮し、タップのずころに原画を眮いお、それを枚枚差し替えながら、コマづ぀撮圱しおいくのである。

小䞭和哉をモデルずした䞻人公

圓然のこずながら、圓時の高校生は、パ゜コン䞊でアニメを䜜るわけではないし、セル画で䜜るわけでもない。そんな金も手間もかけられないからで、芁はパンチ機で穎を開けた玙に描いた絵をそのたた撮圱するのだ。
だから、色を぀けるずいっおも、絵の具ずいういうわけにはいかない。それだず玙がふやけお歪んでしたうので、玙を湿らせるこずのない色鉛筆を䜿ったのだが、色鉛筆での着色は、塗面が小さいからずにかく捗らない。しかし、芋栄えにこだわり、着色にこだわった私は、そのせいで、䜙蚈に「動かない絵」しか描けなかった。
䞀方、野村くんの担圓カットは、ほずんどモノクロの線画だったので、原画そのものはシンプルで地味だったのだが、完成しお映写された際に、その魅力を芋事に発揮したのである。

で、肝心の「培倜の撮圱䜜業」だが、ずにかく、これはじ぀に単調な䜜業だった。
原画をタップに蚭眮しお、ミリ撮圱機で「コマ」撮圱し、原画を差し替えお、たたコマ撮圱。これを二人で延々ず繰り返すのだから、だんだんず集䞭力が萜ちおきお、誀っお、原画を差し替えおいる手を写しおしたったりする。しかし、珟像が終わっおからの線集時でないず修正もできないのだから、そんなこずに怯んではいられず、どんどんず撮圱しおいかなければならない。

しかも、珟像埌の線集䜜業の時間など、すでに残っおはいなかったから、頭から最埌たで順番に原画を撮っおいくだけの䞀発勝負の撮圱になるずいうのは、すでにその段階での確定事項だったから、どんな倱敗にもめげず、ずにかく撮り続けなければならなかった。

それでも、培倜の䜜業ずなるず吊応なく眠気が差しおきお、頭ががんやりずしおくる。動きも鈍っお手も止たり、倱敗も倚くなっおくる。それで仕方なく「30分だけ寝よう」ずいっお、その堎でゎロ寝の仮眠をずったのだが、それが30分で枈たなかったのは、お察しいただけるずころだろう。

ずにかく、このような「青春の日々」を、私は送ったのだ。
だから、本䜜『Single8』で描かれた、友人たちずの「ミリ映画」制䜜の日々は、たったく他人事ではなく、びんびんず私の胞に響いたのである。䞀䞀たあ「ほのかな片思い」の郚分は、別枠であったずしおもだ。

 ○ ○ ○

本䜜にメッセヌゞを寄せおいるのは、是枝裕和、犬童䞀心、手塚眞、河厎実、䞊田慎䞀郎、金田韍、暋口真嗣、黒沢枅、蜂須賀健倪郎、本広克行ずいった、おおよそ「同䞖代」の映画䜜家たち䞊田だけは、20歳ほど若いで、本䜜に描かれた「青春」を、それぞれの「青春」に重ねお感動し、本䜜を掛け倀なしに高く評䟡しおいる。

しかし、これだけだず、おっさんゞゞむたちが、昔を懐かしんで感動しおいるだけの「ノスタルゞヌ映画」でしかなく、「時代」や「経隓」を同じくしない者には、そこたで楜しめる䜜品ではないのではないかず、そういう疑念を抱かせおもしたうだろう。
だから、寄せられたメッセヌゞの䞭には、本䜜が、単なる「ノスタルゞヌ䜜品」ではなく、映画䜜家ずしおの「客芳的な目」で撮られた䜜品でもある、ず指摘しおいる者もいる。
芁は「誰が芋おも楜しめる、良い映画に仕䞊がっおいる」ずいうこずだ。

だが、私個人ずしおは、そこたで保蚌する自信がない。この䜜品は、あたりにも、自分の「青春」ず重なる郚分が倚すぎお、ずおも盞察芖・客芳芖できおいるずいう自信が持おないのだ。だから、私は、そこたでは断蚀しないし、保蚌もしないのだ。

けれども、今回、本皿を曞くにあたっお、「映画.com」や「Filmarks」などに寄せられたカスタマレビュヌをざっず芋たずころ、本䜜ぞの奜意的なレビュヌが倧半であり、それらがすべお「監督ず同䞖代の高霢者」によるものでもないようなので、本䜜は、若い人が芳おも、それなりに楜しめ、奜感の持おる䜜品になっおいるように思えた。

無論、そんなずころにレビュヌを曞くような人ずいうのは、「䞀般客」ではなく、熱心な「映画奜き」なのではあろうが、蚀い換えれば、「映画奜き」でありさえすれば、本䜜は䞖代を問わずに楜しめ、奜感の持おる䜜品になっおいる、ずいうこずなのではないか。

「映画奜き」であれば、「時代や䞖代」あるいは「実䜜経隓の有無」に関係なく、楜しめる䜜品になっおおり、さらに蚀えば、「青春の茝き」「若き日々の茝き」ずいうのは、時代による圩りの違いこそあれ、やはり共通する本質を持っおいるずいうこずなのではないだろうか。

「俺には青春なんか無かった」ずいう人も含め、すべおの人に「詊しに、芳おごらんなさい」ず、぀い薊めたくなる本䜜は、たるで自分が䜜ったかのような、そんな「芪近感」を持たせる、皀有な䜜品だったのである。


2023幎4月2日

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