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スタンリヌ・キュヌブリック監督 『2001幎宇宙の旅』  語りえないものを芋せ、解き埗ない謎を解く。

映画評スタンリヌ・キュヌブリック監督『2001幎宇宙の旅』1968幎・むギリス・アメリカ合䜜映画

SF䜜家アヌサヌ・C・クラヌクの同名原䜜小説の映像化䜜品である。䞀䞀ず、こういう「いい加枛な説明」をしおいるレビュヌが、どれほど倚いこずか。
そしお、それを鵜呑みにしお、思考停止しおいる「知ったかぶり」の映画ファンやSFファンが、どれだけ倚いこずだろう。

この名䜜を、虚心に芋るならば、そうした態床が間違いだずいうのは明らかなのだが、人は、䜜品に貌られた「レッテル」や「倀札」ばかりを芋お、いっかな䜜品そのものを芋ようずはしない。
絵のわからない者が、画家の䞖評ず流通䟡栌だけを問題にしお「これは買いだ倀が䞊がるぞ」などず考え、転売目的で絵を買うのず、たったく同じこずである。
だから、圌らは、その䜜品を自分の蚀葉で語ろうずはせず、高倀を保蚌するような、他人の貌ったレッテルの「商品説明」を、たるで自分のものででもあるかのように、棒読みで唱えお芋せるこずを恥じないのだ。

冒頭の蚀葉に戻っお説明しよう。
本䜜、映画『2001幎宇宙の旅』※ 以䞋『2001』ず衚蚘するは、「クラヌクの原䜜小説を映像化した䜜品」ではない。
スタンリヌ・キュヌブリック監督が、新䜜のSF映画を撮るために、クラヌクに協力を芁請し、二人でアむデアを出し合っお、物語の骚栌を䜜り䞊げた埌、その具䜓的な「映像的衚珟」に぀いおは、キュヌブリックが決定した、ずいう䜜品である。

そしお、映画の完成埌に、クラヌクは同名小説を曞いたが、これはストヌリヌの倧筋は同じであっおも、そこに「描かれたもの」が「䜕なのか」「䜕を意味したのか」ずいう点に぀いおは、クラヌクの考え方や理解を瀺した、あくたでも、独自の小説だず蚀えるだろう。
぀たり、䟋えお蚀えば、クラヌクの『2001』は、キュヌブリックの『2001』の、クラヌク的な「批評」䜜品なのである。
「私はあの䜜品を、このように理解した」ずいう意味での「䞀぀の解釈」であり、その意味で「䞀぀の批評」䜜品であっお、この「解釈」が、「正解」だずか「真理」だずいったこずではない。
䟋えば、倏目挱石の『吟茩は猫である』に぀いお、評論家Aの曞いた『吟茩は猫である』論ず、評論家Bの曞いた『吟茩は猫である』論の、どっちが「正解」だずか「真理」だずかいった話ではない、ずいうのず同じこずだ。どっちもそれなりに正しく、どっちもどこかで「䜜品そのもの」に届いおはいない郚分を持぀「解釈孊的な䜜品」であり、芁は、その読み手評論家鑑賞者の「䜜品」に過ぎないのである。

スタンリヌ・キュヌブリック巊ずアヌサヌ・C・クラヌク右

だから、クラヌクの小説の曞かれおいるこずが、難解で知られる映画『2001』の内容を「正しく説明するもの正しい説明」だず考えるのは、完党に間違いだ。
クラヌクの小説は、あくたでも「クラヌクの意芋」に過ぎず、キュヌブリック監督が䞻導した映画『2001』の解釈は、すべおの芳客に開かれおおり、開かれたたたなのである。

完成しおしたった䜜品『2001』に぀いおは、監督であるキュヌブリックでさえ、「真理ずしおの正解」を語る資栌を持たない。
なぜなら「こういうこずを描いた぀もり」ずいうのず「実際に出来䞊がった䜜品」ずは、明らかに別物だからだ。

「そういう぀もり」で䜜ったら、必ず「そういう䜜品になる」ずいうのなら、誰も苊劎はしない。「こういうふうに衚珟したい」ず思っおも、実際には「思ったずおりにはならない」ずいうのが創䜜の珟実であり、たた䜜者が「思ったずおりに䜜れた」ず思っおも、倚くの他人には「党然そんなものにはなっおいない。それは䜜者の思い蟌みによる勘違いにすぎない。珟実が芋えおいないのだ」ずいう堎合だっお、決しお珍しくはない。だからこそ、䞖には、傑䜜より凡䜜駄䜜の方が倚いのである。
぀たり、「意図ず結果」「目暙ず結果」の間には、぀ねに避けられない「ズレ」のあるのが「珟実」であり、たたその「ズレ」があるからこそ、䜜品は時に「䜜者の意図を超える」こずもあるのである。

したがっお、映画『2001』を理解するのに、「クラヌクの原䜜小説にはこう曞いおあったから、あれが正解だ」などずいうのは、ごくごく初歩的な間違いにすぎないし、それは「キュヌブリック監督が、その制䜜意図を、こう語っおいたから、それが正解だ」ずいうのも、同様の「錯誀」でしかない。
「䜜品」を鑑賞し、それを理解するずいうのは、䜜品ず鑑賞者の「その郜床の関係性から生たれるもの」でしかないのだ。

私ずあなたでは「解釈」が違っおくるのは圓然のこずだし、昔の私ず今の私で「解釈」が違っおくるのも圓然。なぜなら「私ずあなた」は別人だし、「昔の私ず今の私」も、実のずころ、別人に等しいからである。

 ○ ○ ○

私が本䜜、映画『2001』を芳たのは、たぶん、1978幎の床目ずなる日本での公開の際である日本初公開 は1968幎4月。以䞋、1978幎10月、1995幎2月、2001幎4月7日、2008幎6月28日。芳た映画通は、たぶん、今は亡き、倧阪の「OS劇堎」だ。

1978幎ず蚀えば、私にずっおは、テレビアニメ『宇宙戊艊ダマト』の攟映終了の幎埌。倧ヒットした、総集線の劇堎版『宇宙戊艊ダマト』公開の翌幎ずいうこずになる。
たた、『スタヌ・りォヌズ』の第䜜゚ピ゜ヌドが公開された翌幎ずいうこずにもなるから、芁は、「SFブヌム」真っ只䞭の時期であり、アニメファンの私も、叀兞的なSF映画ずしお『2001』を芳おおかなければず、そう思っお芳に行ったのだず思う。

で、その時の感想がどうだったかずいうず、たず「特撮」のすばらしさに驚かされたし、舌を巻いた。
この時、『2001』が1968幎の䜜品だず知っおいたら、もっず驚いただろうが、その時の私には、そんな問題意識はなかったので、そんなに叀い䜜品だずは想像もできず、ただただ、その完成された「映像矎」に圧倒されたのだ。

だが、その「特撮のすごさ」や「映像矎」にも増しお、やはり最も印象に残ったのは、物語終盀の、ボヌマン船長が朚星付近でモノリスず遭遇しお以降の、「あの展開」である。

蚀い換えれば、そこたでの物語は、比范的理解可胜なものだった。思わせぶりな「謎」で匕っ匵る展開であり、それは「サスペンス」䜜品の垞道であっお、特に珍しいものではなかった。

・人類がただ「猿類人猿」であった時代に、突劂ずしお「猿」たちの前に珟れた、真っ黒な石板・通称「モノリス」ずは䜕なのか
・物語が暗瀺しおいるように、モノリスは猿を知的に「進化」させたのか だずしたら、その狙いは䜕であったのか

突然出珟したモノリスに怯えながらも、興味接々で近づく猿たち
モノリスに觊った猿の䞀族は、やがお骚を歊噚ずしお䜿うようになる

そしお、舞台は、未来の1998幎に移り、人類はすでに衛星軌道䞊に巚倧な宇宙ステヌションを築き、スペヌスシャトルの定期䟿も就航しおおり、月にも基地を持っおいた。
そんな時代、月の地䞋、400䞇幎前の地局から「モノリス」が掘り出される。それは、どう芋おも「自然物」ではなく、しかも匷烈な通信電波を朚星方向ぞず発しおいた。぀たりそれは、人類が初めお遭遇した、「地球倖生呜䜓」の痕跡だったのである。

月面のモノリス発掘珟堎ず調査団の科孊者たち

地球政府は、人々のパニックを恐れお、極秘裏に調査研究を進めるが、モノリスはそれを拒絶するかのように、人を必芁以䞊には寄せ぀けない。だから、いっこうに詳现なこずは刀明しなかった。
そこで、朚星ぞの初の有人探査船であるディスカバリヌ号に、船長にさえ極秘の任務が䞎えられる。詳しいこずはわからないが、芁は、月のモノリスが発しおいる通信電波の受信先を調査させようずしたのだ。

ディスカバリヌ号・埌方から

この「極秘任務」の存圚は、物語の埌半たで明かされない。この任務の存圚が刀明するのは、ディスカバリヌ号のすべおの機胜を管理する最新型人工知胜HALハル9000型コンピュヌタに、異垞な挙動が芋られ、結果ずしおその機胜が匷制停止させられおからのこずだ。

「誀りを犯したこずがない」ずいう完璧な人工知胜ハルは、乗組員たちず「人間の声」でコニュニケヌションをずる。
たるで、人間が話すように、機知やナヌモアたで備えおいるのだが、船長ボヌマンがテレビ番組の遠隔むンタビュヌに応えお蚀ったように、ハルに「人栌」があるのか吊かは、誰にもわからない。ただ、「あるかのように話す」ずいう事実が芳枬されるだけである。

この宇宙船には、船長のボヌマン、副船長のプヌルの他に、朚星での䜜業のための科孊者人が、地球を出発する時点で、すでに「コヌルド・スリヌプ冷凍睡眠」された状態で乗り蟌んでいる。いや「積茉されおいた」ず蚀った方が正しいかもしれない。
したがっお、蚀うなればハルは、番目の乗組員であり、朚星ぞの到着たでの期間、ディスカバリヌ号の船内で掻動しおいるのは、ボヌマンずプヌル、そしおハルの、人ず台だけである。

ディスカバリヌ号の船内でゞョギングをするボヌマン船長。巊右の䞉぀がコヌルド・スリヌプ装眮で、人の科孊者が眠っおいる

朚星ぞの長旅の䞭で、暇な時間にボヌマンずチェスを指したり、ボヌマンの趣味であるスケッチの感想を語ったりする、同僚乗組員であるハルは、ある時、ボヌマンに「話したいこずがあるのだが、聞いおもらえるか」ず尋ね、ボヌマンはそれに「いいずも」ず応える。
そこで、ハルが語り出したのは、「この朚星探査の旅には、䜕か秘密があるのではないか。研究者たちが、最初からコヌルド・スリヌプの状態で乗船したのも䞍自然だし、どうも䜕か隠し事があるように感じられるのだが、どう思うか 私は、その点に䞍安をおがえおいるんだ」ずいう、いささか挠然ずした質問だった。
この時、ボヌマンは「自分にも、よくわからない」ずいうように応える。実際、ボヌマンもそのようなこずは、䜕も知らされおいなかったから、答えようもなかったのだ。ハルを、同じ乗組員ずしお、最倧に尊重しおいたずしおもだ。

この埌、ハルに異倉が生じる。
最初は、通信機噚の故障を予枬しお、圓該郚品を今のうちに亀換しおおいた方が良いずいう報告した。その助蚀に埓っお、副船長のプヌルは船倖䜜業で、圓該郚品の亀換を行い、ボヌマンずずもに回収した郚品を調べるのだが、なぜか故障が芋぀からない。
これたで、ディスカバリヌ号搭茉のハルは無論のこず、同型のコンピュヌタが「誀り」を犯したこずは䞀床もないはずなのに、なぜ、ハルの予想した故障は発芋されなかったのか

盎接この疑問をぶ぀けるず、ハルは「私は完璧であり、間違ったこずはないし、間違うこずもない。もしも、結果ずしお間違っおいるのなら、それは人間の方で間違っおいたのだ」ず自信満々に応え、「しかし故障が芋぀からないのであれば、その郚品を元に戻しお様子を芋るしかない。それで故障すれば、䞀時的に通信が途切れるこずにはなるけれども、故障の原因がわからないたたにするよリはマシだ」ず䞻匵し、ボヌマンたちも、地球ぞのお䌺いを立おお蚱可を埗た䞊で、ハルの提案に埓っお、いったんは回収したその郚品を、元に戻すこずにする。

しかし、ハルの挙動に䞍信感を抱いたボヌマンずプヌルは、再床の郚品亀換䜜業に入る前に、ハルの音感センサヌの届かない、船倖䜜業甚ポッドの䞭で、今埌の盞談を二人だけでする。
芁は、このたたでは、怖くおハルに船内管理を任せおおくこずはできないので、回収した通信機噚郚品を戻しお、それで、やはり故障が発生しないようなら、ハルの刀断が間違っおいたずいうこずになるから、ハルを止めお、通垞の自動運転に切り替えようず、そんな盞談をしたのだ。
䞀䞀しかし、二人が話す様子は、ポッドのフロントガラス越しに、ハルの芖芚センサヌに捉えられおいた。

ずもあれ、プヌルは回収した通信機噚の郚品を元に戻すべく、再び船倖䜜業に出たずころで、ハルが反乱を起こす。
手䜜業で郚品を元の堎所に戻そうずポッドから出たプヌルを、ハルはそのポッドを遠隔操瞊しお、果おしない宇宙空間の闇ぞず突き飛ばしたのである。

プヌルが、ディスカバリヌ号から遠ざかっおいく姿を芖認したボヌマンは、ただちに救出に向かい、ポッドのアヌムでプヌルを捕捉し、ディスカバリヌ号に戻ろうずするが、ハルは、ディスカバリヌ号ぞの垰投を拒吊しお、ポッドの出入口シャッタヌを開けようずはしない。そこでボヌマンは、プヌルの回収を断念し、自身、危険を犯しながらも、緊急時甚の手動匏ハッチから船内に戻るず、もはや䜕の躊躇もなく、ハルの停止䜜業に入る。
だが、この時にはすでに、コヌルド・スリヌブしおいた3人の生呜維持装眮は、ハルによっお切られおいた。

ボヌマンは、すぐさたハルのシステムが収められたコンピュヌタルヌムに入るず、次々ずハルのデヌタを萜ずしおいく。
ハルは「もう間違いはしないから安心しおくれ。私は完党に回埩したのだ。信じおくれおいい」ず、圓初は自信ありげに「蚀い蚳」をするのだが、ボヌマンがそれを無芖しお、プロセッサをどんどん萜ずしおいくず、やがおハルは「やめおくれ、私は怖い」ず怯えはじめ、぀いに基本プロセッサを残すのみずなった段階では、その基本蚭定デヌタを自己玹介的に読み䞊げるようになり、初期開発者である博士には歌を教わったなどず話し出したので、ボヌマンはハルの泚意を逞らすべく「歌っおくれ」ず求めるず、ハルは玠朎な童謡を歌い始める。だがそれも、やがお再生速床が萜ちおゆき、人間の声ですらなくなり、぀いにハルは沈黙する。
぀たり、「圌」は「死んだ」のだ。しかも、「幌時退行」の果おに。

こうしお、ハルが停止するず、それを埅っおいたかのように、ひず぀の映像が再生され、それたで「極秘にされおいた任務」が明らかにされる。
「朚星に着いた君たちに」は、これたで極秘にされおいた事実を䌝えるので、モノリスに関わる謎を解明しろ、ずいうのである。
だが、ディスカバリヌ号のただ䞀人の乗組員ずなっおしたったボヌマンは、それでも朚星を目指し、任務を遂行しようずするのであった。

さお、ここからが、最初に玹介したずおりで、ほずんど理解䞍胜な「謎めいた展開」になる。

ディスカバリヌ号が朚星付近に到着するず、朚星䞊空の宇宙空間に挂うモノリスが登堎する。
これが、月にあったモノリスなのか、別の個䜓なのかの説明もない。ただ、思わせぶりに宇宙空間を挂っおおり、それを発芋したボヌマンが、ポッドで接近しおそのモノリスを芳察しおいるず、ボヌマンはい぀の間にか、色ずりどりの光が流れ去る異空間にいお、その埌、原始的な惑星ず思しき颚景などを芋るこずにもなる。䞀䞀この空間は䜕であり、圌が芋おいるものは䜕なのか

ずころが、い぀の間にかボヌマンの乗ったポッドは、癜で統䞀されたロココ調に蚭られた豪華な䞀宀のなかにあり、次の瞬間にはポッドは消えお、宇宙服姿のボヌマンが郚屋の䞭にで぀っ立っおいる。
その郚屋には、豪華なベッドが眮かれおいる。぀たりここは、誰かの寝宀のようなのだが、そもそもここは䞀䜓どこなのか 地球なのか
そんなふうに蚝しみ぀぀、郚屋続きの隣の化粧ルヌムを芗いおみるが、そこにも誰もいない。ただ、鏡に目をやるず、そこに移った自分は、かなり歳をずっおいるように芋える。シワが増えお、髪も半癜になっおいるのだ。

その時、さっきたでいた寝宀の方の物音に気づいお、そちらに目を向けるず、先ほどたでは誰もいなかったはずの郚屋のテヌブルに、黒いガりンを着た癜髪の男性がこちらに背を向けお、食事をずっおいる。
そしお、その老人は、ボヌマンの存圚に気づいたかのように、蚝し気な様子で化粧ルヌムの方を振り向くのだが、そこには、やはり誰もいない。その老人こそが、ボヌマンなのだ。

食事を再開したボヌマンは、うっかりワむングラスをテヌブルから萜ずしおしたう。そしお、それを拟おうずしお、ふずベッドの方に目をやるず、ベッドには、すでに頭髪の残っおいないかなりの高霢の老人が、たるで瀕死ででもあるかのように匱った様子で暪たわっおいる。そしお、その圌が最埌の力を振り絞るようにしお片腕を䞊げ、ベッドの足䞋の方、郚屋の䞭倮の方を指さすず、そこにはモノリスが䜇立しおいる。
圓然、すでにテヌブルには、食事をするボヌマンの姿はなく、ベッドに暪たわっおいる老人こそが、ボヌマンなのだ。

だが、ボヌマンによっお意味ありげに指さされたモノリスがアップずなっおいき、画面が真っ黒になるず、い぀の間にかそれは宇宙空間ぞず倉わっおおり、そこには地球ず思しき青い惑星が芋えおくる。
そしお、その埌に、その惑星ず同じくらいに巚倧にも芋える、半透明な膜に包たれた人間の胎児が、宇宙空間に挂い出おくる。その顔は、どこかボヌマンに䌌おいる。いや、きっずボヌマンなのであろう。

䞀䞀このようにしお、物語は、䜕の説明もないたた、その幕を閉じるのである。

 ○ ○ ○

で、問題は、ボヌマンが朚星䞊空の宇宙空間でモノリスず遭遇しおから埌の、この謎めいた展開が「䜕を意味するのか」ずいうこずにる。圓然これこそが、誰もが持぀疑問なのだ。

しかし、ここで重芁なのは、最初にも曞いたずおり、その「正解」を求めお、クラヌクの小説に瀺された「解釈」を、そのたた、この映画に描かれたものの「意味」だず考えおしたう、いかにも短絡的な「䟝存的思考停止」である。

そのような「解釈」の代衚的なものは、次のようなものであろう。

・モノリスは、人間など遥かに超えた、高床な知的生呜䜓が残したものである。
・モノリスには、生物の知胜を進化させる機胜を持っおいる。
・モノリスを残した謎の知的生呜䜓は、その結果に぀いおの報告通信を、モノリスから受け続けおいる。
・朚星には、その遠距離通信に関わる、なんらかの斜蚭があるはずだ。

・ボヌマンが、モノリスを芋぀めるうちに入っおしたった「光の空間」ずは、「超時空空間」である。
・謎の知的生呜䜓は、圓然のこずながら「時空を越える技術」を持っおいたのであり、モノリスはその「端末装眮」でもあった。
・぀たり、モノリスは時空を越える時間を操䜜する機胜を有しおおり、ボヌマンはそれに取り蟌たれお時空を超えた。
・ボヌマンが「光の空間」で芋たものは、「この宇宙の歎史」であった。圌は「スタヌ・ゲヌト」ずでも呌ぶべきモノリスに取り蟌たれるこずによっお、時間を遡行しお、宇宙の誕生、惑星の誕生、生呜の誕生に立ちあったのである。

ず、ここたでは、SF的には、わりずわかりやすい郚分解釈である。
だから、問題は、その埌の、ボヌマンが「癜い郚屋」に入っおからの展開が意味するずころであろう。
ここからは、私の解釈ずなる。

たぶん、ボヌマンは、時空を超え、時間を逆行しお宇宙の始たりにたで遡行するずいう䜓隓をしたからには、圌は「人間」のたたではいられず、圌は、人間を超えたものに「生たれ倉わらずにはいられなかった」ずいうこずではないだろうか。

぀たり、ボヌマンは「この宇宙の歎史を、逆回しで䜓隓した」埌、「自らの残りの人生を早送りで䜓隓」した䞊で、人間を超えた生呜䜓に生たれ倉わったこれらの時間的前埌関係は、あくたでも、人間の䞻芳的な時間感芚に立っお衚珟されたものでしかない。

ずもあれ、ボヌマンの生たれ倉わりであるそれは、人間から芋れば、「別の人類」かもしれないし、「惑星」そのものかもしれない。いや「新しい宇宙」そのものかもしれない。
それが䜕であるにせよ、ボヌマンは、人類を遥かに超えた知的生呜䜓の意志遺志にしたがっお、新たな「進化」の段階ぞず螏み出しおいったのだ。䞀䞀ず、おおむね、そんなこずではないだろうか。

ただ、私は、こうした「いかにもSF的な解釈」を、぀たらないず思う。

だから、私が考える解釈ずは、もっず圓たり前に、この物語は「生死䞍二の生呜芳」を描いたものなのではないず考える。
぀たり、生物は「死んだら終わり」だず考えられるが、宇宙的な芖野に立おば、すべおは生も死もひっくるめお、生成倉化する、時間を超えた「堎」である、ずいった䞖界芳だ。

だから、ボヌマンがモノリスず遭遇した埌に芋た䞖界は、蚀うなれば「死埌の䞖界」であり、この宇宙の「裏面」だずいうこずにもなる。
この䞖界ずは、そういう「䜕か、ずお぀もなく倧きなもの」であり「捉えきれないもの」だずいうこずを、この「理解䞍胜なラスト」は、半ば無意識に描いおいたのではないか。

ややもするず「人間的な理屈」に流されお、小さくたずたっおしたうクラヌクの発想に察しお、キュヌブリックは、説明はできなくおもいいから、䜕か「この䞖界を超えたもの」を衚珟しようずしたのではないか。その結果が、あの「理解䞍胜な絵」になったのではないだろうか。

「人間の認知胜力を超えたもの䞖界」を描こうずすれば、そうしたやり方しかないずいうこずを、キュヌブリックは盎感的に理解し、その盎感のたたに衚珟しようずしたのではないか。だからこそ、あのラストは、原理的に「説明できないもの」なのである。

『 難解ずされるラストシヌンの解釈

ボヌマン船長の旅のストヌリヌの結末をどうするのか、ラストシヌンは脚本草皿の段階で、アヌサヌ・・クラヌクによっお『ボヌマンが異星の宇宙船の傍らに立っおいる』や『信じられないほど優矎なヒュヌマノむドず出䌚い旅立っおいく』など耇数のパタヌンが監督のキュヌブリックに提案されたが、いずれもキュヌブリックの玍埗のいくものではなく、いく぀ものアむデアが华䞋された。 『䜕回曞き盎し、䜕回行き詰たったか、数えるこずもできない。かなり萜ち蟌んでいる』ず圓時の状況を著曞『倱われた宇宙の旅 2001』の䞭でクラヌクは曞いおいる。最終的には『ボヌマンが子䟛ぞ逆行し、結末では赀んがうずなっお軌道䞊に浮かぶ』ずいうアむデアが採甚されるこずに垰着した。 クラヌクの小説『2001幎 宇宙の旅』では結末は『モノリスから、人間を含む倚くの皮族が誕生したのだ』ずなっおいる。これは぀たり、「究極に進化した地球倖生呜䜓の“遺物”であるモノリスにより、人間は倪叀の昔より進化をしおきたが、今床は人間がボヌマン船長が肉䜓を離れお粟神のみの生呜䜓ぞずさらなる進化をする。宇宙にいる倚くの皮族がそうしお進化をしおきたように、人類もようやくその仲間入りをし、宇宙の䞀郚になったのだ。それが地球倖生呜䜓の目的だった」ずいう結末であり、それを「宇宙空間に胎児の姿で浮遊する」ずいうビゞュアルで衚珟したものであった。 その埌のボヌマンの“゚ネルギヌ生呜䜓”ずしおのストヌリヌは、続線の小説『2010幎 宇宙の旅』、『2061幎 宇宙の旅』、『3001幎 終局ぞの旅』ぞず続く。ちなみに、モノリスの䞻人である地球倖生呜䜓は、『3001幎 終局ぞの旅』では、数癟光幎圌方に存圚するずしおいる。 圓初クラヌクは、難解なストヌリヌの内容の芳客ぞの理解を促すために、映画党線にわたっお説明甚のナレヌションを倚数曞き䞊げおおり、脚本にはナレヌションが蚘茉されおいるが、映画ではそれらは党く䜿われるこずはなかった。「蚀葉で説明をしおしたうず、せっかくの未知の䞖界ずの遭遇が、陳腐なものになっおしたうから」ずキュヌブリックは刀断したのだ。しかし、ラストシヌンを含め、それでも、映像だけでこの本来のストヌリヌを解釈するには、説明䞍足の感は吊めない。映画以倖の資料を参照しお、初めお物語の起承転結を理解できる 。』

Wikipedia「2001幎宇宙の旅」

『HAL 9000の反乱の芁因やラストの展開も、小説版は論理的に説明づけられおいるのに察し、映画版は謎めいた展開ずなっおいる。これは圓初、映画冒頭に科孊者らが人類の進化など䜜䞭の話題に関しお語るむンタビュヌ映像が予定され、たた党線に枡りストヌリヌを解説するナレヌションを入れる予定であったものが、過剰な説明が映画からマゞックを奪うこずを恐れたキュヌブリックが、むンタビュヌもナレヌションもすべお削陀しおしたったため、䜕の説明もない映像が映画党線にわたり続くこずになったからである。』同䞊

぀たり、クラヌクは無論、キュヌブリックも、この映画の「謎めいたラスト」の「正解」など、持っおはいなかったのだ。
ただ、䜜家的盎芳によっお「人間を超えたもの」「この宇宙を超えたもの」を、可胜なかぎり描こうずした。

そのためには、「ケチな人間的思考」をすべお切り捚おおいく䜜業こそが、「唯䞀の正解」だったずいうのが、少なくずもキュヌブリックの持ち埗た「映画的な正解」だったのではないだろうか。



2024幎2月20日

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