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『けものフレンズ』 隒動は、なぜ燻り続けるのか  「資本䞻矩経枈」の呪い

た぀き監督によるアニメ『けものフレンズ』の第シリヌズ以䞋『』ず略蚘が攟映されたのは「2017幎1月11日 - 3月29日」。

『ざっくりカドカワさん方面よりのお達し』によっお、た぀き監督のシリヌズ第䜜からの降板が告知され、降板反察の「倧隒ぎ」になるも、結局は、倧スポンサヌ「KADOKAWA角川曞店」の意向どおりに、続線シリヌズである『けものフレンズ』以䞋、『』ず略蚘は、朚村隆䞀監督以䞋、『』ずはたったく別のスタッフによっお制䜜された。

しかしながら、その出来や内容が、倚くの『』ファンのからの吊定的評䟡や反発を招き、「けものフレンズ期炎䞊事件」ず呌ばれる隒ぎに発展しお、最埌は制䜜関係者ぞの「殺人予告」によっお逮捕者たで出す、䞍幞な展開ずなっおしたった。
ちなみに、『』の攟映期間は「2019幎1月15日 - 4月2日」である。

珟圚が2023幎だから、『』が攟映終了しおからでも、すでに幎以䞊の歳月がすぎおいるにもかかわらず、いただ『』をこき䞋ろされた『』のファンは、『』をこき䞋ろした『』のファンぞの恚みを忘れおおらず、事あるごずに『』ファンの「荒らし」行為を批刀し、䜵せお、倧ヒットした『』ぞの肯定的な䜜品評䟡に぀いおたで、泚文を぀けたがっおいる暡様であるちなみに、「批刀」ず「荒らし」の区別も぀かない人が少なくない。

たた、そのために『』のファンは、『』に察する『』のファンの「難癖」めいた批刀に腹を立おる結果ずなり、䞡者の「小競り合い」は、いただ止む気配を芋せおいない。

私は、この「小競り合い」が、たったく䞍毛なものでしかないず思うから、そろそろやめたらどうか、ずいう趣旚のレビュヌ「『けものフレンズ』ず『宇宙戊艊ダマト』『』ずいう呪い」を、先日アップした。

しかしながら、恚み骚髄に達しおいる人たちには、このような「正論」は、およそ通甚しない。
わかりやすい䟋で蚀うならば、「パレスチナ問題」である。

『』であれ『』であれ、『けものフレンズ』のファンの99パヌセントは「パレスチナ問題」のこずなど、よく知りはしないだろう。
ずいうのも、『けものフレンズ』ずいう䜜品が「広く愛された」のは、それが基本的には「可愛らしくお、癒される䞖界」を描いおいたからで、長幎にわたっおいっこうに終結する気配さえない「パレスチナ問題」ずいう「嫌な珟実」ずは、およそ真逆であり瞁遠いものだからだ。

「パレスチナ問題」ずは、第次䞖界倧戊埌、むギリスずフランスの委任統治䞋におかれおいた䞭東のパレスチナ地方に、ナチスドむツによっお倧虐殺の被害をうけたナダダ人の囜を䜜ろうず、むギリスやフランスが考えたこずに端を発するものだ。

蚀うたでもなく、ナダダ人ずは基本的にナダダ教埒であり、ナダダ教埒がもずもず䜏んでいたのは、「旧玄聖曞」にも描かれおいるずおりで、䞭東のパレスチナ地区である。
そこに、もずもずあったナダダ人囜家は、呚蟺諞囜ずの戊争によっお歎史的に消滅し、ナダダ人たちは、やむなくその地を去っお、䞖界ぞず離散しおいった。これを、旧玄聖曞の「出゚ゞプト蚘」に描かれた「出゚ゞプト」になぞらえお「゚ク゜ダス脱出」ず呌びもするが、以降、ナダダ人は「祖囜を持たない流浪の民」ずなっおしたう。

離散したナダダ人が、ナチスによる迫害などの悲惚な目に遭ったのは、磔刑になったむ゚ス・キリストを「停預蚀者」などず眵倒したずいう「新玄聖曞」の遠い蚘述があったからで、キリスト教埒の間では、長く「ナダダ人は、む゚スを殺した、呪われおしかるべき民族」だず、そう考えられたからである。
たた、む゚スがこの䞖に再臚しお「最埌の審刀」がなされるたでは、死ぬこずさえできないずいう「さたよえるナダダ人」の䌝説も、こうした文脈から生み出されたものだ。

したがっお、ナダダ人は、ナチスドむツだけではなく、倚くの囜で長らく差別を受け続けおきた。
もちろん「職業差別」もあったわけだが、キリスト教では本来「カネ金銭」ずいうものを卑しむ倫理芳があり、金儲けに邁進するこずは「マモン金銭の神」に仕えるこず背教行為だずさえ考えられた。
たた、その根拠は、旧玄聖曞の「レビ蚘 25-35~37」における、モヌセの次のような蚀葉に由来する。

『あなたの兄匟が萜ちぶれ、暮しお行けない時は、圌を助け、寄留者たたは旅びずのようにしお、あなたず共に生きながらえさせなければならない。
圌から利子も利息も取っおはならない。あなたの神を恐れ、あなたの兄匟をあなたず共に生きながらえさせなければならない。
あなたは利子を取っお圌に金を貞しおはならない。たた利益をえるために食物を貞しおはならない。』

このようにしお「金貞業」が賎業ずされたため、差別されたナダダ人がこの職業に就いた結果、シャむクスピアの『ノェニスの商人』やディケンズの『クリスマス・キャロル』などで兞型的に描かれおいるずおり、金貞しず蚀えば「因業なナダダ人」ずいうむメヌゞが定着しおしたった。
たた埌幎、おりからの「資本䞻矩経枈」の到来によっお、ナダダ系の倧金持ちが出おきたこずから、人々はこれを劬み、それが「ナダダ人が䞖界経枈を、裏で操っおいる」ずいったような「陰謀論」の根拠にもなったのである。

今でこそ、「カネは汚い」ずか「金貞業は賀業」だなどずいう印象や偏芋は、ほが倱われた。
これに぀いおは、政治経枈孊者マックス・ノェヌバヌによる、次のような理解もある。

プロテスタント新教が登堎し、カルノァンの「予定説」などの圱響から、「誠実に自分の仕事に勀しみ、䞖俗的な欲望を満たすための浪費などしない枅朔な生き方こそが、神の䞎えたもうた倩職に忠実であり、神のご意志にそっお生きおいるずいう䜕より蚌拠であろう。そうした敬虔な人間は、きっず倩囜入りが予定されおいるに違いない」ず、こう考えるようになった。
そしお、このプロテスタントの「勀勉犁欲の倫理」が、「資本䞻矩」瀟䌚の到来ずマッチしお、西欧は経枈的な発展を芋たのだ、ずいうのが、マックス・ノェヌバヌがその著曞『プロテスタンティズムの倫理ず資本䞻矩の粟神』で語ったずころの倧筋である。

で、話を「パレスチナ問題」に戻すず、キリスト教圏の西欧瀟䌚で差別された「祖囜なき民ナダダ人」が、ナチスによる倧虐殺の被害を受けたため、戊勝囜である、むギリスずフランスは、旧玄聖曞の時代にナダダ人が䜏んでいたナダダ人にずっおは、神から授かった「玄束の地カナン」ずいうこずになるに、新たにナダダ人囜家を䜜るこずにした。よく蚀えば、ナダダ人たちを救うため。悪く蚀えば、トラブルの皮であるナダダ人を、ペヌロッパ䞖界から厄介払いしようずしたのである。ナチスは、ナダダ人を絶滅させるこずで「ナダダ人問題の最終解決」を図ろうずしたが、連合囜は、ペヌロッパの倖にナダダ人囜家を䜜るこずで「ナダダ人問題の最終解決」を図ろうずしたのである。
そしお、ナダダ人、䞭でも「むスラ゚ルの地に故郷を再建しよう」ず考えるシオニストたちは、圓然これを歓迎したわけだが、しかし、ここで芋萜ずされおいたのは、すでにパレスチナの地には、アラブ人の遊牧民たちが、倚数生掻しおいたずいう事実である。

圌らは遊牧民であるから、土地にしがみ぀くこずはしない。
しかし、それたで自由に行き来しおいた土地に、あるずき突然、ナダダ人囜家が䜜られ、囜境線が匕かれお「この内偎はむスラ゚ル囜だず決たったから、アラブ人は出おいけ」たた「勝手に入っおくるこずもたかりならん」ず蚀われれば、「先䜏民」であるアラブ人が玍埗するはずもない。「埌から来たナダダ人」たちが、勝手に、自分たちの生掻の堎を奪ったず、そう考えたからである。

しかし、ナダダ人にしおみれば、パレスチナの地に「再建」された「むスラ゚ル囜」ずは、もずもず自分たちが神から䞎えられた「土地」であり、そこに䜏むのは圓然の暩利で、か぀それは「囜際瀟䌚から認められおいる」のだから、自分たちが留守にしおいる間に、我らが父祖の土地を「䞍法占拠」しおいたも同然のアラブ人を远い出すのは圓然だ、ずいうこずになった。

したがっお、ナダダ人ずアラブ人は、ずもに「父祖の土地」での生掻を守るために、退くこずのできない戊いを延々を続け、倚くの犠牲者を生み続けるこずになった。
倧雑把な説明だが、これが「パレスチナ問題」である。

で、こうした、どちらにもそれなりの「倧矩」があるずは蚀え、䞍毛な殺し合いは「もう止めよう」「もう止めた方がいい」ずいうような意芋は、双方の䞀郚からも出たし、囜際瀟䌚からも䜕床も提出され、幟床ずなく停戊合意がなされたものの、結局それは砎られお、囜力に勝るむスラ゚ルが優勢なたた、しかし、問題は燻り続けおいるずいうのが、珟圚の「パレスチナ問題」なのだ。

で、私が蚀いたいのは、『けものフレンズ』をめぐっお、延々ず続いおいる「正統暩争い」ずは、「パレスチナ問題」に酷䌌しおいるのではないか、ずいうこずである。

もちろん、問題の芏暡は倧いに違うのだけれども、しかしだからず蚀っお、その「本質」が違うずは蚀えない。
䟋えば、この「倧小぀の未解決問題」に共通しおいるのは、

どちらが正統な継承者か

ずいう問題であるず同時に、

背埌に資本䞻矩的な貪欲が絡んでいる

ずいう点であろう。

 ○ ○ ○

『けものフレンズ』に぀いお、たず確認しなくおはいけないのは、アニメ『けものフレンズ』は、たしかにメディアミックス戊略における「耇合コンテンツ」ずしおの「けものフレンズ・プロゞェクト」の「䞀郚」ずしお䜜られたものではあるけれども、しかし、アニメの『けものフレンズ』ず、ゲヌムの『けものフレンズ』、あるいはグッズの『けものフレンズ』ずいうのは、同じキャラクタヌを䜿っおいるずは蚀っおも、「䜜品」ずしおは、明らかに別物、だずいう点である。

それはアニメ『けものフレンズ』に぀いおも蚀えるこずで、『』ず『』ずは、たったく別の䜜品だず蚀えるだろう。

前述のレビュヌ「『けものフレンズ』ず『宇宙戊艊ダマト』『』ずいう呪い」でも曞いたずおり、『宇宙戊艊ダマト』であれ『あしたのゞョヌ』であれ『巚人の星』であれ、『』ず『』ずは、別䜜品ず考えられ、別々に評䟡されおいる。
『あしたのゞョヌ』のように、メむンスタッフの倚くが共通しおおり、か぀䜜品の出来ずしおも『』に劣らない『』を蟱めるこずにならない䜜品であるず高く評䟡された堎合に、それは「正統な続線」ず認められるような「䟋倖」もあるにはあるが、倚くの堎合、『』ず『』は別䜜品であり、仮に『』が「続線」を名乗っおも、スタッフも違えばその出来も悪いなれば、その『』は、ファンからは決しお「続線」ずは認められないずいうのが、これたでの、ごく圓たり前の「評䟡」だった。芁は「䜕様であろうず、蚀った者勝ちにはならないし、そうはさせない」ずいうこずだったのだ。

これは、䜕もアニメに限ったわけではなく、䞀般の劇映画でも同じで『タヌミネヌタヌ』であろうず『バットマン』であろうず『オヌメン』であろうず『トむ・ストヌリヌ』であろうず、たったく同じ。
䜜目が評刀ずなっお、䜜目が䜜られた堎合、『』が、『』に劣らぬ傑䜜になっおおれば、それは「正統な続線」ず認められるし、䞍出来であれば「勝手に䜜った、安易な続線」ずしか評䟡しおもらえない。ファンからすれば、そんなものを「正匏な続線」ず認める必芁などどこにもない、で枈む話だったのである。

『』は傑䜜だったが、『』は駄䜜で、『』は別䜜品。そのほかにも、いろいろ延々ず䜜られたが 

こうしたこずは、芁は、鑑賞者個々が、その䜜品の䟡倀を刀断する、ずいうこずであり、埓来の「䜜品評䟡」においおは、これはごく圓たり前のこずでしかなかった。
いくら補䜜サむドが「これは、かのヒット䜜の続線です」ず宣䌝したずころで、それは所詮、䜜目のヒットにあやかろうずする「二匹目のドゞョり」を狙った宣䌝文句にすぎない。問題はあくたでも「䜜品の䞭身」であり出来であっお、それが『』を蟱めない立掟なものでないず、そんなもの到底「正統な続線」ずは認め難いずいうのが、埓来のファンの、圓たり前な評䟡だったのである。

ずころが、『けものフレンズ』の堎合は、最初に「けものフレンズ・プロゞェクト」があったものだから、補䜜者サむドは、アニメ『けものフレンズ』の䜜目を「独立した䜜品」だずは評䟡せず、それをプロゞェクトの䞀郚ずしお最倧限に利甚しようず考えた。
これは、前述の「『けものフレンズ』ず『宇宙戊艊ダマト』『』ずいう呪い」でも指摘したずおりで、アニメ『けものフレンズ』に぀いおも、䜜目ずいう「単䜓」で儲けるのではなく、それが発した「オヌラ」をコンテンツ党䜓で利甚する方が、儲けを最倧化できるず刀断しおのこずで、あえお『』は別スタッフでの制䜜ずし、意図的に、『』の、た぀きカラヌを薄めようずしたのである。

で、ここに瀺されおいるのは、芁は「資本䞻矩経枈の論理」であっお、「創䜜・芞術の論理」ではない、ずいう事実だ。

アニメであれ、マンガであれ、小説であれ、映画であれ、矎術絵画であれ、そうしたものの「論理」ずいうのは、基本的には「優れた䜜品」を䜜るずいうずころにある。それを目指しお䜜られる、ずいうこずだ。
そしお、時には「良い䜜品」にするためには、「䞀般りケしなくおも良い」ずいうずころたで行くこずも、決しお珍しいこずではない。

蚀うたでもないこずだが、倧人の䜜品を幌児が芋おも、理解はできない。なぜなら、ただ必芁な「理解力」を持っおいないからである。
したがっお、「高床な内容を含む䜜品」ずいうのは、「鑑賞胜力に䜎い人」では、十党に理解するこずができない。そうした人は、「䜜品に蟌められたもの」の「䞀郚」たたは「衚面的な郚分」しか理解できない、ずいうこずになる。

だから、䜜家によっおは、そうした「鑑賞胜力の䜎い人」に配慮しお、ゆるくするよりも、自分のやりたいこずを党力で衚珟したいず考えるから、「䞀般りケしなくおも良い」ずいうこずにもなっお、その結果「鑑賞者を遞ぶ尖った䜜品」になったりもするのである。
そしお、これは「芞術」の䞖界では、長らくごく圓たり前のこずであった。でなければ、「抜象絵画」や「前衛芞術」などずいうものが生たれるはずもなかったのだ。

ずころが、「資本䞻矩経枈」の瀟䌚になるず、倚くの「䜜品」は、「商品」の性栌を兌ね備えるこずを求められるようになった。぀たり「高床な䜜品」であるのは結構だが、しかし「䞀郚の矎的゚リヌト」にしか理解されない、広く売るための「商品」にはならないような「䜜品」では、「困る」ずいうこずになった。

䟋えば、ある「矎術絵画」である油絵が、1000䞇円で売れたずしよう。しかし、その䜜品は点しかないから、儲けはそれ以䞊になるこずはない。
ずころが、これを2000枚耇補印刷しお、定䟡1䞇円で売れば、1000䞇円の原画が買えない人は、この耇補画を買うこずになるだろう。なにしろ倧奜きな䜜品なのだから、ひずたず「耇補画でも欲しい」ずいうのが人情である。
で、これが売れれば、2000䞇円の売り䞊げずなっお、原画枚を売るよりも、倧きな儲けずなる。原画はその枚を売っおしたえばそれでおしたいだが、耇補画なら、いくらでも増刷できるから、それが売れるかぎりは、儲けは増え続けるこずになる。

ずなれば、それだけ「人気がある䜜品」なら、単に「耇補画」を䜜っお売るのではなく、もっず他のグッズを䜜っお売っおはどうだろう。䟋えば、Tシャツ、キヌホルダヌ、あるいは「うちわ」などなど。

ずにかく、個人所有するこずの叶わぬ「原画」に惚れ蟌んでいる人たちは、そんな雑貚たでありがたがっお買っおくれる。なぜならば、そうしたグッズにも「原画」が発しおいた「オヌラ」が反映されおいるからである。「原画」そのものずは、たったく違うものであったずしおも、「原画」に「関連するもの」ずしお、それはありがたがられる。
䟋えば、有名人がありがたければ、その息子や嚘たで「ありがたい」ず感じおしたいがちなのが、私たちの愚かさなのだ。

オヌラを倱い「ダフオク」に出品された品々

しかし、䞭には「芪は芪、子は子で、別人栌だだから、芪の䞃光など認めない」ずいう者の、ごく皀にいる。それが「『けものフレンズ』ず『宇宙戊艊ダマト』『』ずいう呪い」で曞いた、

『ごく突き攟しお蚀うなれば、「䜜品そのもの」ず「関連商品」は、決しお「䞀䜓」のものではない。「䜜品」は、その䜜品ずしお自己完結したものであっお、「関連商品」ずいうのは、その「䜜品むメヌゞ」を借りおきお、貌り付けたものでしかないのだ。
だから、極端に割り切った人なら「䜜品は楜しんだけど、グッズはいらない」ずいうこずにもなる埗るわけだ。』

ずいうようなこずだが、その埌に続けお、

『しかしたた、そんな人は滅倚にいないし、そんな人ばかりでは「商売にならない」。
スポンサヌ出資者が「䜜品制䜜」に出資するのは、それによっお埗た暩利により、そのコンテンツを「商品展開」しお、出資した以䞊の「金儲け」をするためなのだから、「良い䜜品ができた䜜品さえ良ければ、それで良い」ずいうこずには、決しおならないのだ。』

ずいうこずであり、芁は、「儲け」るためにスポンサヌ出資者になった者は、「良い䜜品」を䜜るために出資したのではなく、「売れる商品」を䜜るために出資したのだから、「䜜品は楜しんだけど、グッズはいらない」ずいうような「䜜品本䜍」な人たちを「䞻たるタヌゲット」ずするのではなく、『Tシャツ、キヌホルダヌ、あるいは「うちわ」などなど』を買っおくれる「お客様」を、䞻たるタヌゲットずするし、そのための「䜜品」を䜜ろうずするのである。

そしお、そういう「お客様」にずっおは、『』ずいうのも、所詮は『Tシャツ、キヌホルダヌ、あるいは「うちわ」などなど』の郚類、なのだ。
だから、「本物」である必芁などないし、「優れた䜜品」である必芁などない。
ただ、自分が「オリゞナル䜜品」に「面癜いず感じた郚分」さえ「残っおおればレッテルずしお貌り付けられおさえいれば」、それはもう「オリゞナルに関するもの」ずしお、同じようにありがたいず感じられるようになる。

そしお、こういう「奜郜合なお客様」の創出こそが「高床資本䞻矩経枈」の芁諊でもあるのだ。
こういう「なんでも買っおくれるお客様」「商品を厳しく吟味するのではなく、関連するものなら、すべおありがたいず感じお買っおくれるお客様」を生み出しおこそ、䞀぀のコンテンツは無限の䟡倀を生み出す「商品」に化けるのである。

 ○ ○ ○

私は先日、カヌル・マルクスの『資本論』の入門曞である、癜井聡『今を生きる思想 マルクス 生を呑み蟌む資本䞻矩』講談瀟珟代新曞のレビュヌに、次のように曞いた。

『商品賌買局に䟿利な※ 優れた商品が行き枡り「必芁」が満たされたなら、今床は「必芁以䞊のもの」を商品にしなくおはならない。
䟋えば、「物」ではなく「むメヌゞ」や「サヌビス」を売るのである。それが、定期的なモデルチェンゞであり、家事代行ずかいった新サヌビスの発明ずいうこずになる。

そしお、そうした堎合、私たち「賌買局」は、そうしたものを「ありがたい」ず感じるように、「宣䌝」などにおいお「掗脳」される。

ファッションなどがその兞型だが、䟋えば「ベストセラヌ本」などずいうのも、同じこずである。
ただただ読むべき叀兞的傑䜜がいくらでもあるのに、新䜜ベストセラヌに私たちが惹き぀けられるのは、「商売のための宣䌝」に私たちが掗脳され、螊らされおいるからに他ならない。
「儲け」を出すためには、顧客たちにい぀たでも叀い商品にしがみ぀いおいおもらっおは困るので、新しい商品をどんどんず開発し「これが最前線」「これが最高」「今期の芥川賞受賞䜜」などず煜り、それを手にした人たでが「最高」ででもあるかのような「勘違い」に萜ずし蟌んでいくのである。

今の「掚し掻」ブヌムなどは、資本䞻矩的「掗脳」の最たるものだず蚀えよう。なにしろ「カネを遣った者が、いちばん尊い」ずいうのだから、露骚すぎるほどに露骚である。
したがっお「私の掚し䜜家は」ずか蚀っおいる人は、それが、぀たらない本しか読んでおらず、資本に「いいように螊らされおいる」䜕よりの蚌拠だずいうこずにもなるのだ。

そんなわけで、「資本䞻矩」瀟䌚においおは、「資本」は、人を幞せにするためではなく、ただ、「資本」の自己増殖のために、人間瀟䌚を倉え、人間の感芚や䟡倀芳を改造し新たな欲望を喚起し、それにはずどたらず、本来、䞍必芁な商品を産むために、自然をどんどんず砎壊しおいっお、止たるずころを知らない。』

぀たり、「けものフレンズ・プロゞェクト」ずいうのも、たさにこうしたものなのだ。

「䟿利な商品が、ひずわたりゆき枡れば、それで売れなくなる」のでは困るので、「元来、䞍必芁なもの」たで「欲しい」ず思わせるようにする。
その手段が「宣䌝による掗脳」であり、その䞀皮が「メディアミックス」ずいう手法による「オヌラの拡散」である。ケチなキヌホルダヌひず぀であっおも『けものフレンズ』のロゎが入っおいるだけで、特別な「オヌラ」を垯びた「ありがたいグッズ」に化けるのだ。

だから、これず同じこずで、アニメの『けものフレンズ』だっお、『』は「本物」である必芁などない。単に『』の「オヌラ」を匕き継ぐための「ロゎ」やら「キャラ」やらが貌り付けおありさえすれば、それで『』は、「ありがたがられる商品」に化けるからである。

 ○ ○ ○

『』を持っお、「けものフレンズ・プロゞェクト」界隈から離れた人ずは違い、その埌もずっず「けものフレンズ」に付き合い続けおいる人たちには、面癜い特城がある。
それは、䜜品を、個々に独立した「単䜓ずしお」刀断しないで、「コンテンツ総䜓ずしお」刀断するずいう点である。

前述のずおり、埓来であれば、『』は『』、『』は『』で「別物」だず芋られおいたのだが、最近は「コンテンツ」単䜍で、䜜品を考える人が増えおきおいるようだ。
これはアニメの堎合、最近では、最初から「期」「期」「期」ず䜜られるこずを予定しお䜜られ、その䞊で、スタッフの入れ替えなどもある堎合が倚いので、党䜓を「䞀぀の䜜品」ず芋るようになったのかもしれない。

だが、こうした「括り」は、所詮、商品を総䜓ずしお売りたい補䜜サむドの思惑でしかなく、鑑賞者は「期は期、期は期」だず区別しお評䟡すればいい。仮に「期」が䞍出来だったずしおも、「期」たで含めお「䞍出来」だず評䟡する必芁はないし、たしお「別スタッフ」によっお䜜られたものなら、別物ずしお区別しお評䟡する方が、むしろ真っ圓であろう。
䟋えば、和菓子でもバッグでも構わないが、同じ「ブランド」で売り出されおいたずしおも、䜜った職人が別で、その力量差によっお、品物の品質に差があるのであれば、それらは区別しお評䟡すべきだし、出来の良い方を「本物」だず評䟡するのであれば、別人による同「ブランド」の粗悪品は「停物」だず評䟡しおも、決しお間違いではないはずだ。

本物かどうかは別にしお、ありがたい人にはありがたいブランド品

だから、アニメにおいおも、「同ブランドだから、同じ䜜品」だず考えるのは、「䞭身を芋ない、レッテル型思考」ず蚀えるだろう。
で、『』を支持する人には、圓然のこずながら、こういう人が倚い。
同じタむトルで、同じような蚭定で、同じようなキャラクタヌが登堎すれば、それで満足できるし、それが同じ「けものフレンズ」だずひずたずめに認識しおしたう。そこでは、基本的に『』ず『』の区別がないのだ。

だからこそ『』を支持した人の倚くは「『けものフレンズ』ファンなのであれば、『』も楜しめお圓たり前」だず考える。なぜなら『』も『』も「『けものフレンズ』であるこずに違いはない」ず考えるからである。

しかし、『』を支持しお『』は評䟡できないずする人ずいうのは、基本的に『』ず『』は「別䜜品」だず考えるから「䞀緒にされたくない」ず思うし、別䜜品だからこそ『』を『』単品ずしお「倱敗䜜」「駄䜜」だず評䟡するのだ。『』をそのように䜎く評䟡するこずが、『けものフレンズ』総䜓を吊定するこずになるなどずは考えず、個々の「䜜品」ごずに切り離しお考えるから、それができるである。
䟋えばそれは、スポヌツ競技の囜際倧䌚においお「囜籍に関係なく奜きなチヌムを応揎する人」ず「日本人なら日本チヌムを応揎しお圓然だず考える人」ずの違いだずも蚀えるだろう。前者は「私は、その競技が奜きなのであっお、愛囜心の発露のために、芳戊に来おいるのではない」ず蚀うだろうし、埌者はそんな前者を「非囜民」だず謗るだろう。
そんな「違い」が、『』オンリヌのファンず、「けものフレンズ・プロゞェクト」総䜓のファンずの間にはあるのである。

このように芋おくるず、『』オンリヌの支持者ず、『』も『』も党郚奜きずいう『』の支持者ずでは、「䜜品」ずいうものに察する考え方が、その根本においお、倧きくずズレおいるずいうのがわかるだろう。

぀たりこれが、『けものフレンズ』隒動が燻り続ける「元凶」ずしおの、「資本䞻矩経枈の呪い」なのである。

『』オンリヌのファンずしおは、『』だの『』だのグッズだのずいったものは「別䜜品」なのだから、それはそれずしお別個に評䟡するのは圓然で、仮にそれらを䜎く評䟡したずころで、『けものフレンズ』ずいう䜜品を吊定したこずにはならない。それどころか「類䌌品の停物」を厳しく淘汰しおこそ、「本物」の䟡倀が守られるず考えるからこそ、その評䟡は蟛蟣なものにもなりがちなのであろう。

䞀方、『けものフレンズ』を「コンテンツ党䜓」ずしお捉え、『』も『』も『』も、すべお䞀連の「けものフレンズ」だず感じおいる人には、『』を特別扱いし、『』以降に奜意を瀺そうずしない、『』オンリヌのファンずいうのは、蚀うなれば「裏切り者」ず映る。「『けものフレンズ』ファンなら、すべおを愛しお圓然じゃないか」ずいうこずになるからである。

これだけ、根本的に「䜜品認識」がズレおいれば、議論が噛み合わないのは圓然だし、さらにその噛み合わない議論のせいで、䞡者はお互いに盞手を「頭の悪い、わからず屋」だず匷く思い蟌み、憎むこずになっおも、䜕の䞍思議もない。

たた、『』のファンずお、圓初は『』が優れた䜜品であるこず自䜓は認めおいたのだが、しかし、『』が特別に優れた䜜品だず認めるのは、『』オンリヌのファンに屈服したこずになるず感じられるため、結果ずしお『』の評䟡を、『』ず同等以䞋にたで匕き䞋げようずするこずになる。そしお、そのこずによっお、『』オンリヌのファンを、さらに怒らせるこずにもなるのである。

このように、䞡者の「争い」は、結局のずころ「どちらが本物の『けものフレンズ』ファンなのか」ずいう点に぀いおの争いずなっおいる。
もはや「䜜品の出来䞍出来」ではなく「ファンずしおの正統性奪取合戊」ずなっおおり、そのためには「䜜品評䟡」を捻じ曲げるこずさえなされたりしおいるのが、珟圚の惚状なのである。

で、こうした「䞍毛な正統暩争い」ずいう点で、『けものフレンズ』隒動ずいうのは「パレスチナ問題」ず同様で、誰のためにもならない䞍幞な結果だけを生み、『けものフレンズ』぀たり『』ずいう名䜜のむメヌゞを傷぀け、コンテンツ総䜓のむメヌゞをも傷぀けるこずにもなっおいる。

だたし、「けものフレンズ・プロゞェクト」ずいうコンテンツを売っおいる偎の「KADOKAWA」からすれば、こうした揉め事もたた、必ずしも悪いこずではない。
誰もが『けものフレンズ』ずいうコンテンツに飜きお、商品が動かなくなるよりは、揉め事であろうず䜕であろうず、それで商品ぞの興味が維持できるのであれば、その方がよほどありがたいのである。
『』オンリヌのファンが「『』なんおク゜だ」を蚀っおくれれば、『』のファンは、意地でもい぀たでも『』に執着しおくれるし、『』でも『』でも喜んで買っおくれるからである。

぀たり、これは「戊争」が起こるず「死の商人」が儲かる、ずいうのず同じこずであり、「けものフレンズ・プロゞェクト」ずいうもののむメヌゞが、䞀郚傷぀いたずしおも、それ以䞊に「興味」が持続し、「儲け」が持続するのなら、それはそれで「もっずやっおください」みたいなこずでしかない。それが「資本䞻矩」ずいうものなのである。

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しかしながら私たちには、わざわざ「䞍愉快」な思いをしおたで、営利䌁業を儲けさせおやる必芁も矩理もないだろう。どう考えたっお、お互いに䞍愉快か぀、絶察に噛み合わない論駁合戊をするずいうのは「䞍毛」以倖の䜕ものでもない。

しかし、人間は「資本䞻矩」の「金儲け資本の自己拡倧」のために螊らされおしたう。

䟋えば私は、これも先日、りクラむナのドキュメンタリヌ映画監督セルゲむ・ロズニツァの新䜜『砎壊の自然史』に぀いお、次のように曞いた。

『芁は、「お前が先に手を出したから、俺は、倍返しでやり返しただけだ」ずいう理屈が、「戊争」では「正圓性」を持っおしたう「正矩の根拠」になっおしたうのだが、※ ロズニツァにはそれは認め難いずいうこずである。

私たちの日垞生掻でも、こんな幌皚な理屈は通らない。
぀たり「殎られたから殎り返した」ずいうのでは、それは単なる「喧嘩」であり、刑法的には、䞡者が「暎行眪の被疑者」ずしお裁かれる喧嘩䞡成敗。

「殎られた方」に蚱されるのは、「身を守る自衛のための、最䜎限の反撃」である「正圓防衛」であっお、やりすぎればそれは「過剰防衛の暎行あるいは、傷害・殺人」ずいうこずになっお、その人物も眰せられる。䞀䞀これが、理性的な「法秩序」ずいうものなのだ。

ずころが、私たちは普通、「やられたらやり返すのは圓然」だず考えるし、「最䜎でも、同皋床の報埩をする暩利がある」ず考えるだろう。しかも、これがドラマずもなるず「倍返しだ」ずなるのは、私たちが「本音」では、「同皋床」以䞊の「報埩」を求める、匷い「応報感情」を持っおいるずいう蚌拠なのだ。
そしお、戊争ではそうした感情が、「空爆による敵囜民間人の虐殺」をも「正圓化する理屈」になるのである。

だから、ロズニツァは、この映画ではあえお、「時系列」を組み替え、「敵味方」の境界線を曖昧にした。
結局、ドむツ軍だ連合軍だず蚀ったずころで、虐殺される民間人の珟実レベルからすれば、それは「人間同士の殺し合い共食い」でしかないからである。

「そっちが先に手を出したんだ」ずいう「自己正圓化の理由」は、それほどたでに「幌皚」で「原始的」なものなのだ。

本䜜が『砎壊の自然史』ず題されおいるのも、ノヌム・チョムスキヌがよく口にする「宇宙人から芋れば」ずいうのず、同じこずだ。
宇宙人から芋れば、人間のこうした「戊争」ずは、「人間ずいう野蛮な生物の、自然な姿そのもの」であり、本䜜は「その客芳描写」だずいうこずになるのである。』

この映画で描かれおいるのは、第二次䞖界倧戊における、むギリスずドむツ双方の「郜垂郚ぞの絚毯爆撃」である。

ロズニツァは、「アヌカむブ映像」を線集しおドキュメンタリヌ䜜品を䜜るのだが、この䜜品においおは、わざず「時系列」どおりには線集しなかった。
なぜなら、「時系列」に沿った線集をしおしたうず、おのずず「原因ず結果」ずいうかたちで「先に手を出した方が悪く、やり返した方は正矩だ」ずいう理屈が䜜動したい、「どっちが悪い」ずかいった理屈以前の、双方の「膚倧な犠牲者」ずいう「事実そのものの重さ」が、看過されおしたうからである。

぀たり平たく蚀えば、「どっちが先に手を出したずか蚀っおいる時点で、お前らのは喧嘩でしかなく、喧嘩䞡成敗だ」ずいうこずなのだ。
それで、「守るべき囜民」が、あるいは「守るべき䜜品」が傷぀けられたのでは、本末転倒も甚だしい
、ずいうこずなのだ。

しかし、諍いによる「消費」を、懐手にしお喜んでいる「死の商人」は、確実に存圚する。「䞍景気になれば、戊争を起こすず良い」ずいう考え方だっお、珟に存圚するのである。

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だから、私たち『けものフレンズ』ファンは、もう少し頭を冷やし、その䞊で、「自分の面子」のためではなく、自分の愛する『けものフレンズ』ずいう䜜品のために、その蚀動をなすべきなのではないだろうか。

そもそも、誰が䜕をどう評䟡しようが、それはその人の勝手である。ただ、そのそれぞれの評䟡が、説埗力のあるものかどうかで、その評䟡の䟡倀も決たるのだから、違った意芋や評䟡の存圚自䜓は認め合わなければならない。
その䞊で、その「評䟡」の䞭身や根拠を、正しく問わなければならないのである。

私がいく぀か読んだ「けものフレンズ・プロゞェクト」関連のレビュヌの䞭でも、これたで指摘しおきたような、奇劙な物の芋方が散芋された。
䟋えば、ゲヌムである『けものフレンズ』のこの呜名に぀いお「あえお、ゲヌムず断らずに、『』ず名付けおいるずころに心意気を感じる」ずか「䞍出来な『』が「正統的な続線」だずいうのが我慢ならない」ずかいった意芋で、䞡者は、その評䟡が逆方向ながら、同じ点で、共にズレおいるず蚀えるだろう。

「矎少女ゲヌム」の䞀皮になるの

぀たり、前者に぀いお蚀えば、䜕が『』ず名乗ったずころで、䜜品の䟡倀そのものは䜕ら倉わらないずいう事実ぞの無自芚であり、その無自芚な「名称暩嚁䞻矩」ずでも呌ぶべき錯誀である。
埌者も、補䜜サむドが『』を「正統な続線」ずしおしたったこずに぀いお、それを無内容で䞀方的な決め぀けだず嘲笑う䜙裕もなく、そんな぀たらない芏定を真に受け、それで腹を立おるずいうのも、䞀皮の「出資者暩嚁䞻矩」でしかないず蚀えよう。

䞀䞀芁は、「䜜品の䟡倀」を自分の䟡倀芳で決めるこずができず、「䞎えられた名称」や「暩嚁者による芏定」を無条件に受け入れおしたうずいうのは、その人が「資本䞻矩」に掗脳されきっおいる、ずいう䜕よりの蚌拠でしかないのだ。

暩嚁者から、これが『』だず蚀われれば、「そうだ、これが『』だ」ず思い、「これが正統な続線だ」ず蚀われれば、玍埗しおはいなくおも、その「芏定」だけは事実ずしお受け入れおしたう。

こうした「無抵抗さ」ずは、「資本の論理」に飌い慣らされたが故の、「思考停止」による「埓順さ」だず蚀えるだろう。

そしお、そうした、ごくごく「狭い䞖間の䞭」だけで考えおいるから、自分たちのやっおいるこずの䞍毛さを、䜕幎経ずうが「俯瞰しおみる」こずができないのである。

たあ、ここたで蚀っおも、「けものフレンズ」界隈が芖野の及ぶ範囲の限界でしかない田舎者には、私がわざわざ倧回りしお曞いたこずの意味など理解されないだろう。

ひず぀ハッキリ蚀えるこずは、『けものフレンズ』ファンにも、倖の䞖界で通甚する者もいるにはいるが、「『けものフレンズ』ず『宇宙戊艊ダマト』『』ずいう呪い」で曞いたずおり、その割以䞊は、「すっごヌい」ずか「カヌワむヌ」ずか蚀っおいるだけの、「けもの頭」人間でしかないずいうこずである。

そうではないずいうのなら、少しは、人間らしい、芖点の高さを瀺しおもらいたい。

少なくずも、『』ずしおの『けものフレンズ』は、みずから「オヌラ」を攟った自埋的で自立的な䜜品であっお、それに䟿乗した「類䌌品」や「グッズのたぐい」ではなかった。
同様に「本物のファン」だずいうのであれば、「どっちの䜜品がすごい」ではなく、そう語る人自身の「芋識」を瀺しおもらいたいし、瀺せるものなら瀺すべきであろう。

いずれにしろ、KADOKAWAが「けものフレンズ・プロゞェクト」から撀退しないかぎり、この揉め事が続く公算は、きわめお高い。

なぜなら、「けものフレンズ・プロゞェクト」が出しおくる「新商品」は、『』オンリヌのファンから芋れば、『』の遺産にたかるハむ゚ナのごずき忌むべき存圚でしかなく、「たた、くだらない子䟛だたしの商品を出しやがっお」ずいうこずになるし、『』を含む「けものフレンズ・プロゞェクト」党䜓のファンの方は、意地でも「新商品」を肯定し、支持しなければならなくなっおいるからだ。「プロゞェクト」のファンにしおみれば、「新商品」が出おいるかぎりは、それを支持する自分たちが正しかった、珟に「けものフレンズ・プロゞェクト」は続いおいるじゃないかず、そう自己正圓化できるからである。

しかし、『』のように、完結した䜜品ずしおの評䟡ず、「新商品」が出おいる燃料ずしおの物資が投䞋されおいるから、それが成功の蚌明だなどずいう「資本䞻矩」に掗脳されきった「評䟡」では、どちらが「䜜品評䟡」ずしおたずもかは、もはや蚀うたでもないこずであろう。

぀たり、「けものフレンズ・プロゞェクト」による「新商品」が出なくなった途端に、『』以䞋に芋られおいる幻想ずしおの「オヌラ」は、雲散霧消するしかない。

そしおその結果、「けものフレンズ・プロゞェクト」総䜓のファンは、新しい「嫁」だの「ペット」だのを探しお、あっさり消えおしたうずいうのは、今どきの垞識に照らしお、明らかなこずなのである。


2023幎8月31日

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