祖父が残したかったもの⑦名前を忘れても、馬を覚えていた
父の故郷について聞き始めてから、幼いころの暮らしが見えてくるように、少しずつ記憶が動き出した。
地図を広げれば、通学した道が現れる。
昔の航空写真を見せれば、家や田んぼの位置を指さす。
「もう忘れてしまった」
そう言いながらも、何か一つ手がかりを見つけると、そこから次々と昔の風景が出てくる。
そんな父の話を聞きながら戸籍を眺めていると、祖父のきょうだいの中に、一人だけ登場しない人物がいることに気づいた。
「この人は?」
父はしばらく考えた。
「知らんなあ」
名前には、まったく覚えがないらしい。
ところが戸籍には、その人が結婚によって別の家に「入夫」したことが記されていた。
その家の姓を読み上げてみた。
すると、父の表情が変わった。
「ああ!」
名前ではなく、家の名前が記憶の扉を開けた。
そして突然、一頭の馬の話が始まった。
「戦争に行っててな。軍隊で使ってた下がりの馬を連れて帰ってきた人がおった」
祖父が家にあった精米機などを譲り、その人は別の集落で米屋をしていたという。
「店の裏には小学校があった」
父も兄と一緒に、その家へ行ったことがある。
けれど父が覚えているのは、米屋よりも馬だった。
「怖かったんや」
兄は平気な顔をして、さっさと馬の前を歩いていく。
父は、その後ろをおっかなびっくりついていった。
「馬があんなに怖いとは知らんかった。軍の馬やから荒いんや」
別の伯父は祖父から馬の乗り方を教わり、その馬に乗って遊んでいたという。
戸籍に残っている一人の名前。
父は、その名前を覚えていなかった。
けれど、その人が入った家を手がかりにすると、
米屋が現れ、
小学校が現れ、
兄が現れ、
そして一頭の馬が、父の記憶の中から歩いてきた。
最近、父への聞き取りをしていて思う。
「覚えている?」
そう人の名前を尋ねるだけでは、何も出てこないことがある。
けれど、
「この家は?」
「この道は?」
「ここに何があった?」
そうやって少し違う方向から尋ねると、思いがけないところから記憶がつながっていく。
この日も、「ほかに親戚はいなかった?」と尋ねてみた。
父はしばらく考えてから言った。
「県外にもおったで。正月に遊びに行ったことがある」
また一本、知らなかった道が伸びた。
もちろん、父の記憶がすべて正しいとは思っていない。
九十年近い人生の、幼いころの記憶だ。
場所が入れ替わっているかもしれない。
人物を取り違えているかもしれない。
だから私は、父の話を聞いたあと、戸籍を見たり、古い地図を広げたり、郷土史を探したりする。
確かめられるものは、できるだけ確かめたい。
そして、忘れてしまっていた故郷の風景を、もう一度、目に見える形にして父に見せてあげたい。
けれど、調べれば調べるほど、記録だけではわからないことがあるのだとも感じるようになった。
父の故郷について調べていると、地域の歴史をまとめた郷土史が今も販売されていることがわかった。
地方の図書館でも読むことはできそうだったが、調べたいことがたくさんある。手元に置いておこうと思い、購入について問い合わせた。
すると、すでに売り切れている本があるとのことで、役所の方から電話をいただいた。せっかくなので、地域の昔のことについて少し尋ねてみた。
その方が言った。
「昔のことは記録に残っていなくて、口伝がほとんどなんです。地域の長老から伝え聞いたことなんです」
長老。
その言葉が、妙に心に残った。
考えてみれば、もうすぐ90歳になる父も、とうに「長老」と呼ばれる人たちと同じ年代になっている。
そして私はその父から、戸籍にも郷土史にもおそらく書かれていない、一頭の馬の話を聞いた。
父の話を、すべて史料で確かめられるとは限らない。
確かめられないから、事実だと断定することもできない。
けれど、
確かめられないから、残さなくていいとも思わない。
「父は、こう覚えていた」
それもまた、今残しておかなければ、やがて失われてしまう一つの記録なのだと思う。
父が名前を忘れてしまっても、
怖かった一頭の馬は、
まだ、そこにいた。
