メルカリで「かもしれない」指輪を買う
人をぶん殴れる指輪が欲しい。
そう思い、ECサイトや百貨店を駆け巡った時期があった。
私の身をかばうように、たっぷりと包んでくれる。でも嫌な奴には、威嚇するように荒々しく光る。余裕があり、隙はない指輪。もちろん予算内で。
当然そんなに都合のいい話はない。
大量のスクリーンショットと、いくつかのアクセサリーブランドについての知識を残し、私の指輪ブームは燃え尽きた。
かと思えた。
(でも中古ならどうだろう)
数ヶ月ぶりに火がついたのは、ベビー服をメルカリで買い漁っていたときだ。
試しに「ターコイズ 指輪」と打ち込む。
すると、まさに目をつけていた指輪から、プラスチックの「ターコイズ風」まで。青緑色の石が検索結果にあふれた。
あれっ。もう、これでいいじゃん。
私は選ぶことに疲れていた。
値段に釣り合う価値があるものを。予算内で限りなくいいものを。絶対に損せず、後悔しないものを。
そして何も買えなくなった。
上限価格を「五百円」に設定したのは、検索結果を絞るためだけでなく、この値段なら偽物でも何でもいいと吹っ切れるからだった。
この値段で買える指輪は「材質不明」「サイズ不明」「ブランド不明」……まさに宝探しだ。
私はその中から、目に留まったひとつを買うことにした。中央に台形の石がついている。親指の爪くらいの大きさで、半透明のグレー。材質は「不明」。
「母がイタリアで四十年か五十年前に買った指輪です。石の種類やリングの材質は不明。イミテーションだと思いますが、それでも問題ない方に」
こんなに魅力的な「不明」があるだろうか。
半世紀近く前にイタリアで買った。他のことはわからない。
そんなの、細かい材質や店名がわかっているより、ずっと素敵じゃないか。
ということで、四百九十九円の指輪は茶封筒に入って届いた。サイズも不明だったが、親指なら抜け落ちないとわかった。
こんな買い物でなければ、指輪なんてつけなかっただろう親指。自分のいちばん近くに飾りがあるのは、予想を超えていいものだった。
無機質なキーボードを叩く指に、水底をくり抜いたような奥行きが生まれる。
この買い物に味を占めた。
ふたたびフリマアプリを開き、次は「整理」と打ち込んでみる。前の指輪を買ったときに「実家」「母」「祖母」と検索すれば、デザインは良く、しかし安い指輪が見つかると気づいていたのだ。
そういった指輪はたいてい実家の片づけや生前(もしくは没後の)贈与の末に売りに出される。それらの事情をいい感じに内包するワードが「整理」であった。
危険なところへ踏み込んでいる。
その自覚はあった。
先日は、あえて遺品を避けていた。
売りに出されるなら不要なはずだが。遺品には、なにかが残っている気がした。
その「なにか」は、指輪だけでなく「人生」への想いかもしれない。そう考えると恐ろしかった。
ところが、画面というフィルターが感覚を麻痺させていく。
それは細身のゴールドの指輪だった。
微妙にいびつで、ざらついている。
大事に使ったけれど、生活の中でぶつけてしまったのかもしれない。新品なら「ニュアンス」と呼ばれるその傷はいわば天然の傷で、私はスーパーで養殖より天然の魚を選ぶようにその指輪を買った。
生前贈与なのか。それとも。
どうか元の持ち主がご存命でありますように。
そう祈る一方で、本当に遺品かもしれない指輪を、私は候補から外せなかった。
数日後。ポストに投函された指輪は、想像以上に美しいものだった。
いま、すべての指輪をはめながらこの文章を書いている。
さきほど休憩がてら、同じ出品者からもうひとつ、指輪を買った。
