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綺麗な写真の先にあるもの

この写真は、特別な写真ではない。

劇的な光があるわけでもないし、
SNSでよく見かけるような強い天の川の写真でもない。
湿原で撮った、ただの星空の写真。

湿原特有の湿った空気が夜空に広がっていて、
天然のソフトフィルターのように星の光を少し拡散させている。

その中に、冬の天の川、オリオン座、さまざまな星雲、いろいろな色を持つ星、そして大気光。いろんな要素が写っている。

この写真を見返したときに僕が思い出すのは、
宇宙の情報量ではなく、その場所の空気。

湿った草の匂い、水面に映る星空、湿原の夜の静けさ、寒さ。
その空気の中に星空が広がっていた。

その空気を写し撮りたくて、僕はシャッターを切ったのだと思う。


綺麗な写真は、たくさんある

SNSを開くと、毎日すごい写真が流れてくる。

僕が昔撮ったもの(これがすごいとは言ってない)

圧倒的な天の川、劇的な光、完璧な構図。

技術的に完成された写真は世の中にいくらでもある。
もちろん、それはすごいことだと思う。
でも最近、そんな写真を見ながらふと思うことがある。

この写真は「何を伝えているのだろう。」

綺麗だと思う写真はたくさんある。
でも、なぜか記憶に残る写真はそれほど多くない。
この違いはどこにあるのだろう。


星景写真は宇宙の写真ではない

星景写真というと、
「地上の風景の上に宇宙が写っている写真」
だと思われいないだろうか。

でも実際には宇宙そのものを撮っているわけではない。
僕たちは星を見るとき、必ず大気を通して見ている。

湿度、雲、空気中の微細なチリ。
そういったものが星の光を拡散させたり、柔らかくしたりする。

だから星景写真は宇宙の写真というより風景の写真と思っている。


もう一枚別の写真

急な石段の前に踏切がある。
踏切が開くのを子どもと親が待っている。
親は子どもを守り、見守っている。
子供はタオルを肩にかけて帽子をかぶっている。
暑い夏の日だ。
少し上の階段では日陰でスマホを見ながら座り込んでいる人。
待ち時間のあいだ、ついスマホを見てしまう。

そんな現代の風景がこの一枚の中に写っているように見える。

別の人が見ればまったく違う視点が見えるかもしれない。
でも、それでいいのだと思う。


写真は答えを説明しない

写真について最近ひとつ思うことがある。

強い写真は
「何かを伝えている写真」なのではないか。
「問いを残す写真」なのではないか。

なぜこの場所を撮ったのか。
なぜこの瞬間だったのか。
この光景は何を意味しているのか。

写真を見た人がほんの少し立ち止まる。

その瞬間に写真はただの記録ではなく
作品になるのかもしれない。


写真は視点を写している

同じ場所に立っても、同じ写真を撮るとは限らない。
どこに目を向けるのか。何に心が動くのか。
それは人によって違う。

写真は風景を写しているようでいて撮る人の視点を写している

なぜその瞬間にシャッターを切ったのか。
その理由を考えることが写真を少しだけ深くする。
そんな気がしている。


写真を撮っている人なら一度は思ったことがあると思う。

「あの時、なぜ自分はシャッターを切ったのだろう」

その理由を言葉にできたとき、写真は少しだけ意味を持つのかもしれない。

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