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20歳年下の師匠。青春のなんかさ、中年のなんかね

お世話になっているブドウ農園で、来年度も勉強させていただくことにしました。

このブドウ農園の園主、20歳年下の師匠については、以前書かせていただいたのですが、最近、その師匠にまた新たな動きがありまして…


師「新たに、露地ハウスを借りてみたんですよ。ワイン用のブドウ栽培のためにー」
「ちょっとだけ荒れてはいるんですけどねー」

そう聞いて私が想像していたのは、まぁ「少し荒れている」くらいのものだった。草が伸びていて、資材が散らかっていて、まあ手はかかるけど、ひとつひとつ片づければなんとかなる。

そういう、まだ人間の理性が通じる範囲の荒れ方である。

しかしながら、実際に見たそれは、もう少し先にいた。

「Oh..」



荒れている・・というか、
朽ちていた。


数年前まで、誰かが使っていた気配はある。けれど今は、風と雨と年月が、誰にも引き継がれないまま仕事を続けていた。木まで生えている。

私は現地に立った瞬間、無意識に計算を始めた。

どこから手をつけるのか。
何日で終わるのか。

元公務員の性なのか、INFJ気質なのか、私は何かを見ると、可能性より先に工程を見積もってしまう。

夢に胸が熱くなるより前に、コスト、労力、リスク、だいたいそのへんの計算が脳のメモリを支配する。

そしてベジータに

一方、師匠は違う。

私が「これはなかなかの案件だぞ」と内心でヘルメットの緒を締め直している横で、師匠はチェンソーを担ぎ、もっと先の景色を見ている顔をしていた。

今の朽ち具合ではなく、その先。整ったあと、植えたあと、育ったあと。たぶんそういう未来のほうを見ている。

そして、私がまだその朽ち具合に心を追いつかせようとしている時だった。

さらりと言った。

「明日、苗木も届くんですよ」


ひゃっ、と思った。

「来週には植えましょう」


ひゃっ。

いや、声に出たかもしれない。
出ていないとしても、心の中では完全にどひゃっていた。


あした、

この状態で、

苗木が届く?

(「こんや、12じ、だれかがしぬ」のテンポで読んでいただけると幸いです笑 )

『かまいたちの夜』より

私の感覚では、まず今年いっぱいは整備である。
草を刈る。片づける。直す。動線を考える。資材を入れる。
そうやってようやく「そろそろ植えられそうですね」と言うのが、素人ながら、私の中の感覚だ。

しかし師匠は違った。

彼の時間は、未来が見えた瞬間に急に加速する。
私が「来年かな」と思っているところを、彼は「来週ですね」と言う。

この差である。

たぶん私は、石橋を叩いて叩いて、できれば点検報告書も読みたいタイプなのだと思う。
橋を渡るにしても、耐荷重はどうか、風速は問題ないか、帰り道は確保されているかまで少し気になる。
対して師匠は、向こう岸に面白そうなものが見えた瞬間、もう半分渡っている。

この人はすごいなと思う。
同時に、この人はすごいなと思う。
大事なことなので二回思う

次々に新しいことを考え、動き、借り、広げる。
普通なら「本当にやるんですか」と一歩引く場面で、「いいですね」と言いながら、もう次の手を考えている。

あの熱さは、やっぱり青春っぽい。
年齢が若いからという意味だけではなく、世界に対して「変えられる」という信念がある。
しかも、思うだけで終わらず、ちゃんと動く。

一方の私は、中年である。

中年になると、情熱の前に工程表が見える。
夢の前に腰や膝への負担が見える。
「いいですね!」のあとに、「で、誰がどこまでやるんですかね」が浮かぶ。
なんとも味わい深い生き物である。

今、私はその朽ちたハウスの再生を、師匠と一緒にやっている。
前に立って火をつけるのは師匠だ。
私はその横で、片づけて、整えて、運んで、地味に手を動かしている。

派手ではない。
ドラマみたいにBGMも流れない。
あるのは土、埃、汗、そして「これ今日どこまで進む?」という現実である。

でも、こういう役割はたぶん嫌いじゃない。

私は、自分でゼロから火を起こして世界を変えるタイプではない。
けれど、誰かが起こした火のそばで、その火がちゃんと燃え続けるように周りを整えることはできる。

勢いのある人がいる。
その勢いが形になるように、地味に支える人がいる。
公務員時代にも、意外とそういう場面はあった。
自分はたぶん、昔からそっち側の人間なのだと思う。

20歳年下の師匠は、朽ちたハウスにも未来を見る。
私はまず、手間と時間と人手を見る。
彼は来週には植えるつもりで、私は来年を想定してしまう人間である。

この差は、たぶんそう簡単には埋まらない。
でも、埋めなくていいのかもしれない。

朽ちたハウスを前にして、そんなことを思っている。


若い頃みたいに、何もかもを大きく信じるのは難しくなった。

でもその代わりに、誰かの熱を信じて、自分にできることを差し出すことはできる。

それは青春ではないのかもしれない。
でも、青春の続きみたいなものではある気がしている。

ちなみに、今後も農園はきっと拡大していく。
だからいつか、師匠の熱い想いに共感する若者が現れて、一緒に働くようになったらいいな、なんてことも思っている。

そして私は、
そんな若者たちの熱量を少し離れたところから眺めて、うんうんと頷いている。

麦茶でも飲みながら。

それが、今のところの理想かもしれない。


本日も読んでいただき、ありがとうございました🙇!
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ぐんぐーん

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