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私が通う美術館には、絵画がない。

私には、通っている美術館がある。
絵画は一枚も飾られていない。

入館料はいらない。

ただし、暑い。
クーラーはない。

それでも私は、毎朝その美術館へ向かう。
開館するのは、この時期だけ。

天井から何百もの作品が静かに吊り下がり、朝日を受けて、それぞれ違う色をまとっている。

甘い香りが漂うなか、遠くで鳴くウグイスの声に心地よさを感じながら、ゆっくりと歩く。

世界に同じものは、一つとしてない。

私の美術館は、ブドウハウスの中にある。


二年前まで、私はデスクワークをする公務員だった。
二十年近く働いた。

退職するときは勢いがあった。「人生は一度きり」そんな言葉を、自分自身に何度も言い聞かせながら、新しい世界へ飛び込んだ。

今はブドウ農家で働きながら、栽培を教わっている。

正直に言えば、退職直後の勢いは少し薄れた。

あのときの選択は正しかったのか。この先どうするのか。そんなことを考える日もある。

それでも朝になると、私はハウスへ向かう。
今日もあの景色を見たいと思うからだ。


農園の園主は二十代半ば。私より二十歳近く若い。

祖父の畑を引き継いでブドウ農家として独立。すでに堂々たる農業者だ。栽培の技術も考え方も、惜しみなく教えてくれる。

地域の農業者としてさまざまな活動に貢献する一方、海外で学んだりと、日々試行錯誤している。

その姿を見るたび、かつての至らない自分を思い出す。

私はとにかく失敗しない人生を探していた。石橋を叩き続けてきた。

彼は、守りたいもののために、新しい橋を黙々と架けようとしている。

そんな彼の姿を見ていると、挑戦とは、毎日の地道な選択と行動なのだとあらためて思う。


今育てているのは二つの品種。

シャインマスカットと、マスカット・オブ・アレキサンドリア。どちらも素晴らしい品種だ。

でも私は、アレキに恋をした。

放っておくとすぐ機嫌を損ねる。とても気難しい。
栽培中の少しの違いを、そのまま粒に表す。

そのくせ、香りはどこまでも気高く、
そして、美しい。

その一言で済ませるには惜しいほど、美しい。


私は渓流釣りが好きだ。

シャインマスカットはニジマスに似ている。
生命力にあふれ、豪快で力強い。

一方、アレキはヤマメだ。
繊細で、少し気難しい。どこか懐かしくて甘い香りを放つ。

そして、品格と美しさがある。

ひんやりとした渓流で美しいヤマメと戯れる。
そんな時間が、疲れていた自分の救いだった日もある。

そういえば、ヤマメは「渓流の女王」。
アレキは「果物の女王」と呼ばれている。

どうやら私は昔から、女王に弱いらしい。


アレキは、とにかく手がかかる。

香りや甘さを大切にするため、タネも残す。

粒が大きくなってきたころには、粒を間引く作業に数度入る。

美しい房になるよう、先の姿を見据えて、一房ずつ形を整えていく。

美しさを育てていく。

足下には、間引いた粒。
美しくなるために、選ばれなかった粒。

落ちている粒の数、入れたハサミの回数。そのすべてに、想いが込められている。

そうして、時間をかけて、かけて、かけて、一房を仕上げていく。

何十回もの「これでいいだろうか」と立ち止まる葛藤を積み重ねて。

商品として並ぶ一房に、その裏側を知る人は多くはない。

以前の私も、店頭で見て「ちょっと高いな」「美味しそうだな」、それだけだったと思う。

今は違う。

この作品を仕上げるために、花穂を整えた誰かの手が見える。

粒を間引く真剣な眼差しが見える。

暑いハウスの中で、黙々とハサミを動かす人が見える。

届ける一房のために、願いを込め続けた日々。
その時間の流れまでが見える。

だから私は、アレキの房を「美味しそう」より先に、「美しい」と思う。


最近は、和菓子に加工するためのブドウの収穫作業を行っている。

収穫する房は、出荷の規格以上に大きくなってしまった房などだ。

一房ずつしっかりと糖度を確認する。

糖度〇・五度の違いがとてつもなく大きい。
そんなこともわかるようになってきた。

美味しいアレキになりますように。

春先に、そう願いながらハサミを入れた。
その願いは、ちゃんと届いただろうか。

自分が取り組んだ仕事の答え合わせをしながら一房ずつ収穫していく。

外では子どもたちが学校へ向かって歩いていく。元気な声が聞こえる。その声を聞きながら、私は今日も糖度計をのぞいている。

この時間が好きだ。


マスカット・オブ・アレキサンドリアの出荷量は年々減ってきている。時代が変われば、選ばれる品種も変わる。それは自然なことだと思う。

でも、この土地には何十年もアレキを育て続けてきた人たちがいる。

もっと栽培効率のいい品種があっても、厳しい基準で、この香りと形、品質を守り続けてきた人たち。

その姿を見ていると、これは農業であると同時に文化だと思う。

技術と同時に誇りなんだと思う。


これまでの自分の人生の選択が正しかったのか、まだ分からない。 私は相変わらず、石橋を叩きたくなる人間だ。

でも、一つだけ確かなことがある。

朝、ハウスに入る。静かに立っている樹を見上げる。そこから垂れ下がるアレキたち。その瞬間、私は思う。

「今日もきれいだ」と。

この思いは、嘘じゃない。
心が満たされる。

手を止めて見上げる空に、ウグイスと子どもたちの声が響いている。


美術館には、作品の横に説明文が添えられている。
誰が描いたのか。
いつ描かれたのか。
どんな思いが込められているのか。

でも、この美術館には何も書かれていない。

だから私はここに書き記しておきたい。

アレキの一房には、これまで地域の人たちが積み重ねてきた時間があること。

何十年も磨き続けた技術と伝統、その先にこの房があること。

誇りがあること。

そして、その美しさに感動している人間が、ここに一人いること。

この美しさに気づいてしまった一人として、その感動を誰かに手渡したい。

明日の朝も、この美術館は静かに開館する。

そして、説明文のない作品を前に、

きっと、

「あぁ、きれいだ」と立ち尽くしてしまう。




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