SBTi「企業ネットゼロ基準V2.0」を、読む。
2026年6月11日、企業の気候目標設定における事実上の世界標準を運営するSBTi(Science Based Targets initiative)が、旗艦基準である「企業ネットゼロ基準(Corporate Net-Zero Standard)」のバージョン2.0を正式に公表しました。2021年の初版公表から約5年、2回の公開協議と1年以上のパイロットテストを経た、SBTi最大の改定です。
本稿では、この改定の中身を一次資料(基準本文、エグゼクティブサマリー、FAQ、移行ガイド)に基づいて読み解きます。V2.0の本質は「入口の厳格さ」から「説明責任の厳格さ」への重心移動です。スコープ3の一律要求、合否一発勝負の検証、クレジット全面排除という旧来の「狭き門」は確かに大きく緩みました。しかしその代わりに、5年ごとの目標再設定、毎年の進捗開示、最新データへの基準年更新という「逃げ場のない継続的説明責任」が組み込まれています。緩和と厳格化が同時に進行した、極めて戦略的な改定だと評価できます。脱炭素担当者の方はもちろん、サプライチェーンからの要請に悩む中堅企業の方、開示・調達・経営企画の方にも役立つ内容を目指しました。今日も楽しんでいってくださいね!

SBTiとは何か
SBTiは2015年、CDP、国連グローバル・コンパクト、世界資源研究所(WRI)、WWF(世界自然保護基金)の4機関によって設立された国際イニシアティブです。企業が掲げる温室効果ガス削減目標が、パリ協定の「1.5度目標」と科学的に整合しているかどうかを、第三者として検証・認定する役割を担ってきました。法的拘束力を持つ規制ではなく、民間の自主的枠組みです。SBTiの認定を受けた企業は世界で1万社を突破し、国別で最も多いのは日本企業で、2,000社を超えて世界をリードしています。日本は2024年8月に認定・コミットメントの合計数で英国を抜いて世界1位となって以来、その地位を維持しており、世界の認定企業のおよそ5社に1社が日本企業という計算になります。SBTiの中核文書が、2021年10月に公表された「企業ネットゼロ基準(CNZS)」の初版です。これは「企業のネットゼロとは何か」を世界で初めて体系的に定義した基準であり、その後の各国の移行計画開示制度や金融機関のネットゼロ評価にも大きな影響を与えました。公表後の普及は急速で、SBTi自身の調査によれば、目標を設定した企業の91%が組織全体にプラスの影響があったと回答し、95%が評判の向上を、80%が投資家からの評価や関係の強化を、80%が戦略の一貫性と長期ビジョンの改善を、72%が将来の規制変化へのレジリエンス向上を実感しています。さらに86%の企業が、脱炭素の進捗ペースそのものへの好影響を報告しています。目標提出数は2024年、2025年と2年連続で過去最多を更新しており、量的な勢いは衰えていません。ちなみに本稿でいう「認定」とは、企業が提出した目標をSBTiの完全子会社であるSBTiサービシズが基準に照らして検証し、適合を確認した状態を指します。認定された企業は公開のダッシュボードに掲載され、CDPの質問書回答や統合報告書、取引先からのサプライヤー調査票などで広く参照されるため、認定の有無は事実上、サプライチェーン上の信用情報として機能しています。
V1は何がどう厳しかったのか
第一の厳格さは、スコープ3(サプライチェーン排出量)の扱いでした。V1では、スコープ3がスコープ1・2・3合計の40%以上を占める企業は、スコープ3の削減目標設定が必須とされました。製造業、小売業、商社、食品、アパレルなど、まともなバリューチェーンを持つ企業であれば、ほぼ例外なくこの40%基準に該当します。しかも近期目標ではスコープ3排出量の3分の2(67%)以上をカバーする必要があり、長期目標に至っては90%以上のカバレッジが要求されました。自社で測定することすら困難で、ましてや直接制御できない他社の排出量について、総量ベースの削減責任を負わされる――これが多くの企業にとって最大の参入障壁となりました。
第二の厳格さは、削減水準の一律性です。近期目標(当初は5〜10年、後に最長5年)では、スコープ1・2を合算した上で1.5度整合、すなわち年率約4.2%の直線的な絶対量削減(2030年までに約42%削減に相当)が業種を問わず要求されました。長期目標では、2050年までに全スコープで90%以上の絶対量削減を達成し、残余排出量(約10%)を恒久的な炭素除去によって中和して初めて「ネットゼロ達成」を主張できる、という構造です。鉄鋼やセメントのように設備寿命が40年を超える資産集約型産業も、創業数年のサービス業も、基本的に同じ直線を歩むことが求められました。
第三の厳格さは、カーボンクレジットの全面排除です。V1では、購入したクレジットを削減目標の達成手段として算入することは一切認められませんでした。クレジットの居場所は、ネットゼロ到達時点での残余排出量の「中和」と、目標達成とは別枠の自主的貢献である「バリューチェーン外の緩和(BVCM)」に限定されていました。科学的純度を守るという点では筋の通った設計でしたが、結果として、品質の高いクレジットに投資して途上国の脱炭素や森林保全を支える企業と、何もしない企業が、基準上は同じ扱いになるという逆説を生みました。
第四の厳格さは、時間的規律です。SBTiに「コミットメント(2年以内に目標を設定するという宣言)」を登録した企業は、24ヶ月以内に目標を提出し検証を受けなければならず、期限を過ぎれば「コミットメント取消(Commitment Removed)」として公開のダッシュボード上にラベル付けされる仕組みでした。基準年も過去の実績年(2015年以降)に固定され、検証は実質的に合否型でした。

V2.0の全体像――革新と、まったく新しい目標メニュー
SBTiはV2.0の革新を整理しています。「市場ごとに差異化されたアプローチ」、「実行可能で文脈に応じた目標設定」、「ベストエフォート原則に基づく透明な遂行」、「実装ヒエラルキーによる全レバーの動員」、「継続的な評価・開示・改善」、「継続排出への責任(Ongoing Emissions Responsibility)」です。

最初に押さえるべき構造変化は、企業区分の導入です。V2.0は全企業を2つのカテゴリーに分けます。「カテゴリーA」はすべての国の大企業と、高所得国の中堅企業。「カテゴリーB」はすべての国の小規模企業と、低・中所得国の中堅企業です(区分は売上高などの基準で定義されます)。そしてカテゴリーB企業に対しては、移行計画の開示、基準年データの第三者保証、さらにはスコープ3の目標設定までもが「任意」とされました。もちろんSBTiはB企業にも最低要件を超える取り組みを強く推奨していますが、要求の骨格として、企業の規模と所在国の経済状況に応じた負担調整が初めて公式に組み込まれたのです。コングロマリットの子会社が独立した事業体として運営されている場合に、別企業として扱える明確化も加わりました。これは持株会社制の多い日本企業には実務上ありがたい整理です。

次に、目標の「メニュー」が根本的に変わりました。V1の構造は、近期目標と長期目標とネットゼロ宣言が一体となったフルコース型でした。V2.0では、すべての企業に必須なのは「近期目標(5年サイクル)」のスコープ1とスコープ2のみです。スコープ3の近期目標はカテゴリーA企業にのみ必須となります。長期目標(2050年までに残余排出量水準へ到達する目標)は、スコープ1については選択する目標設定手法によって必須となる場合がありますが、スコープ2とスコープ3では全企業にとって任意です。そして最も象徴的なのは、近期・長期の各スコープ目標と残余排出の中和を組み合わせた「ネットゼロ目標」そのものが、全企業にとって任意(オプション)とされたことです。なお、ここでいう近期目標の5年は、設定して終わりの5年ではなく、サイクルとして回り続ける5年です。サイクルの終わりには進捗が評価され、最新の排出データを新しい基準年として、次の5年の目標を改めて設定する。この反復構造こそが、後述する「除名されない代わりに、逃げられもしない」設計の土台になっています。

基準の文書構成も再編されました。本体である企業ネットゼロ基準を、「手法と経路(Methods and Pathways)」「保証(Assurance)」「主張(Claims)」という3つの補完文書が支える構造です。さらにSBTiは、GHGプロトコルとの緊密な連携(特にスコープ2の時間マッチングと市場証書の扱い)、ISOが開発中のネットゼロ規格との相互補完、市場証書の完全性に関する第三者枠組みの認知方針を明記しており、乱立する諸基準の中で「野心設定と行動の統括フレームワーク」としての位置取りを鮮明にしています。
ガバナンス面では、目標設定に対する社内最高レベルの承認と、目標実装を監督し炭素戦略と事業戦略を統合する体制の整備が要求されます。また全企業に、目標実装の主要アクションと依存関係、ネットゼロへの大筋の道筋を示す「移行計画」の策定が義務付けられました。カテゴリーA企業は目標検証時にこれを開示する必要があります(最大15ヶ月の猶予あり)。目標の土台となる基準年についても大きな転換があり、V1の「過去の実績年に固定された基準年」から、「最新データに基づく基準年」へと変更されました。カテゴリーA企業には基準年データへの限定的保証(リミテッド・アシュアランス)の取得が必須となります。この基準年の変更は一見地味ですが、後述するとおり「緩和」と「厳格化」の両方の顔を持つ、V2.0の設計思想を象徴する変更点です。

緩和の核心その1――スコープ3の呪縛からの解放
V1で最大の参入障壁だったスコープ3要件は、3つの方向から抜本的に再設計されました。

第一の緩和は、対象企業の絞り込みです。前述のとおり、スコープ3の目標設定が必須となるのはカテゴリーA企業のみとなりました。V1の「合計排出量の40%以上なら一律必須」というルールの下では、売上数十億円の部品メーカーであっても、購入品や販売製品の排出が大きければスコープ3目標を求められました。V2.0では、小規模企業と低・中所得国の中堅企業は、まずスコープ1・2という「自社で測れて、自社で動かせる」領域に集中することが公式に認められます。これは、サプライチェーンの裾野に位置する膨大な数の企業にとって、SBT認定への扉が実質的に開かれたことを意味します。
第二の緩和は、対象範囲の合理化です。カテゴリーA企業であっても、近期目標から正当な理由のある限定的な除外を行えるようになりました。具体的には、スコープ3全体の5%未満しか占めない個別カテゴリー、スコープ1・2の目標を通じてエネルギー消費削減で対処されるカテゴリー3(燃料・エネルギー関連活動)、そしてリース資産や販売製品の加工のように運用上の支配が及ばず実質的な影響力を欠く活動などです。V1の「とにかく67%をカバーせよ」という機械的要求から、「重要で、影響を及ぼせる排出源に焦点を当てよ」という目的志向の要求への転換であり、排出量算定の現場を疲弊させてきた「精緻だが意味の薄い計算」を減らす効果が期待できます。
そして第三の、最も重要な緩和が、目標タイプの複線化です。V2.0はスコープ3の近期目標に3つの選択肢を用意しました。

1つ目は従来型の「総量削減目標」で、基準年から2050年までに残余排出量約10%以下に向かう直線的な削減経路を引くものです。2つ目が新設の「サプライヤー・顧客アラインメント目標」で、自社の排出量そのものではなく、「一次(ティア1)サプライヤーや顧客のうち、科学的根拠に基づく目標を設定し、その達成に向けて前進している企業の割合」を一定のベンチマークまで高めていくことを目標とする方式です。3つ目が「カテゴリー・活動特定目標」で、特定のスコープ3カテゴリーや高排出活動に排出が集中している企業向けに、低炭素な原材料・コモディティの調達拡大や低炭素な製品・サービスへの段階的転換を促す、オーダーメイド型の目標設定を可能にします。この3つ目の選択肢では、鉄鋼・セメント・輸送のようにセクター別経路が存在する上流排出、その他の上流排出、下流排出という3区分ごとに、利用可能な削減レバーを反映した目標設定方法が用意されています。
この複線化の意味を、実務の言葉に翻訳してみます。V1の総量目標一本槍の世界では、例えば数千社のサプライヤーを抱える組立メーカーは、自社が直接制御できない他社の排出量について、毎年の総量変動(景気、為替、生産量、排出原単位データの更新)に振り回されながら説明責任を負っていました。アラインメント目標の世界では、同じ企業が「主要サプライヤーにSBT設定を働きかけ、その設定率を高める」という、自社の行動と直結したKPIで評価されます。排出量という結果指標から、エンゲージメントという行動指標への翻訳です。これは、グリーン調達基準やサプライヤー説明会といった日本企業が既に持っている実務装置と極めて親和性が高く、「やっていることを目標の言語に変換できる」改定だと言えます。また、排出が特定コモディティに集中する商社・食品・建設のような業態では、カテゴリー特定型を使って「低炭素鋼材の調達比率」「認証原材料への切り替え」のような調達側の目標を組めるようになり、目標と購買戦略が初めて一枚の絵になります。
具体例で考えてみましょう。年間のスコープ3排出量が100万トンで、その7割が購入した製品・サービス(カテゴリー1)に由来する電機メーカーがあるとします。V1の総量型では「2030年までにスコープ3を25%削減する」といった目標になり、その達成可否は、サプライヤー各社の削減努力に加えて、景気変動による生産量の増減や、排出原単位データベースの改定といった自社の手の届かない要因に大きく左右されました。V2.0のアラインメント型であれば、例えば「調達金額ベースで上位8割を占める一次サプライヤーのうち、SBTを設定済みの企業の比率を、現在の3割から5年間で6割へ引き上げる」という目標が組めます(数値は説明のための仮置きです)。前者が結果を約束する目標であるのに対し、後者は自社の行動を約束する目標であり、調達部門の年度計画と人事評価にそのまま落とし込める、という決定的な違いがあります。
なお、スコープ3の長期目標は原則任意となりました。V1で「2050年に90%カバレッジで90%削減」という、四半世紀先の他社排出量に対する確約を求められていたことと比べれば、これも大幅な現実化です。総じてスコープ3の再設計は、「測定と総量管理の責任」から「影響力の行使と市場転換への貢献」へと、企業に求める役割の定義そのものを書き換えたものと評価できます。2024年に半数の企業が「最大の障壁」と名指ししたものへの、5年越しの回答です。
緩和の核心その2――「ベストエフォート原則」と、除名されない設計
V2.0のもう一つの思想的転換が、基準全体を貫く「ベストエフォート(最善努力)原則」の採用です。
bV1の世界観では、目標は達成すべき契約のようなものでした。建前上、未達成に対する直接の罰則はなかったものの、目標更新時の扱いは不明確で、コミットメント期限を破れば公開の場で「取消」のラベルを貼られる――2024年の239社が経験したとおりです。企業の側から見れば、SBT認定とは「達成できなかったときに何が起きるか分からない約束」であり、法務部門やIR部門が認定取得に慎重になる最大の理由はここにありました。実際、規制動向や訴訟リスクに敏感な企業ほど、「守れるか確証のない目標は掲げない」という合理的判断に傾きます。厳格さが野心を萎縮させるという逆説です。
V2.0はこの構図を正面から書き換えました。公式文書は「野心的な気候目標は行動の触媒である」と位置づけた上で、企業の支配が及ばない要因が進捗に影響しうることを明示的に認めます。その上で企業に求めるのは、科学に基づく目標を合理的な実装計画とともに設定すること、自社の支配下にあるあらゆるレバーを実際に使うこと、障壁によって達成が制約された場合にはその内容と緩和策を透明に報告すること、そして時間をかけて障壁に対処していることを示すことです。これらを満たす限り、企業はSBTiの枠組みの中に留まり、ネットゼロへの歩みを続けることができます。「未達=脱落」ではなく「不誠実=脱落」へと、退出条件の定義が変わったのです。
ベストエフォート原則には三重の規律が組み込まれています。第一に、進捗報告は毎年の開示と定期的な保証(アシュアランス)を伴い、外部の精査に晒されます。第二に、5年の目標サイクルの終わりには「サイクル末評価」が行われ、次のサイクルの目標を設定する際には、SBTiの保証マニュアルに定められる「最低進捗基準」を満たす必要があります。つまり、何もしなかった企業が次のサイクルに進むことはできません。第三に、これが最も巧妙な仕掛けですが、目標年の排出量が計画を上回っていた場合、次のサイクルではより急勾配の削減が要求されます。基準年が「最新データ」に更新される設計と組み合わさることで、未達分は帳消しにならず、次の5年の宿題として自動的に繰り越されるのです。合否の一発勝負から、終わりのない継続的改善プロセスへ。これは品質管理におけるPDCAサイクルの思想そのものであり、「一度の失敗で退場させるより、失敗を開示させながら走り続けさせる方が、総削減量は大きくなる」という割り切りだと理解できます。
緩和の核心その3――市場メカニズムの復権とクレジットの新しい居場所
3つ目の大転換が、市場メカニズム、すなわち各種証書とカーボンクレジットの扱いです。V2.0はまず、目標実行ヒエラルキー/実装ヒエラルキーという優先順位の考え方を導入しました。

第一優先は「直接行動」、すなわち自社の操業とバリューチェーンの中で排出を発生源から減らすことです(省エネ、燃料転換、サプライヤー・顧客へのエンゲージメントなど)。
第二が「活動プール内の行動」で、電力網やガスグリッド、サプライシェッド(調達圏)、物流ネットワークのような共有システムに排出が紐づく場合、そのシステムの中での脱炭素行動が認められます。ここで重要なのは、この行動を「低炭素属性を運ぶ市場証書」で支えてよいと明記されたことです。対象は電力の属性証書にとどまらず、バイオメタン、さらには鉄鋼やセメントのような素材のコモディティ証書にまで広がり、マスバランス方式やブック・アンド・クレーム方式といった複数の管理連鎖(チェーン・オブ・カストディ)モデルが、ガードレール付きで容認されました。
第三が「セクターレベルの行動」で、活動レベルでも活動プールレベルでも選択肢が制約される場合に、同種の活動・関連する地理的文脈という条件の下で、より広いセクター単位の行動が認められます。これらの行動と市場証書には、プロジェクトの追加性や、証書発行プログラムがシステムレベルの効果を実証することといった最低限の完全性基準が課され、SBTiは今後、関連する第三者枠組みを認知する方針です。

さらに「主張(クレーム)」のルールが明確に区別されました。自社の物理的インベントリ内の排出削減につながる行動は企業レベルの削減主張に反映できる一方、活動プールやセクターレベルの脱炭素を支援する行動は「システム貢献主張」という別建ての主張になります。つまり、書類上の帳尻合わせと実削減の混同を防ぐ仕切りを立てた上で、これまで評価のしようがなかった「市場づくりへの貢献」に公式の言葉を与えた、というのが正確な理解です。
スコープ2(購入電力)の要件も、実務の長年の不満に応える形で柔軟化されました。目標の対象となる「低炭素電力」には、再生可能エネルギーだけでなく原子力や、CO2回収・貯留(CCS)を備えた発電も含まれることが明記されました。目標形式も、排出量の削減と低炭素電力比率の引き上げのいずれか、または両方を選べます。調達契約については、運転開始から15年以内の発電設備との契約が認められ(他の枠組みとの整合とプロジェクトの事業性・ファイナンス期間への配慮です)、運転開始から36ヶ月未満の新設プラントについては、より長期の電力購入契約(PPA)も可能です。既存契約は契約期間中グランドファザリング(既得権保護)され、新要件への適合を求められません。調達と消費が同一の「デリバラビリティ・リージョン(供給可能圏)」内にあることが原則ですが、隣接圏への送電接続権を示せる場合の例外や、複数圏の需要を束ねて単一の長期契約を結ぶ実務的取り扱い、低炭素電力の供給不足のような構造的障壁がある場合のセクターレベル行動への迂回路も用意されています。
一方で透明性の要求は強まり、電力使用量の大きい企業には、時間単位(アワリー)で低炭素電力とマッチングできている消費の割合を報告する義務が課されました。高水準の時間マッチングを達成した企業には、SBTiによる任意の認知(レコグニション)が与えられます。V2.0が報告義務と任意認知という二段構えを採ったのは、いわゆる24時間365日カーボンフリー電力(24/7 CFE)の考え方を、義務化の急進で市場を混乱させることなく主流化させるための、現実的な歩幅の選択だと読めます。
そしてカーボンクレジットです。V2.0は「継続排出責任(Ongoing Emissions Responsibility、OER)」という新しい概念装置を導入しました。

これは、企業が削減目標に向かって歩んでいる間にも大気中に排出され続けている「継続排出」について、その影響に対処する行動を取った企業を、任意の認知プログラムとして評価する仕組みです。設計は驚くほど柔軟です。野心の水準は継続排出量の1%から100%まで企業が選べます。手段も、排出削減クレジットか除去クレジットか、除去が恒久的(長期貯留)か否かを問わず、さらには事前(ex-ante)の緩和資金拠出、低炭素技術の研究開発、適応・レジリエンス、損失と損害への支援といった広義の気候貢献まで認められます。認知対象には高完全性枠組みに整合した最低基準が設定され、第三者枠組みの認知アプローチも開発されます。重要な留保として、SBTiはこれを一貫して「自社排出削減の補完であって代替ではない」と強調しており、クレジットで削減目標そのものを達成すること(いわゆるオフセットによる目標達成)は引き続き認められません。その上で、2035年からは継続排出責任を義務化する意向と、ネットゼロ時点での残余排出の中和要求が予告されています。
第見落とされがちな第四の緩和――スコープ1の三択と「資産移行アプローチ」
スコープ1(自社直接排出)の目標設定にも重要な複線化が行われました。

V2.0は近期のスコープ1目標に3つの選択肢を用意しています。1つ目は従来型の「絶対量削減」で、最新データの基準年からネットゼロ年に向かう直線的な排出削減経路です。2つ目は「排出原単位削減」で、鉄鋼・セメント・化学のようにセクター固有の削減機会を反映して設計された、セクター別の原単位経路に沿う方式です。そして3つ目が新設の「資産移行(アセット・トランジション)」アプローチです。これは、資本ストックの更新サイクルが直線的な経路ともセクター経路とも一致しない企業のための選択肢で、既存資産を効率的に運転しながら低炭素資産へ計画的に置き換えていく移行計画を、あらかじめ定めたマイルストーン(新規の排出資産への投資を停止する時期、既存資産の運転期限など)や、科学的経路から導いた炭素予算(カーボンバジェット)に基づいて設計するものです。この場合も、対象サイクルにおける削減量という定量目標を移行計画の中で定めることが要求され、商業機密に配慮して詳細な投資計画の公開までは求めない、という現実的な線引きがされています。この変更が誰を救うのかは明白です。発電所、高炉、セメントキルン、化学プラント、船舶のように、一基あたりの投資が数百億円規模で寿命が数十年に及ぶ資産を持つ企業にとって、「毎年4.2%の直線削減」は物理法則と会計の双方に反する要求でした。設備は連続的には減価しません。大型更新のタイミングで階段状に排出が落ちるのが現実です。資産移行アプローチは、この階段状の現実を「いつ、どの資産を、何に置き換えるか」という投資の言語で表現することを認めた上で、その総量を炭素予算という科学の言語で縛る、という折衷です。なお、原単位経路や資産移行を選んだ企業には長期目標の設定が必須となるため、「緩い経路を選んで2050年の責任から逃げる」ことはできない設計になっています。重厚長大産業の比率が高い日本の産業構造にとって、この三択化は実務上、スコープ3改革に匹敵するインパクトを持つと筆者は考えています。
緩和だけではない――実は「厳しくなった」点を直視する
要求が明確に強化された領域がいくつもあります。
第一に、基準年の「最新データ化」です。V1では2015年以降の任意の過去年を基準年に固定できたため、早い時期に大幅削減を達成した企業は、いわば過去の貯金で目標進捗を演出する余地がありました。V2.0では目標サイクルごとに最新データの基準年へ更新され、各サイクルの削減経路がその時点の排出実態からネットゼロ経路へ再整合されます。過去の栄光は次のサイクルには持ち越せません。逆に未達も、前章までに見たとおり次サイクルの急勾配として確実に引き継がれます。緩和の顔(再出発を認める)と厳格化の顔(貯金を認めない)が同居する、V2.0の設計思想を最も象徴する変更です。

第二に、検証後の規律です。V1の実態は「認定取得がゴール」になりがちで、取得後の進捗を体系的に追う仕組みは限定的でした。V2.0は、毎年の進捗報告、定期的な保証、5年ごとのサイクル末評価、次期目標設定時の最低進捗基準という四重の事後規律を標準装備しました。カテゴリーA企業には基準年データへの限定的保証の取得が必須となり、排出量データの品質そのものに監査的規律が入ります。

第三に、移行計画の必須化です。全企業に対し、目標実装の主要アクションと依存関係、ネットゼロへの道筋を示す移行計画の策定が求められ、カテゴリーA企業は検証時の開示まで要求されます。SBTiは計画の存在と必須要素の具備を検証し、開示によって市場の評価に晒します。「目標は掲げたが計画はない」という状態は、もはや基準上許容されません。
第四に、ガバナンス要件です。SBTi目標には社内最高レベルの承認が必要となり、炭素戦略と商業戦略を統合する監督体制が求められます。サステナビリティ部門の意欲だけで走る時代の終わりを、基準が公式に告げた形です。
第五に、透明性の射程拡大です。電力多消費企業への時間単位マッチング率の報告義務、ベストエフォート原則に伴う障壁・前提・依存関係の開示要求など、「何ができていないか」を語らせる仕組みが随所に組み込まれました。緩和された入口の代償として、走り続ける限り説明し続ける義務を負う。これがV2.0の取引条件です。

付言すれば、この「説明し続ける義務」は、各国の開示規制との相互作用によってさらに重みを増します。移行計画と進捗の開示が法定開示の枠組みに組み込まれていく世界的潮流の中では、SBTi向けに報告した障壁や前提条件が、投資家向けの法定開示と食い違っていれば、直ちに整合性を問われます。任意基準だから緩くてよい、という暗黙の前提は、開示の法制化によって静かに失効しつつあるのです。
日本企業への示唆――世界最多2,000社の国として
日本はSBT認定企業数で世界最多の2,000社超を擁し、世界の認定企業の約2割を占めています。V2.0の影響を最も大きく受ける国であると同時に、その運用実態を世界に先んじて形作る国でもあります。観点を分けて整理します。
第一に、中堅・中小企業への影響です。日本のSBT認定社数を押し上げてきた主役は、実は大手サプライチェーンの要請を受けた中堅・中小企業でした。V2.0のカテゴリーB区分により、小規模企業はスコープ3目標・移行計画開示・基準年データ保証が任意となり、認定取得の実務負担は大きく下がります。これまで「スコープ3の算定体制が組めないから」と認定を見送ってきたサプライヤー層にとって、スコープ1・2に集中した5年目標という入口は現実的な選択肢になりました。親事業者側から見れば、取引先にSBT設定を要請する際のハードルが下がったことを意味し、後述するアラインメント目標と組み合わせることで、サプライチェーン全体の目標設定率を引き上げる好循環を設計できます。
第二に、大企業(カテゴリーA)のスコープ3戦略です。日本の大手製造業・小売・商社の多くは、数千社規模のサプライヤー網と、グリーン調達ガイドライン、サプライヤー説明会、共同改善活動といったエンゲージメント装置をすでに持っています。新設のサプライヤー・顧客アラインメント目標は、この既存資産を目標の言語に直結させるものです。「主要サプライヤーのSBT設定率を何年までに何割へ」という目標は、調達部門のKPIとして運用可能であり、排出量の年次変動に一喜一憂する総量目標よりも、組織を動かす力は強いかもしれません。また、排出が鉄鋼・セメント・燃料のような特定コモディティに集中する建設・エンジニアリング・エネルギー業態では、カテゴリー特定型目標と低炭素材のコモディティ証書(マスバランスやブック・アンド・クレーム)の組み合わせが、グリーンスチールや低炭素コンクリートの調達戦略をそのまま基準上の前進として可視化する経路を開きます。業種ごとの目線も少し足しておきます。電機・精密機器では部品サプライヤーの裾野が極めて広いため、アラインメント型目標と、中小サプライヤーのカテゴリーBによる入門の組み合わせが最も効果的でしょう。食品・小売では農業由来排出を扱うFLAG分野との関係が引き続き論点ですが、調達圏(サプライシェッド)内での農業介入を活動プールの行動として位置づけられる設計は明確な追い風です。金融機関には別途「金融機関ネットゼロ基準」が用意されているため本稿の直接の対象ではありませんが、投融資先のSBT設定率を高めるという発想はアラインメント目標と同型であり、実体経済側のV2.0移行は、金融側の評価軸にも確実に連鎖していきます。
第三に、電力調達とGX政策との整合です。スコープ2の「低炭素電力」に原子力とCCS付き火力が明示的に含まれたことは、再エネ・原子力・水素・CCSを総動員する日本のGX戦略の電源構成と、国際基準の定義が大きく重なったことを意味します。再エネ調達の限られる地域・業態でも、低炭素電力比率という目標形式で前進を示せる余地が広がりました。同時に、時間単位マッチング率の報告義務は、日本の非化石証書制度やトラッキングの粒度に対する高度化圧力として働くはずで、30分値ベースで需給と証書を突合できる体制づくりは、電力多消費企業にとって早めに着手すべきテーマです。
第四に、開示制度との接続です。日本ではSSBJ基準に基づくサステナビリティ開示の有価証券報告書への組み込みが段階的に進んでおり、気候関連の移行計画は開示実務の中心論点になりつつあります。V2.0が全企業に移行計画を必須化し、大企業には検証時開示まで求めたことで、SBT対応と法定開示対応は事実上一体の作業になります。別々の部署が別々の文書を作る体制は、もはや二重コストでしかありません。目標、移行計画、進捗報告、保証を単一のガバナンスとデータ基盤に載せる統合が、2027年に向けた社内体制設計の本丸になります。
第五に、継続排出責任(OER)のメニューの広さは、気候とそれ以外のサステナビリティ課題をつなぐ蝶番になり得ます。認知対象には除去や削減クレジットだけでなく、適応・レジリエンスや損失と損害への貢献まで含まれており、高品質な自然由来クレジット、流域の防災・減災投資、ブルーカーボンのような海洋生態系由来のクレジットへの拠出が、気候基準の文脈で公式に評価される回路が開かれました。気候とネイチャーポジティブを運営してきた企業にとって、OERは両者を一つの貢献ポートフォリオとして経営層に提示する好機になりそうです。
移行スケジュールと実務対応――2026年から2028年への分岐点
では、企業は具体的にいつ、何をすべきなのでしょうか。公式に示された時間軸を整理します。
V2.0そのものでの検証受付は、2027年第1四半期にSBTiサービシズの検証ポータルで開始される予定です。そこから2028年1月31日までは、V1.3.1とV2.0のどちらでも目標を提出できる併用期間となり、それ以降はすべての提出にV2.0が必須となります。V1での目標設定の窓口は2027年末まで開かれている、というのが公式の整理です。また、2030年を目標年とする既存目標を持つ企業は、実装のリードタイムを確保するため、2028年から次のサイクル(2030〜2035年)の目標をV2.0で設定し始めるべきとされています。技術面で宿題は残っています。高排出セクター向けのセクター別基準群は、V2.0との互換性を確保するための更新が予告されており、移行期間中は既存のセクター基準を使い続ける扱いです。2026年3月に更新された森林・土地・農業(FLAG)ガイダンスとの接続、金融機関ネットゼロ基準との整合、市場証書の完全性を判定する第三者枠組みの認知リスト、そして最低進捗基準を定める保証マニュアルの具体化など、V2.0を実際に回すための周辺部品は、2027年の検証開始までに順次整備される予定です。基準本体の評価は、これら周辺文書の出来栄えと不可分だということは、強調しておきたいと思います。
ご参考 Q&A
Q.「クレジットで目標達成できるようになったのか」。
A.答えは否です。削減目標の達成手段としてのオフセットは引き続き不可です。変わったのは、継続排出への貢献が任意プログラムとして公式に認知され、2035年から義務化される方向が示されたこと、そして実装ヒエラルキーの中で電力・素材などの市場証書がガードレール付きで使えるようになったことです。
Q.「ネットゼロ目標が任意になったのは後退か」。
A.構造としては、必須のフルコースから階段型への転換です。全企業に必須なのはスコープ1・2の5年目標で、ネットゼロ宣言は選択になりました。ただし5年ごとの再整合と最低進捗基準により、枠組みに留まる限りネットゼロ経路から外れ続けることはできない設計です。
Q.「未達でも何も起きないのか」。
A.起きます。障壁と対応策の開示義務、毎年の報告と定期保証、サイクル末評価、そして未達分を織り込んだ次期のより急な削減経路です。除名の恐怖は減りましたが、説明の義務は増えました。
Q.「2026年は様子見でよいか」。
A.データと計画が揃っている企業はV1.3.1での年内提出が合理的で、現行の柔軟性とV2.0の革新の双方を取り込めます。これから整備する企業は、最初からV2.0の構造(カテゴリー判定、スコープ3の三択、移行計画、時間マッチング)で設計する方が手戻りを防げます。いずれにせよ、2028年1月31日のV2.0完全移行は確定した締切として逆算を始めるべきです。
おわりに――厳格さの再定義
2026年のV2.0は、「ネットゼロに向かい続けるとはどういうことか」を定義し直そうとしています。狭き門の番人から、長い道のりの伴走者へ。入口で選別する厳格さから、走路で説明させる厳格さへ。10年で1万社という量的達成の次にSBTiが目指すのは、その1万社が実際に減らす世界であり、V2.0はそのための道具立てです。2027年の検証開始、2028年の完全移行、そして2030年の最初の大規模なサイクル末評価。本稿がその観察の出発点として、皆さまの戦略検討の一助になれば幸いです。なお、本稿は2026年6月12日時点の一次資料に基づく速報的な分析です。今後、保証マニュアルや手法文書(Methods and Pathways)の詳細が公開され次第、スコープ3の三類型の選び方、資産移行アプローチの目標設計、継続排出責任(OER)のポートフォリオ構築といった各論の実務ガイドを、続編としてお届けする予定です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

主要出典
SBTi「Corporate Net-Zero Standard Version 2.0」本文・Foreword and Executive Summary・FAQs(2026年6月)https://sciencebasedtargets.org/corporate-net-zero-standard-v2
※本稿の内容は2026年6月12日時点の公開情報に基づきます。基準の適用に当たっては、必ずSBTiの一次文書をご確認ください。
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