引き算の勇気と美学〜節約パッケージに思うこと〜
節約パッケージが最初に報道された時に思ったのは
なんか陰気そうだな、ということだった。
ポテチとかかっぱえびせんとか
暖色の食欲をそそりそうなイメージがあったので。
だけど、実際に店頭で見てみると、
え、光っていて綺麗、キラキラしている、
と思った。
そして、日頃はダイエットのために封印しているのにとうとうあの輝きに目が眩んで買ってしまった。
そこで、私は開けたら最後なのはわかっている。
開けません、描くまでは。

モチーフにして描くことにした。




無彩色のものを有彩色で描きたかった。
まあわかってはいたが、なかなか難しかった。
単にもの好きでやっているのでいいのだが、
もし受験生で入試のモチーフだったら、
イーッとなったに違いない。
描き終わって、パッケージから色をなくすというのは英断だったと思った。
今まであったものをやめるのは勇気がいる。
今までのイメージを失うことになる。
だけど、引き算したらパッケージにお金をかけずに消費者のもとへ食品を届けることができる。
物事にはどう見えるかという外面と
どうあるのかという内実がある。
パッケージという外面ではなく、内実の食品を消費者のもとにできるだけ安く確実に届けることを重視したのだ。色をなくすということは安定供給のための持続可能な方法だ。
また、白黒で地味になりそうなところを素材の銀色を最大限に見せるという美学も良かった。
使うインクが少なくて済むし、実際に売り場で人の注意を引きつけることができる。
それは必要なものが足りないという内実を無視して足りているはずだという体面を守りたい政府には
腹の立つ姿勢だったのだろう。
だから企業努力を売名行為とまで言ったのだろう。
世の中、中身がどれだけ空っぽでも外面だけはよく見せかけたいということがあふれている。
簡単に見た目に引っかかって中身が空っぽなのに
気がつかない人もたくさんいるような気がする。
でも、本質は中身のはずだ。
私は中身のほうが大事だと思う。
ちなみに私は日本土産としてエチオピアに
かっぱえびせんを買っていったことがある。
同僚たちはポリポリと食べ始めると
「これ、やめられないね〜。」
と言って食べ続けた。
やめられないとまらないは
間違いなく世界共通である。
私はちょっとだけかっぱえびせんの世界でのファンを増やしたかもしれない。ささやかな自慢である。
