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与えられなかったものを人に手渡すことは難しい

私はエチオピアに行って始めて、
教わったことのない教科を人に教えることは難しいということに気がついた。

そこから気がついたのは、
それは教育だけではなく色んなことにも言えることではないか、ということ。

私には何人か離婚した友人がいる。
話を聞いてみると、どこか育ってきた環境に歪みがあって、家族を大事にするということがよくわからなかった元夫たちみたいだ。

自分自身が大事に愛情を持って育てられてきちんと尊重されてきた人なら自分が家庭を持った時にどう振る舞うのかわかるだろう。

だけど、
家庭が不安定だったり、
無関心だったり、
従順であることを強いられたり、
条件つきの愛情しかなかったり、
暴力的だったり、
否定的だったりすることもある。

そういう環境で育つと、
それが当たり前だと考える大人になりやすい。
そういう人が親になったとき、
望ましい配偶者や子どもへの関わり方を知らない
のでうまくできないことが多いのではないか。

もちろん、環境に恵まれていても人間性に問題のあることもあるし、環境が厳しくても人に優しくできる人もいるが。

基本的に人は自分の育った環境しか知らない。
それぞれの家に違いがあり、何が普通で何が普通ではないのかはわからない。

自分の育った当たり前を疑うことは根底が揺らぐような恐怖だ。だからそれを疑うことなく次の世代に押しつける親たちもいる。

暴力的な家庭でも、従順さを要求される家庭でも
自分の知っている家庭がそうだからそれが全てで
当たり前だと信じ込む。

自分が年をとって思うのは
年をとったからといって大人になるとは限らない、ということだ。

精神的に幼稚な部分を残したまま、自分の当たり前を人に押しつける老人はいくらでもいる。
そのうえ老化で頑固になり、新しく学んだり自分を変えたりすることができない。

もらったことのない愛情や尊重を人に手渡すことは難しい。 
教わったことのないことを人に教えることも同じ。

世界は少しずつ進化して、人を尊重しようと変化してきても多くの人の意識はそんなに急には変わらない。自分自身が尊重なんてされたこともなければ
人を尊重しようと思いづらい。

次の世代を幸せにしたければ、
親や教師、その上の世代の教育が必要では?

でも自分が受けとったことのない愛情や尊重を
どう人に渡すのかなんて、誰がどうやったら教えることができるのだろうか?

教わったことのない教科を教える教員のための
教員教育が必要だと思うけど、それも誰がどうやって教えることができるのか?

与えられたことのない愛情と尊重、
教わったことのない教科、

自分が与えられなかったものを
人に手渡すことはとても難しい。


時をさかのぼることはできない。

与えられなかったものを
必要だった時に渡すことができれば良かったのにと
どうしようもないけど思う。


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