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未来の革命家、人外、傷のわかるエリートに向けて(誰に向けて書いているか)

 自分の書く小説や、文章を、読んでほしいと思うひとについて考えてみた。
 いわゆる、読者層というものかもしれない。
 だけど私にとっては、マーケティング的な発想を超えて、どのような人に向けて書いているか、という話でもある。

想定している読者の三つの層(ChatGPT作成)

1.未来の革命家

 これは私が読んでほしいと望んでいる中核の読者層だと思う。

 革命。もちろんそれは、世界を変えるという大きなものでも、私は嬉しい。それで全てが報われるのではないかと思うほど。

 同時に、小さくても革命は革命だ。
 たとえば、それまで言えなかったことを言うこと。見逃していたものを拾いにいくこと。果たせなかったことを果たすこと。忘れられていた名前を呼ぶこと。打ち捨てられているものを拾って、両手におさめること。
 そういうことも、あきらかに革命だ。
 もちろん、そのようなことでも、私は全てが報われる。

 未来の。世界規模の、あるいは、生活圏規模の革命家、もしくはその中間にいたり往復したりする革命家たちに向けて、私は書いている。
 真っ直ぐに、見据えて。

2.人外

 次の層が、人外だ。
 これは文字通り人ではないということではないのだけれども、文字通り、人とされる枠組みの外にいるのではないか、そういうところがあるのではないか、と感じているひと、ということだ。境界、周縁、という概念とも近い。

 私自身はどちらかというと個人としては、革命家よりこの人外の資質が大きいと思う。

 なので、たぶん。
 中核層である革命家のひとびとが、革命家の資質の比較的薄い私からすると考えもつかないような受け取り方をしてくださる一方で。
 人外のひとたちは、共感や理解といったかたちで読んでくださるのではないかな、と思っている。

 世界は基本的に「人」でできていると思われがちなので、そもそも人外というのは相対的に少ないものだ。
 だけど、確実にいる。
 そのような数少ないひと(存在)たちにとっては、私は逆にというか、一周まわってというか、ごくごく素直に普通に「わかる」という文章を書いているのかなとも思っている。

3.傷のわかるエリート

 この人たちは、私の想定読者の最も外側で。
 未来の革命家ほど行動や生き方の根に語りかけるわけではないかもしれないし、人外ほど共感や理解を得られるわけでもないかもしれない。
 だけど同時に、非常に大事な読者の方々である。

 エリート、というのは、何らかの意味でコミュニティや社会における立ち位置がある、という意味で使っている。
 もちろんそれは、一般的なエリート、たとえば突出した収入、知名度、権威、学歴、立場などをもつ人びとも含まれる。
 同時に、社会的に必ずしも突出したエリートではなくとも(あるいはご本人がそう感じられてなくとも)、どこかの集団において一定の役割があって、自他ともに「正式なメンバーである」と思っていて。いわば「普通」であり「まとも」であるような。
 そのような人も、想定のなかに含まれる。

 そのような「エリート」は、一般的には、傷をもちづらい。
 だけど、もちろん全てではない。傷を抱えたエリートもいる。傷を抱えたまま、どこかに適応して、適応しきった人もいる。
 あるいは、自身は特に傷ついていないと思うけれども、身近な人が傷つくのを見てきたと感じている人もいるし。
 自身も含めて生活圏や生育歴においては傷と呼ばれるようなものとは縁が薄かった、だけど、多様性や世界理解や体系の一つの完成形として「傷」を無視できないと考えるような人もいる。

 どのような縁、かかわり方であっても、傷というものを無視せず必ずしも否定的にのみ捉えないエリートたち。
 そのような人たちを想定している。

読者に向けて

 未来の革命家、人外、傷のわかるエリート。

 どの立場もけっして、世間における圧倒的マジョリティではない。

 これらの立場に当てはまらない方にとっては、私の書くものはつまらないのかもしれない。
 少し難しくて、考えすぎているようで、面白みもそこそこで、結局どうすればいいのかわからない。
 あるいは、ちょっと違うのではないか、そんなこと言っても、と反発や引っかかりを感じさせてしまうかもしれない。

 切り捨てるわけではないのだが、それで全く構わないと思っている。
 わからないものを無理に読む必要はない。読んでいて、疲弊や冷たさのようなものの方が勝るのであれば、今はあまり合わない可能性も高いので、いったん離れていただいた方がいいと思う。

 ただ、忘れないでいてほしい。

 あなたが革命を起こす可能性はある。
 人からはみ出る可能性もある。
 ある日、傷を思い出す可能性もある。

 何年経ってもかまわない。
 遅々として、ではあるけれど、私はずっと書き続ける。
 文章を、どこかに残し続ける。

 だから、いま離れても、私の名前や文章自体をすぐに忘れてしまっても、それは全然構わない。
 だけど、革命を起こす可能性、人からはみ出る可能性、傷を思い出す可能性だけは、忘れないでほしいと願っている。

 そしてその日に、もしもこの文章のことを少しでも思い出してくれたのであれば、何年あとでも構わない。また、読みに来てほしい。

 いま、私の文章を読んでくださる方々へ。
 改めて感謝を伝えたい。

 変えること、踏み出すこと、発生させること。
 共感、理解、思索。
 あるいは私の考えの及ばない何か。深くて、大きくて、きっと尊い何か。

 そのようなもののきっかけになれば、本当に嬉しいし。
 そのために、これからも書いていく。

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