同じ歌を共有する街で、自分だけがわずかに外れ始めた1997
1997年という年は、街のどこにいても同じ音が鳴っていた。
消費税が5%に引き上げられ、景気の冷え込みが数字ではなく体感として皮膚に触れ始めていた。山一證券の自主廃業や北海道拓殖銀行の破綻は、遠い世界の出来事ではなく、生活の延長線上に迫ってきていた。
銀行は潰れ、会社は消える。
そうした事実は叫び声ではなく、低く持続するノイズのように街の空気に混ざり、人々の判断や表情の奥に静かに沈殿していった。
求人広告の文字は頼りなく、ボーナスという言葉は現実味を失い、将来という概念そのものが、触れれば崩れそうなほど輪郭を弱めていた。
それでも、街に流れる音だけは妙に明るかった。安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」、
globeの「FACE」、SPEEDの「White Love」、
GLAYの「HOWEVER」、
Mr.Childrenの「Everything (It’s you)」。
それらはどこへ行っても同じ密度で鳴り続けていた。
その中心にあった小室哲哉のサウンドは、速度と多幸感で設計された音だった。
現実の重さを一時的に無効化する処方箋でありながら、その明るさゆえに影を濃くする逆説的な光でもあった。
速く、明るく、迷いなく進むビート。
その中では立ち止まること自体が許されない。
だからこそ、音の外に出た瞬間、現実の遅さと重さが余計に身体へ沈み込んできた。
ビデオレンタル店に入ると、蛍光灯の白い光の下でCDコーナーが異様な輝きを放っていた。
試聴機のヘッドホンからは、同じ系統の音が漏れ続ける。
『FACES PLACES』『Concentration 20』が面出しで並び、ランキングボードは更新されていないかのように同じ名前で埋まっていた。
USENのJ-POPチャンネルが店内の空気を支配し、客が何を選ぶかより先に、流れている音が時間の質感を決めていた。
音楽は選ぶものではなく、すでに配置された環境だった。
ボウリング場ではTRFの高速BPMがレーンの奥で跳ね返り、ピンの弾ける乾いた音と絡み合う。そこにGLAYの「口唇」が重なり、音の層はさらに厚みを増していく。
ビリヤード場では煙草の煙が天井近くに滞留し、その向こう側からL’Arc〜en〜Cielの「虹」やT.M.Revolutionの「WHITE BREATH」が漂ってくる。
音はもはや“聞くもの”ではなく、呼吸と一緒に取り込まれる空気の一部になっていた。
居酒屋ではMr.Childrenのバラードがざわめきの隙間に染み込み、焼き鳥の煙やアルコールの匂いと混ざりながら、夜という時間に粘度を与えていた。
配達先のスーパーで顔見知りになった若い店員たちに誘われ、仕事終わりに車に乗り込む。
どの車でもGLAYの『REVIEW』を録音したMDが回っていた。
MDはカセットよりクリアで、CDより自由だった。しかし中身は驚くほど画一的だった。
安室奈美恵の「a walk in the park」、SPEEDの「STEADY」、globeの「DEPARTURES」。
どの車内も同じ温度、同じ湿度、同じ感情の振幅で満たされていた。
個人の選択ではなく、時代そのものが再生されているようだった。
テレビをつければ、ビーチボーイズが“どこかへ行けるかもしれない夏”を提示し、ラブジェネレーションが恋愛の高揚を肯定し、もののけ姫が自然と人間の断絶を圧倒的なスケールで描いていた。
しかし現実の街は、そのどれにも完全には接続できず、中途半端な位置に取り残されていた。
さらに神戸連続児童殺傷事件が社会に深い影を落とし、「子供」や「無垢」という概念すら信じきれなくなる空気が広がっていった。
明るい音楽、爽やかな映像、重たい現実。それらは混ざり合うことなく、別々の層として重なっていた。
どこへ行っても同じ曲が流れていたから、盛り場に出るだけで気が紛れた。
音が途切れない限り思考は中断され、現実との距離がわずかに開く。
しかしその一方で、自分はすでにラブソングを信用していなかった。
「好き」や「愛してる」という言葉が、あまりにも容易に反復されていたからだ。
本来それは、個別の関係の中でしか成立しないはずの言葉だった。
それがサビとして消費され、共有され、誰のものでもない感情として街にばら撒かれていく。
その軽さが、どうしても現実と噛み合わなかった。
周囲では、勢いのまま結婚し、短期間で離婚していく例が増えていた。
そのたびに、恋愛至上主義の空気そのものが判断を狂わせているのではないかと感じていた。
現実の関係はもっと曖昧で、不均衡で、説明がつかない。
自分のように独りよがりで終わることもあれば、S香ちゃんのように理由もなく突然切断されることもある。
関係は物語のように閉じず、途中で断ち切られる。
恋愛に幻想を求めなくなったのは、壊れたからではなかった。
構造を理解してしまったからだった。
深く入り込めば入り込むほど、失ったときの反動は時間差でやってくる。
そして確実に身体のどこかに残る。
その痛みを知ってしまった以上、同じ温度で感情を投じることはできなかった。
1997年の街は、恋愛の輝きを過剰に歌い上げながら、その裏側で人間関係は静かに摩耗し、社会は不安定さを増し、未来は輪郭を失っていた。
ビデオレンタル店の蛍光灯、ボウリング場のネオン、居酒屋のざわめき、車内で回り続けるMD。そのすべてが同じ音で接続され、均質な膜のように街を覆っていた。
その膜は現実を消すことはできない。
ただ、その輪郭を鈍らせることだけはできた。
音楽は華やかだった。
しかしそれは現実を照らす光ではなく、輪郭をぼかすための照明装置のようだった。
その光の中で仲間と笑い、夜の街を漂いながら、自分の内側では別の感覚が静かに形成されていった。
恋愛の軽さと現実の重さ。
その落差に気づいてしまったという感覚。
そして、その落差を誰も言葉にしないまま、同じ歌を繰り返し口ずさんでいるという奇妙な一致。
街が同じ歌を共有していたあの年、自分だけがわずかにその同期から外れ始めていた。
音は同じでも、受け取り方が変わった瞬間、世界の見え方は決定的にズレる。
そのズレは小さいが、元には戻らない。
外側の音が揃えば揃うほど、内側の音は静かに変質していく。
そしてその変質が、自分の歩く速度や人との距離感、未来への姿勢を決めていく。
1997年の終わり頃、そのズレはもはや違和感ではなく、“自分の輪郭そのもの”として固まり始めていた。
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