森と荒野のあいだで──1997年の〈もののけ姫〉と2026年の私
1997年の夏、S香ちゃんと一緒に観た
もののけ姫は、当時の私にはただの
“精巧に作られた宮崎駿作品”としてしか映っていなかった。
圧倒的な映像美、緻密に制御されたアニメーション、米良美一の声の異様なまでの透明さ、
そしてスタジオジブリというブランドが持つ
完成度の高さ。
その全てが過不足なく噛み合い、一切の隙を見せない“完成品”として目の前に存在していたが、
その完成度の高さゆえに、むしろそこに内包されていたはずの痛みや差別や不条理の構造、
さらには宮崎駿がこの作品に込めた
「解決不能な問題を解決しないまま提示する」
という意志の強度は、表面の光沢の下に沈み込み、
当時の自分の視界にはほとんど引っかかってこなかった。
理解できなかったというよりも、
そもそも“それを受け取るための感覚”が、
まだ自分の中に形成されていなかった。
だがいま振り返ると、その受容の浅さは個人の問題というより、1997年という時代そのものの認識の限界と同期していたように思える。
この年、日本はすでにバブル崩壊後の現実に深く足を取られながらも、なお“完全な崩壊”という自覚には至っていなかった。
金融不安は水面下で広がり、
山一證券の破綻という象徴的な出来事が起き、
制度そのものが揺らぎ始めていたにもかかわらず、それでも社会の空気には
「まだ戻れる」
「まだ修復可能だ」という曖昧な希望が残存していた。
つまり1997年とは、「壊れ始めていることは感じているが、それが不可逆であるとはまだ認めていない状態」、
言い換えれば
“崩壊を自覚しきれていない時代”だった。
そのような空気の中で提示されたもののけ姫は、明らかに時代の認識よりも先に進みすぎていた。室町という歴史的外皮をまといながら、
その内部で駆動している問題系は明らかに近代以降の構造、すなわち資源の収奪、労働の組織化、国家権力の介入、そして排除された存在の再配置といったシステムの衝突そのものであり、
タタラ場で働く女性や癩者たちは、
社会から排除された弱者であると同時に、
合理性と生産性に組み込まれた“機能”でもある。
エボシ御前は彼らを救済する存在でありながら、同時に自然を破壊する主体であり、
その行為は倫理的に断罪されるべきものでありながら、同時に歴史的には“必要とされてきた選択”でもある。
このように、
善と悪、救済と破壊、保護と搾取が不可分の状態で絡み合う構造は、本来であれば単純な感情移入では処理できない重さを持っている。
だが当時の私は、その構造を現実として引き受ける準備ができておらず、結果として映像や音の完成度に没入することで“理解した感覚”だけを得て通り過ぎてしまった。
しかし同時期にそれに触れていた砂の器もまた、
実は同じ構造を別の角度から描いていた作品だった。
原作を書いた松本清張が見据えていたのは、
高度経済成長の光の裏側に堆積した
“切り捨てられた人間たち”の現実であり、
1970年代から80年代にかけての日本は、
新幹線や高速道路によって象徴される発展の物語を享受しながら、
その裏でハンセン病患者への差別を制度として固定し、隔離という形で不可視化し続けていた。
社会は秩序を維持するために、
特定の人間を“見えない場所”へ押し込み、
その存在を前提としながらも言語化しないという構造を選択していたのである。
『砂の器』の本浦秀夫は、その不可視の領域から浮上しようとした存在だが、その上昇は他者の人生を奪い、過去を知る者を排除し続けることでしか成立しなかった。
そこには倫理的選択の余地はほとんどなく、
あるのは構造によって規定された軌道のみであり、個人の意思はその内部で歪められながら機能するに過ぎない。
つまりこの時代においては、
「再生」という概念そのものが成立し得なかった。
再生を描こうとすれば、それは現実の否認となり、虚構の慰めにしかならない。
だからこそ清張は救いを描かない。
そこには森が存在しない。
あるのは、どこまでも乾ききった地面、
踏みしめても何も芽吹かない地層だけだ。
それに対して宮崎駿は、同じく解決不能な問題を扱いながらも、もののけ姫の中に“わずかな再生”を配置した。
だがそれは救済ではない。
シシ神の首が返され、世界は崩壊の瀬戸際から引き戻され、緑は再び現れるが、それは失われたものの回復ではなく、むしろ“破壊された後に残された条件の中で、なお続いていくしかない生命”の表象である。
森は元には戻らず、
サンとアシタカは共に生きることはできない。
それでも関係は断たれない。
この状態は調和ではなく、緊張を孕んだまま持続する関係、言い換えれば“共存し続けることを放棄しないという意思”に過ぎない。
ここに決定的な差がある。
清張の時代には再生は描けなかった。
宮崎の時代には、壊れたままでも再生を仮定することができた。
そして1997年の私は、その“仮定された未来”を、ほとんど無意識のまま受け取っていた。
それから約30年が経過した2026年。
私たちはこれらの作品を、まったく異なる位置から見ている。
バブル崩壊後の余熱は完全に消え、
長期停滞と構造的な分断を経て、
不安定さは例外ではなく前提となった。
情報は可視化され、差別や不条理は隠されるものではなくなったが、それによって解決されたわけではなく、むしろ可視化され続けることで慢性的な圧迫として存在し続けている。
この状況は奇妙な反転を生む。
かつては現実が生々しすぎるために救いを描けなかった
松本清張の世界は、いまや構造理解のモデルとして読み解くことができる。
一方で、再生の可能性をかろうじて残していた
宮崎駿の森は、それがどこまで現実と接続しているのか判別がつかなくなっている。
あのラストで芽吹いた緑は本当に再生だったのか、それとも再生と呼ぶことでしか耐えられない状況の象徴だったのか、その判断は観る者の側に委ねられている。
ここで時間の向きが反転する。
1997年の私は未来としての森を見ていたが、2026年の私は過去としての森を検証している。そしてそのあいだに横たわる1970年代から80年代の荒野は、そもそも森という概念自体が成立しなかった領域として、二つの時代を分断する断層のように存在している。
映画そのものは変わらない。
だが観る側の時間が、その意味を変質させていく。
かつて技術として消費していた映像は、
いまや痛みの構造として立ち上がり、
理解できなかった要素は、自分自身の経験と接続されることで初めて輪郭を持ち始める。
私はいま、
宮崎駿の森と、松本清張の荒野のあいだに立っている。
そのどちらにも完全には属さず、しかしどちらからも逃れることができない位置にいる。
そしてようやく理解する。
森が実在するかどうかは、本質的な問題ではないのかもしれない。
それでも人は森を探す。
理由もなく呪われ、理由もなく追われ、それでもどこかへ進まなければならない者にとって、
「答え」は存在せず、「方向」だけが残される。
1997年、私はただ美しい映画を観ていた。
2026年、私はその映画の内部に、自分が立っている場所そのものを見出している。
だからいま、ようやく言葉にできる。
あのとき見えなかった森は、
作品の中にあったのではなく、
そこへ向かおうとする“意志”として、
ずっとこちら側に残されていたのだと。
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チップをありがとうございます。
そのまま宝にしておきます。^_^