成功者の話より、失敗したまま生きている人の話のほうが面白い
成功者の話より、失敗したまま生きている人の話のほうが面白い
成功者の話は、世の中にたくさんあります。
「私はこうやって成功しました」
「努力を続けたら夢が叶いました」
「失敗を恐れず挑戦しました」
「諦めなかったから成功できました」
こういう話です。
もちろん、参考になるものもあります。
でも、ボクは成功者の話を読んでいると、どうしても思うことがあります。
いや、オチが分かってるんだよな。
最終的には成功する。
事業は軌道に乗る。
借金は返す。
夢は叶う。
人生は好転する。
最初から結末が分かっている物語を読んでいるようなところがあります。
それよりも、ボクが面白いと思うのは、
失敗したまま生きている人の話です。
成功者の話には「完成品」がある
成功した人は、過去を振り返ることができます。
「あのときの失敗があったから、今の成功がある」
「この経験が自分を成長させた」
「諦めなかったことが成功につながった」
と説明できます。
成功した後だからこそ、過去の出来事に意味をつけられるわけです。
でも、失敗している真っ最中の人間は、そんなに綺麗ではありません。
朝起きて、
「昨日の支払い、どうしよう」
と考えている。
コンビニに入って、弁当を手に取ったものの、
「これ買うと今日の予算が……」
と棚に戻す。
スマホを開けば、支払いのお知らせが来ている。
銀行口座を確認する。
残高を見る。
ため息をつく。
それでも仕事へ行く。
こういう話のほうが、ボクにはよほど現実的です。
失敗した人は、今日を生きなければならない
成功者の話は、どうしても「人生を振り返った話」になります。
でも、失敗している人には、振り返っている余裕がありません。
今日の家賃。
今日の食費。
今月のカードの支払い。
来月の返済。
そういうものが目の前にあります。
例えば借金を抱えている人なら、給料が入った瞬間に、
「やった、給料が入った!」
とはならない。
まず返済額を見る。
カードの引き落としを見る。
家賃を見る。
生活費を残す。
そして、
「今月はあといくら使えるんだ?」
と計算する。
給料日なのに、使えるお金がほとんど残らない。
こういう生活のほうが、成功者の「年収1億円になりました」という話より、人間の生活を具体的に想像できます。
ボク自身も、失敗したまま生きています
ボクもそうです。
借金があります。
でも、返済は続けています。
実際に、これまで100万円近く返してきました。
だからといって、
「借金を完済しました!」
という話ではありません。
まだ残っています。
返している途中です。
しかも、返済している途中でも、人生では別のことが起きます。
「今月はこれだけ返せた」
と思って少し安心したら、別の支払いがやってくる。
予定していたより出費が増える。
また計算し直す。
「じゃあ来月はこうしよう」
と考える。
そうやって、一カ月ずつ進んでいく。
こういう記録は、成功した後から振り返る話とは違います。
現在進行形だからです。
失敗には、ものすごく細かい場面がある
失敗談が面白いのは、実際の生活が見えるからです。
例えば、賠償金を払えなくなった人のブログを考えてみます。
1億円の賠償金を背負ったとする。
40歳の普通の人が、突然1億円を請求されても、簡単に払える金額ではありません。
そこで「払えません」となった後、その人がどんな生活をしているのか。
ここがものすごく興味深い。
朝起きて、スマホを見る。
また督促の通知が来ている。
でも、口座にあるお金は生活費として必要だから、簡単には動かせない。
スーパーに行って、値引きシールの貼られた弁当を買う。
「今日はこれでいいか」
と思う。
帰宅してテレビをつける。
世の中では、
「資産1億円」
「年収2000万円」
「夢を叶える方法」
なんて話をやっている。
その横で、自分には1億円の賠償金が残っている。
こういう場面です。
これは、成功者の話より何千倍も現実があります。
「破産したら全部終わる」とも限らない
日本では、一般的な破産手続をしたからといって、すべての賠償金が当然に免責されるわけではありません。
だから、巨額の賠償金を背負った人にとっては、
「じゃあ破産すれば全部チャラ」
という単純な話にはならない場合があります。
ここから先の生活がどうなるのか。
何を諦めるのか。
何を維持するのか。
どんな仕事をするのか。
どんな家に住むのか。
何を食べるのか。
そういう話が始まります。
だから、その人が生活をブログに書いていたとしたら、ものすごく価値があります。
本人にとっては、ただの失敗です。
でも読む側からすると、
「巨額の賠償金を背負った普通の人間の生活」
という、なかなか得られない情報なのです。
「諦めました」という言葉の後が面白い
例えば、
「もう賠償金を返すことは諦めました」
という文章があったとします。
普通なら、ここで話が終わったように感じます。
でも、本当は逆です。
そこから、
「じゃあ明日の朝、どうするの?」
という話が始まります。
仕事には行くのか。
家賃は払うのか。
食事はどうするのか。
スマホは持ち続けるのか。
服はどこで買うのか。
友人には何を話すのか。
結婚しているなら、家族とはどうするのか。
毎月いくらあれば生活できるのか。
そういう細かい部分に、人間の現実があります。
「今日は何円使った」という記録が面白い
人生が大変な状態にある人の記録では、
「今日はスーパーで398円使った」
「昼飯は家から持ってきた」
「今月は外食を一回減らした」
「電気代が思ったより高かった」
みたいな話が出てきます。
これが面白い。
成功者の、
「人生で一番大切なのは挑戦することです」
という言葉より、
「今月は食費を5000円削った」
という一行のほうが、具体的に人生が見えることがあります。
失敗した人の話には「予定外」が多い
成功談は、後から整理されているので綺麗です。
「この計画を立てました」
「努力しました」
「成功しました」
となります。
でも現実の生活は、そんなに綺麗ではありません。
「返済する予定だったのに、急な出費があった」
「節約するつもりだったのに、どうしても必要なものが出てきた」
「今月は順調だと思ったら、別の支払いが来た」
「これで大丈夫だと思ったら、また問題が起きた」
人生は、この繰り返しです。
だから、失敗したまま生きている人の記録には、予定外の出来事が大量に出てきます。
そのほうが、現実の人生に近い。
成功者は「結果」を教えてくれる
成功者の話には、結果があります。
「こうしたら成功しました」
これは分かりやすい。
でも、
「なぜ成功できたのか」
については、本人にも全部は分からないことがあります。
努力したからかもしれない。
才能があったからかもしれない。
運が良かったのかもしれない。
時代が良かったのかもしれない。
良い人に出会ったのかもしれない。
たまたま大きなチャンスが来たのかもしれない。
成功には、いろいろな要素が絡んでいます。
だから、成功者の方法をそのまま真似しても、同じ結果になるとは限りません。
失敗談には「ここで間違えた」が残っている
一方、失敗した人は、
「ここで間違えた」
という具体的な場面を持っています。
例えば、
「最初は大した金額だと思わなかった」
「毎月少しずつ使っていたら、いつの間にか大きくなっていた」
「この契約なら大丈夫だと思った」
「相手を信用してしまった」
「返済は来月から頑張ればいいと思った」
こういう一つ一つの判断が、後から大きな問題になる。
この記録には、ものすごく実用的な価値があります。
読む側は、
「自分もこれをやっている」
と気づけるからです。
失敗談は「危険地帯の地図」になる
成功談が、
「この道を進めば成功できます」
という地図だとしたら、失敗談は、
「ここから先は危ない」
という地図です。
これは人生ではかなり重要です。
誰だって成功する方法を知りたい。
でも同時に、
「これをやったらどうなるのか」
も知りたい。
借金を増やしたら、生活がどう変わるのか。
仕事を失ったら、どんな問題が出てくるのか。
賠償金を払えなくなったら、生活はどうなるのか。
そういう話は、成功談よりも具体的な危険を教えてくれます。
「失敗したけど、その後も普通に生活している」が重要
ボクが特に面白いと思うのは、
「失敗したけれど、その後大成功しました」
という話だけではありません。
むしろ、
失敗したまま、その後も普通に生活している人
です。
借金が残っている。
でも仕事には行く。
帰宅したら飯を食う。
休日には買い物をする。
テレビを見る。
ネットを見る。
また返済日が来る。
返済する。
そして次の月になる。
こういう生活です。
映画の主人公みたいな大逆転は起きない。
でも、人生は続いている。
ここが面白いのです。
ボクだって、毎月少しずつ変わっている
ボク自身も、そういう意味では「途中の人間」です。
借金を返している。
残高が減っている。
だから、去年と今では状況が違います。
でも、まだ完璧ではない。
また何か考えることが出てくる。
そのたびに計算する。
「今月はここまで返せた」
「ここは予定より減った」
「次はこっちを優先しよう」
そうやって生活を更新していく。
これを記録していけば、一年後には一年分の失敗と修正の記録になります。
それは、最初から成功している人の話とは全然違うものになります。
noteで書くなら、むしろ「途中」を書けばいい
noteには、完成された成功談だけを書く必要はないと思います。
「私は成功しました」
ではなく、
「今、こうなっています」
でもいい。
「また失敗しました」
でもいい。
「先月より少しマシになりました」
でもいい。
「まだ借金があります」
でもいい。
むしろ、そのほうが読者には面白い場合があります。
結果が出ていないからこそ、
「この人、この先どうなるんだろう」
と思えるからです。
人間は「成功した人」より「自分に近い人」を見ている
ものすごい成功者を見ると、
「すごいな」
とは思います。
でも、
「自分も同じようになれる」
とは限りません。
年収1億円の人の生活と、自分の生活はあまりにも違う。
ところが、
「借金が300万円あって、毎月3万円ずつ返している」
という人なら、
「自分も似たような状況だ」
と思う人がいる。
その人が、
「今日はスーパーで398円使った」
と書いていたら、
「分かる」
となる。
この距離の近さが、失敗談にはあります。
成功者の「努力」より、失敗者の「迷い」のほうがリアル
成功した人は、
「私はこう考えました」
と語れます。
でも失敗している人は、
「どうしよう」
と書いている。
この違いも大きいと思います。
人生で本当に多いのは、
「私はこう考えました」
ではなく、
「どうしよう、分からない」
のほうです。
人間は、いつも正しい判断をしているわけではありません。
迷う。
悩む。
間違える。
後悔する。
そして、翌日になったら、とりあえず仕事へ行く。
この繰り返しです。
失敗は、終わりではなく「現在地」になる
「失敗した」と言うと、そこで人生が終了したように聞こえます。
でも実際には違います。
借金がある。
それは現在の状態です。
賠償金を払えない。
それも現在の状態です。
仕事を失った。
それも現在の状態です。
その状態から、さらに人生が続いていく。
だから、失敗は必ずしも物語の結末ではありません。
ただの現在地です。
ここが重要だと思います。
成功者の話は、オチが分かっている
結局、成功者の話がつまらないということではありません。
成功した人には、それなりの努力があります。
苦労もあります。
才能もあります。
運もあります。
ただ、
「成功しました」
という結果が最初から分かっている。
そこに物語としての制約があります。
一方、失敗している人には結末がありません。
明日、何が起きるか分からない。
来月、借金がいくら減るかも分からない。
新しい問題が起きるかもしれない。
突然、状況が良くなるかもしれない。
そのままかもしれない。
だから、読んでいる側も続きが気になります。
「失敗したまま生きている」は、それだけで記録になる
人生は、成功してから書く必要はありません。
失敗している途中でも書けます。
むしろ、失敗している途中だからこそ書けることがあります。
今日いくら使った。
今月いくら返した。
何を諦めた。
何を残した。
何に困った。
何を考えた。
そして、次の月にはどうなった。
こういう小さな記録が積み重なると、後からものすごく価値のあるものになります。
本人にとっては、
「ただの失敗」
だったものが、誰かにとっては、
「自分が同じ失敗をしないための情報」
になるからです。
完璧じゃないから、書けることがある
ボクは、noteを書くうえでも、ここは大事だと思っています。
何もかも解決してから書こうとすると、いつまで経っても書けない。
借金が完済してから。
仕事が成功してから。
人生が落ち着いてから。
そんなふうに考えていたら、何年も書けないかもしれません。
でも、
「今はこうです」
なら書ける。
「先月はこうでした」
も書ける。
「また失敗しました」
も書ける。
その積み重ねが、結果的に一つの人生の記録になります。
成功談より、失敗談のほうが人間が見える
成功した人を見ると、
「成功者」
という肩書きが先に見えます。
でも、失敗している人を見ると、その人の生活が見えてきます。
冷蔵庫の中身。
財布の中身。
銀行口座。
食事。
仕事。
家賃。
返済。
スマホ。
休日。
家族。
友人。
そういう細かいものが全部出てくる。
だから、失敗談は人間そのものに近い。
華やかではありません。
でも、ものすごくリアルです。
成功するまでの話より、失敗した後の話を読みたい
「成功するまでに、こんな努力をしました」
という話はたくさんあります。
でも、
「失敗した後、翌朝どうしたのか」
という話は少ない。
だからこそ、価値があります。
大きな借金を抱えた人が、翌朝コンビニでパンを買って仕事へ行く。
巨額の賠償金を抱えた人が、家に帰って普通に夕飯を食べる。
仕事に失敗した人が、翌日も求人サイトを見る。
お金を失った人が、電卓を叩きながら来月の生活費を計算する。
こういう場面には、人生の本当の姿があります。
失敗した人間は、何もしていないわけではない
失敗していると、
「何もできなかった」
と思ってしまうことがあります。
でも、そうではありません。
借金を返している。
生活を維持している。
仕事を続けている。
支払いをしている。
少しでも状況を良くしようとしている。
それだけでも、毎日何かをやっています。
大逆転が起きていなくても、人生は進んでいます。
成功者の物語より、途中にいる人間の記録が面白い
成功者の物語には、答えがあります。
「こうして成功しました」
でも、失敗している人間には答えがありません。
「今こうなっています」
「これからどうなるか分かりません」
だから面白い。
そして、読んでいる側も自分の人生と重ねることができます。
自分も似たような失敗をしている。
自分もお金に困ったことがある。
自分も判断を間違えたことがある。
自分も、まだ人生の途中にいる。
そう思えるからです。
人生は、成功か失敗かの二択ではない
本当は、人生を成功と失敗の二択にする必要なんてありません。
失敗した。
でも返済している。
失敗した。
でも仕事を続けている。
失敗した。
でも生活している。
失敗した。
でも昨日より少しだけマシになった。
それも人生です。
そして、こういう小さな変化こそ、毎日生きている人間にとっては大切です。
だから、成功するまで待たなくていい
成功してから書く必要なんてありません。
完璧になってから書く必要もありません。
むしろ、
失敗したまま書けばいい。
借金を返している途中なら、その途中を書く。
失敗したなら、その失敗を書く。
また少し状況が変わったら、その変化を書く。
そうすれば、一年後には一年分の記録が残っています。
その記録を振り返ったとき、
「去年はこんな状態だったのか」
と思うかもしれない。
そして、読む側からすれば、その一年分の記録そのものが一つの物語になります。
成功者の話より、失敗したまま生きている人の話のほうが面白い
成功者は、結果を教えてくれます。
でも、失敗したまま生きている人は、
答えのない状態で、人間がどうやって生活するのか
を見せてくれます。
これは、ものすごく大きな違いです。
成功談には、完成されたストーリーがあります。
失敗談には、今日の夕飯があります。
来月の支払いがあります。
銀行口座の残高があります。
返済日があります。
予定外の出費があります。
そして、
「明日はどうしよう」
という迷いがあります。
でも、それでも朝になれば起きる。
仕事へ行く。
飯を食う。
金を払う。
少しだけ返済する。
そしてまた次の日が来る。
その繰り返しです。
ボクは、こういう話のほうが、人間の本当の姿に近いと思っています。
成功した人だけが面白いわけではありません。
失敗した人にも、失敗した人にしか書けない話があります。
むしろ、何度も失敗しながら、それでも生活を続けている人間のほうが、人生について書けることは多いのかもしれません。
成功は結果です。
でも、失敗したまま生きている時間には、毎日の生活があります。
だからこそ、そこには記録する価値があります。
そして、その記録を読んだ誰かが、
「自分も同じことにならないようにしよう」
と思ったなら、その失敗はもう、その人だけのものではありません。
誰かの人生の役に立つ情報になっています。
そう考えると、
失敗したまま生きているということは、必ずしも何も成し遂げていないということではない。
むしろ、その途中経過そのものが、誰かにとってものすごく価値のある物語になるのだと思います。
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