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膝と子の認知と執着と。

膝が1か月近く痛かったのが、病院に行ってMRIを取ってもらったところ、半月板損傷で手術が必要といわれた。

なんとなくそんな(手術が必要な)気がしていた。
何度も痛みがぶり返していたからだ。

切れた半月板が何度も関節に引っ掛かり膝が動かなくなるのをロッキングというらしい。普通に歩いているとき着地の際に2回ほど激痛が走った。
その他は寝てる間に挟んだのか、起きた時に足が動かせなくなっていた。

何度もロッキングを繰り返すようなら手術するしかないらしい。
半月板は自然治癒が望めず手術するのが一般的なのだという。
入院は3日から長くて1週間程度必要とのこと。

そんな説明を医者から聞き、自分でも調べ、なんとなく手術についてすんなり受け入れられた。

20年前にも手術は行ったし、それと同じ感じなのだな、と。
あぁ、入院の間、5歳の息子を誰かに見てもらわなければ。

私の頭の中にはすぐに元パートナーのことが浮かんだ。
ちょうど数日後に息子と3人で遊ぶ約束をしている。
元パートナーに頼んでみよう。
彼の家だと保育園の通園が不便だから、私のアパートに数日間泊まってもらうことを提案しよう。
それがだめなら九州にいる70代の母に東京に来てもらうように頼もう。
それもだめなら保育園のママ友に。
それでもだめならfacebookで知人に呼び掛けてみよう。

きっと、何とかなるだろう。

そして不謹慎なことに、最近仕事が多忙すぎて疲れていたので、「仕事がしばらく休める」とも思った。

もちろんそれは術後の3‐4日だが、それでも仕事からやむなく離れられることが嬉しかった。

いろいろと、なるべくしてなった怪我だったのかもしれない。

私は元パートナーに認知についてそろそろ話をしなければ、と思っていたところだった。
元パートナーとは3年間音信不通ののち、和解し、3か月に1度ほど息子と遊ぶ関係までになった。

しかし、認知や養育費について1年半前に彼に考えてみて、と伝えて以来何もふれていなかった。

自分がこういう怪我になって、より認知の必要性が増した気がする。
万が一交通事故などで私が死んだ場合、現時点では戸籍上70代の九州にいる私の母しか後見人がいない。

このタイミングでもう一度認知をお願いしてみよう。

養育費のためではない。
息子との血縁関係を公に認めてもらい、万が一の時に養育する責任を担ってほしい。
なにより、私があなたに担ってほしいと思っているのだ。

かつては死んでしまえと憎んでいたあなたに、今ならこの子をお願いしますと思える。
家を知られるなんて恐怖でしかなかったのに、息子と数日間泊まって過ごしてほしいと願う。
息子の怪我ではなく、私の怪我であなたにお願いしますと頼みごとができる。
こんな心の変化が来るなんて。

先週、出産前からの男性の知人と久しぶりに会う機会が立て続けに2回あった。
その2人ともそれぞれ私に、「Nancyは変わったね。昔はあんなに拒んで聞く耳持たなかった。父親を奪わなくてよかったね」というような言葉をもらった。

私はその当時元パートナーを毛嫌いするのは当たり前の反応だと思っていたし、みんな私に同情・共感してくれているものと思っていた。
しかしその当時から、私が元パートナーを拒絶していたのを困ったものだ、とみていたということだろうか。
確かに今ならわかる。
父親に会わせないことは私のエゴであり息子の気持ちを完全に無視したものであると。

いずれにせよ、今の私の心境の変化の方向性は自分でも間違っていないと思うし本当によかったと思っている。

自分の思い込みや執着を見つめなおし、1つずつ手放していく。
もっと早くにこういう境地になりたかったとも思うし、今だからできることだとも思う。

YouTubeを必死に見ている息子の顔をかわいいなと眺めながら、自分の変化を咀嚼しながらnoteにまとめている。

これから慌ただしくなる。
それでも、少なくとも私はとっても幸せだ。

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