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ほら吹きの父 9

「みどりのゆび」という言葉をご存知だろうか?
「みどりのゆび」というタイトルでフランスのモーリス・ドリュオンによる児童文学を、私は大好きで何度も読んだ。これは平和を願う反戦の物語で、お話が最後の方になると、私は毎回何故かオイオイ泣いてしまう。
そこに出てくる少年チトは親指を差し入れたところから植物を生やしてしまう不思議な能力を持っていた。
その話とは別に、みどりのゆびという言葉はもともとあったものらしい。園芸が得意な人、というような意味のようだ。
父はみどりのゆびを持った人だった。
我が家の庭にはいつも父が育てた植物が溢れていた。そのせいか私は小さい頃から花が好きだった。

私が小学生の時に一度、クラスメイトが庭に咲いていたミヤコワスレを教卓に飾ったことがあった。
私はその頃生き物係だったから、毎日花瓶の花を換えていたら、ミヤコワスレに根が生えてきた。
それに気がついた担任の先生が、ミヤコワスレをお家に持って帰りなさいと言ってくれた。
家に持って帰ったら、父がミヤコワスレを鉢植えにしてくれた。
そもそもミヤコワスレは生命力が旺盛で増えやすい花らしいが、ほんの一握りのミヤコワスレはそのうち家のガレージの一画を埋め尽くすほどに増えた。あんまり増えたので「増えちゃったよ」と父は困ったように言っていた。増えたミヤコワスレはご近所に配っていたようだ。

父は卒業した夜間大学では農業を学んでいた。
そのせいかわからないが、私が高校生の頃父は購買部から移って、園芸部の部長になった。父は購買部の仕事が大好きだったから、部署の移動はとても残念がっていたのだそうだ。
でも父にその仕事は向いていたと思う。

園芸部の部長の仕事は、会社が出した園芸店の店長をすることだった。
父は園芸店の店長になってから、劇物毒物の資格を取って、店で植物の薬や栄養剤を扱いはじめた。父は日本庭園などの勉強も始めた。店舗での植物の販売だけでなく、出張して造園も始めた。家には茶花などに関する植物の本がどんどん増えていった。

年に一度は近くの学園の学園祭に呼ばれて、父は小さな店を出していた。高校生の頃、私は毎年そこにアルバイトの名目で手伝いに行っていた。
晩秋のことだったから、小さな胡蝶蘭や、デンドロビウムや、カニシャコバサボテンや、ボインセチアや、セントポーリアを店頭に並べていた。
私は昔から粗忽者だったから、鉢を運んでいる途中で、よく胡蝶蘭の花枝を折ってしまった。父はそんな私を怒りはしないで、値下げしてその商品をうまく売ってくれた。
毎年同じ商品を並べて、同じ説明をするから、そのうちに私も覚えて、同じように接客しはじめた。
シクラメンなどのクリスマス商品は年を越せないお客さんが多くて、父はそんな方に年の越し方を教えていた。そうやって花を長持ちさせたお客さんは、微笑みながら穏やかに花の説明をする父のファンになって、さらに次の年も花を買いにくるのだった。
花は人を笑顔にするのだと、その時に思った。一年に一回の花屋の販売は私の好きな仕事になった。
人を笑顔にする花たちが私は今も大好きだ。

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