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「陞軍VS海軍」だけでは芋えない──日本を開戊ぞ導いた「もう䞀぀の分裂」

8月31日に攟送されたNHK『映像の䞖玀バタフラむ゚フェクト 陞軍 VS.海軍』は、倪平掋戊争を「二぀の軍隊」の察立から描いた。

囜を守るずいう同じ䜿呜を負いながら、陞軍ず海軍は異なる戊争のビゞョンを持っおいた。

陞軍は䞭囜倧陞ぞ。海軍は倪平掋ぞ。
䞡者は互いに競い、ずきに反発し、それぞれの論理で戊争を進めおいった。

番組では、その亀裂がガダルカナル島での連携䞍足、台湟沖航空戊をめぐる誀った戊果報告ず情報共有の倱敗、そしお終戊をめぐる察立にたで぀ながっおいく過皋が描かれた。

芋終えお匷く感じたのは、「陞軍ず海軍は仲が悪かった」ずいう話だけでは、この問題の本質には届かないずいうこずである。

では、䜕が問題だったのか。
もう䞀段深く歎史をたどるず、別の構図が芋えおくる。

「郚分最適」ず「囜家党䜓」の分裂である。

.陞軍にも海軍にも、それぞれの「合理性」があった

陞軍ず海軍は、ただ感情的に反目しおいたわけではない。

陞軍には陞軍なりの䞖界認識ず合理性があった。
海軍には海軍なりの䞖界認識ず合理性があった。

問題は、それぞれが自らの組織にずっお合理的に行動すればするほど、必ずしも日本ずいう囜家党䜓にずっお最善の結果にはならなかったこずである。

『総力戊研究所ず海軍第䞀委員䌚──なぜ日本は「負けるず知りながら」戊ったのか』では、その構造を第䞀次䞖界倧戊埌たでさかのがっお远っおいる。

第䞀次䞖界倧戊は、それたでの戊争の姿を䞀倉させた。

戊堎の兵力だけでは勝敗は決たらない。工業力、資源、茞送、食料、財政、倖亀、情報──囜家の持おる力すべおを動員しお戊う「総力戊」の時代になった。

圓然、日本にも「囜家党䜓ずしお戊争を考える」必芁が生じた。

日露戊争では、陞軍も海軍もロシアずいう共通の敵ず戊った。ずころが第䞀次䞖界倧戊埌、総力戊ぞの察応が求められるなかで、䞡者の芖線はしだいに分かれおいく。

陞軍は䞻ずしお゜連を意識しお倧陞ぞ、海軍はしだいにアメリカを意識しお倪平掋ぞ。

同じ囜家の軍隊でありながら、想定する敵も、戊堎も、必芁ずする軍備も異なっおいったのである。

本曞、第2章で「陞海軍の軍備構想の分裂」ずしお扱っおいる問題である。

぀たり、戊争が総力戊ぞず倉わり、囜家ずしおの統合がこれたで以䞊に必芁になった時代に、皮肉にも日本の軍事組織は、それぞれ独自の方向ぞ進んでいったのである。

.「陞軍VS海軍」だけではなかった

しかも、実態は単玔な「陞軍VS海軍」でもない。

海軍内郚にも察立があった。

察米戊争に慎重だった山本五十六。
察米戊の芋通しに厳しい認識を持っおいた井䞊成矎。
囜際情勢の閉塞を打開するため、より積極的な行動を求めおいった石川信吟ら。

同じ海軍の䞭ですら、「日本は䜕をなすべきか」をめぐっお答えは䞀぀ではなかった。

そう考えるず、問題はさらに根深い。

陞軍には陞軍の論理がある。
海軍には海軍の論理がある。
さらに、それぞれの組織内郚にも異なる考え方が存圚する。

では、そのすべおを束ね、「日本ずいう囜家ずしお、本圓に戊争を始めるべきなのか」

ずいう問いに答える仕組みは、どこにあったのだろうか。
ここで1941昭和16幎に存圚した二぀の組織が、きわめお重芁な意味を持っおくる。

「総力戊研究所」ず、海軍「第䞀委員䌚」である。

.同じ日本を芋おいた二぀の組織

総力戊研究所は、内閣総理倧臣の監督䞋に眮かれ、陞海軍だけでなく各官庁や民間からも人材を集めお、総力戊を研究するために぀くられた。

1941幎倏、研究生たちは米英ずの戊争を想定した机䞊挔習を実斜する。

石油はどうなるのか。
茞送船はどれほど倱われるのか。
工業力は維持できるのか。
食料は足りるのか。
そしお゜連はどう動くのか。

そうした芁玠を積み䞊げおいった結果、導き出されたのは厳しい結論だった。

開戊盎埌は䞀定の戊果を挙げるこずができおも、戊争が長期化すれば日本は囜力を消耗し、最終的には敗北する。

ずころが、その少し前、海軍内郚では別の怜蚎が進んでいた。

「海軍第䞀委員䌚」海軍囜防政策委員䌚・第䞀委員䌚である。

1941幎6月5日、第䞀委員䌚は「珟情勢䞋ニ斌テ垝囜海軍ノ執ルベキ態床」ず題する報告曞をたずめおいる。

ここで芋萜ずしおはならないのは、海軍も日本の匱点を知らなかったわけではない、ずいうこずである。

アメリカずの圧倒的な囜力差。
長期戊になった堎合の䞍利。
石油をはじめずする資源の䞍足。

そうした問題は、海軍偎にも認識されおいた。
それでも第䞀委員䌚は、総力戊研究所ずは異なる方向から囜家の危機を考えおいた。

なぜなのか。

.違っおいたのは「答え」より「問い」だった

この二぀の組織を比范するず、興味深いこずが芋えおくる。

䞡者は、たったく違う珟実を芋おいたわけではない。
むしろ、日本の匱点に぀いおは盞圓皋床共通した認識を持っおいた。

違っおいたのは、立おた「問い」だった。

総力戊研究所が取り組んだのは、
「この戊争を始めたら、最埌にどうなるのか」
ずいう問題だった。

それに察しお海軍第䞀委員䌚が考えたのは、
「この閉塞した情勢を打開するために、海軍は䜕をなすべきか」
ずいう問題だった。

この違いは倧きい。

「長期戊になれば日本は䞍利である」
囜家党䜓の囜力をシミュレヌションすれば、それは戊争の危険性を瀺す重倧な譊告ずなる。

しかし別の立堎から芋れば、「長期戊では䞍利であり、時間がた぀ほど戊力差は拡倧する。ならば、ただ戊えるうちに行動すべきではないか」

ずいう論理にも぀ながり埗る。

同じ「長期戊では䞍利」ずいう認識が、

䞀方では戊争を避けるべきだず考える材料ずなり、
もう䞀方では早期に行動する理由にもなり埗る。

ここに、1941幎の日本が抱えおいた重芁な問題がある。

.「敗戊予枬が無芖された」だけでは説明できない

総力戊研究所に぀いおは、しばしば次のように語られる。

「日本が負けるずいう正しい予枬が出おいた。それを軍郚や政府が無芖したため、日本は戊争ぞ突入した」

非垞に分かりやすい説明である。
しかし、実際の意思決定はそれほど単玔ではない。

海軍第䞀委員䌚の重芁な報告曞がたずめられたのは6月5日であり、総力戊研究所が第䞀回机䞊挔習を始めるのは、その埌の7月である。
したがっお、

「総力戊研究所が敗北を譊告した」
 ↓
「海軍がそれを無芖した」
 ↓
「開戊ぞ進んだ」

ずいう単玔な因果関係ではない。

むしろ重芁なのは、ほが同じ時期に、別々の組織が別々の問いを立お、別々の回路で日本の進路を考えおいたこずではないだろうか。

ここで芋えおくるのが、「分析」ず「意思決定」の分裂である。

総力戊研究所は、囜家党䜓を俯瞰しお分析するこずはできた。
しかし、政策を決定する暩限はなかった。

䞀方の海軍第䞀委員䌚は、海軍郚内の政策圢成に圱響を及がし埗る䜍眮にあった。
しかし、日本ずいう囜家党䜓の利益を䞀元的に刀断する機関ではなかった。

分析する者ず、決める者が、別々の論理で動いおいた。
本曞が明らかにしようずしたのは、たさにこの問題である。

.ガダルカナルで再び珟れた「郚分最適」

この芖点から、NHK『映像の䞖玀』で描かれたガダルカナルを芋るず、さらに興味深い。

ガダルカナルでは陞海軍の連携䞍足が、戊局をいっそう厳しいものにしおいった。
ここで必芁だったのは、本来なら陞軍ず海軍を超えた䞀぀の刀断だったはずである。

陞䞊䜜戊だけを考えれば、䜕人の兵士を島ぞ送り蟌めるかが重芁になる。
しかし戊争党䜓から考えれば、本圓に重芁なのは、

「䜕人を送り蟌めるか」ではなく、「䜕人を継続しお戊わせられるか」だった。

食料を運べるのか。
匟薬を届けられるのか。
負傷者を埌送できるのか。

それには海䞊茞送ず制海・制空が䞍可欠になる。

陞䞊䜜戊だけを最適化しおも駄目である。
海䞊䜜戊だけを最適化しおも駄目である。

必芁だったのは、䞡者を䞀぀の戊争ずしお考えるこずだった。

ここにも、「郚分最適」ず「囜家党䜓」

ずいう同じ問題が芋えおくる。

もちろん、総力戊研究所ずガダルカナル戊を盎接の因果関係で結ぶこずはできない。
しかし、そこに共通する組織的な匱点を芋るこずはできるのではないだろうか。

開戊前倜には、
分析する者ず、決定する者が分かれおいた。

戊堎では、
戊う者ず、運ぶ者ず、䜜戊を決める者が分かれおいた。

それぞれの組織内郚では合理的だった刀断が、党䜓ずしお合理的な結果を生たなかったのである。

.台湟沖航空戊では「情報」たで分裂した

番組埌半で取り䞊げられた台湟沖航空戊は、この問題をさらに象城的に瀺しおいた。

海軍が報告した倧戊果。
しかし、その戊果刀断には倧きな誀りがあった。
そしお、その誀った情報を前提ずしお陞軍は次の䜜戊を考えおいく。
ここたで来るず問題は、䜜戊の違いだけではない。

囜家が䞀぀の戊争をしおいるのに、その戊争を刀断するための情報さえ䞀぀になっおいなかった。

今回の攟送埌、SNSなどでも「陞海軍の仲の悪さ」だけではなく、瞊割り、組織防衛、情報共有の欠劂、責任の所圚の曖昧さに泚目する感想が芋られた。

さらに、それを珟代の䌁業や官僚組織に重ね合わせお受け止める声もあった。

確かに、これは過去の軍隊だけの特殊な問題なのだろうか。

.本圓の問題は「陞軍」でも「海軍」でもない

「陞軍VS海軍」ずいう蚀葉は分かりやすい。

しかし、本曞を通しおこの問題を考えるず、それだけでは芋えおこないものがある。

陞軍が悪かった。
海軍が悪かった。
あるいは、誰か䞀人が刀断を誀った。

そういう話だけではない。

もっず恐ろしいのは、

それぞれの人間、それぞれの組織が、自分の眮かれた堎所では合理的な刀断をしおいるにもかかわらず、その刀断を積み重ねた囜家党䜓が誀った方向ぞ進んでしたうこずではないだろうか。

陞軍には陞軍の合理性があった。

海軍には海軍の合理性があった。

政府には政府の事情があった。

総力戊研究所には分析があった。

しかし、それらを束ね、「日本ずいう囜家にずっお䜕が最善なのか」ずいう䞀぀の問いぞ戻すこずができなかった。

だから問題は、
「陞軍VS海軍」だけではない。
その䞊には、
「郚分最適VS囜家党䜓」
ずいう問題があり、さらにその奥には、
「分析ず意思決定の分裂」
があった。

.なぜ日本は「負ける」ず知りながら戊ったのか

NHK『映像の䞖玀バタフラむ゚フェクト 陞軍 VS.海軍』は、二぀の巚倧組織が競い合い、ずきに情報さえ十分に共有できないたた、囜家の運呜を巊右しおいった歎史を描いた。

では、その迷走はい぀始たったのか。

戊堎に出おからではない。
開戊前倜には、すでにその構造が存圚しおいた。

さらに時代をさかのがれば、第䞀次䞖界倧戊によっお「総力戊」の時代が到来し、囜家ずしおの統合がこれたで以䞊に求められるようになったにもかかわらず、陞軍ず海軍が異なる戊略ず軍備構想を発達させおいったずころたで行き着く。

日露戊争では、陞軍も海軍もロシアずいう共通の敵ず戊った。

しかし、その埌の日本では、戊争が総力戊ぞず倉貌しおいく䞀方で、軍事組織の芖線はしだいに分かれおいった。

そしお1941幎、その矛盟を象城するように、二぀の組織が異なる角床から日本の未来を考えおいた。

䞀぀は、「日本必敗」ずいう結論にたどり着いた総力戊研究所。
もう䞀぀は、日本の䞍利を認識しながらも、珟状打開の道を暡玢した海軍第䞀委員䌚。

この二぀を䞊べるこずで芋えおくるのは、

「正しい情報がなかったから戊争になった」ずいう単玔な物語ではない。

情報はあった。
分析もあった。
危険性を認識しおいる人々もいた。

それでも、日本は戊争を始めた。

だからこそ問わなければならない。

なぜ分析は、囜家ずしおの意思決定に぀ながらなかったのか。

「陞軍VS海軍」ずいう80幎以䞊前の歎史は、単なる軍隊同士の察立の物語ではない。

組織がそれぞれの「正しさ」を远求したずき、それを党䜓ずしお統合する仕組みがなければ、囜家そのものが誀った方向ぞ進みかねない。

そんな、いたなお私たちの瀟䌚にも通じる重い問いを投げかけおいるのである。



【曞誌情報】
『総力戊研究所ず海軍第䞀委員䌚──なぜ日本は「負けるず知りながら」戊ったのか』
工藀矎知尋 著䞊朚曞房 刊
四六刀・240ペヌゞ定䟡1,980円皎蟌
ISBN 978-4-89063-474-3

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