食わず嫌いだったイナゴの佃煮からブームの後で姿を消したコオロギチョコまで
子どもの頃、母親から「イナゴの佃煮は美味しいのよ」と聞かされても、頑なに拒絶していた。どれほど甘辛く煮詰められていようと、「バッタの仲間の昆虫なんて!」と想像するだけで気持ち悪かった。
その嫌悪感は、大人になっても変わらなかった。30代の頃、パナマで働いていたときのことだ。日本人同僚がコロンビア出張のお土産だと誇らしげに持ってきたのは、現地で親しまれているという「煎った蟻」だった。

日本の蟻よりずっと肥えていて、煎られたことで足は失われ、まるっとした身体だけになっていた。香ばしくて珍味なのだと勧められたが、丁寧に辞退させてもらった。私にとって「虫」は、「食べる対象」にはならないものだった。
そんな私の頑固な拒絶感が破られたのは、50代になってからのことだ。
会社の先輩に連れて行かれたのは、新宿の小さな会津料理の店だった。店主が会津の出身で、郷土の味がずらりと並ぶ酒場。そこで目の前に出されたのが、あのイナゴの佃煮だった。わ

海のない山間部の貴重なタンパク源として受け継がれてきた伝統の味だという。先輩の手前もあり、またほろ酔い気分も手伝って一匹、口に運んでみた。
――あれ、意外に旨い。
香ばしい醤油と甘みと歯ごたえ。子どもの頃からの嫌悪感が、一瞬で「美味しい酒の肴」へと上書きされた瞬間だった。もちろん、あのグロテスクな見た目そのものがどうしても無理だという人がいるのはよく分かる。それでも、地域文化に根づく食の重みとおいしさを知ったことは、忘れがたい経験になった。
それからしばらくして、世間では「SDGs」や「環境負荷が小さく、持続可能なタンパク質」として昆虫食が脚光を浴び始めた。その象徴とも言えたのが、無印良品が発売した「コオロギせんべい」や「コオロギチョコ」だ。
発売当初は大人気で、品切れが続いてすぐには手に入らなかったほどだ。ようやく入手して食べてみると、コオロギは跡形もなくパウダー状になり、生地にしっかりと練り込まれていた。見た目はごく普通のせんべいとチョコレート。言われなければ昆虫食とは絶対にわからない、というレベルに仕上がっていた。家族は嫌がったので、ひとりで食べた。

会津名物のイナゴの佃煮ように「形が残るグロテスクさ」というハードルを乗り越えなくても、これなら誰もが日常的に受け入れられるのではないか――そう感心したものだった。
しかし、あれほど話題になったコオロギせんべいやコオロギチョコも、気づけば店頭から姿を消してしまった。急速なブームの反動や、コオロギ加工食品を給食のメニューにしたことに対するSNSでの炎上、企業の撤退などもあり、「未来の日常食」になる前に一気に下火になってしまったのは、残念だ。
地域の暮らしの中で脈々と受け継がれてきた伝統食としてのイナゴは、グロテスクな見た目でも酒場でしぶとく生き残り、一方で未来の食料危機から人類を救うタンパク源になるはずだったコオロギパウダーは、一時のブームとともに消えていった。
「見た目のハードルさえなくせば定着する」——そう単純なものでは無いのだろう。新宿の居酒屋でいただいた会津のイナゴの味を思い出しながら、人と昆虫食の複雑な距離感を、私はどこか少し寂しく思っている。
