今生きづらくても大丈夫、あなただからこそ踏み出せる
幼少期の親子関係が不健康なものであった時、
その子はかなりの確率で、世の中に適応することに失敗します。
或いは幼少期に不健康な親子関係に晒され続けて、世の中に適応することが困難であるにも拘らず、
擬似的に、適応しているフリ、を続けたなら、
その負荷は計り知れず、
いつか燃え尽きてしまいます。
不健康な親子関係、と言うと、
親が子どもに暴力をふるったり罵倒したり、
親が子どもに無関心で最低限の養育すら果たさない、
といった状態を連想される方も多いかと思いますが、
現在はむしろ傍目には、きちんと整った親子、
もっと言うなら、理想的にすら見える親子、の中で、
子どもの心が蝕まれる場合の方が遥かに多い様に感じています。
暴力による肉体的虐待では無く、
無関心によるネグレクトでも無く、
過保護、過干渉による心理的虐待こそが、
子どもが世の中に適応する能力を封じ込める元凶となっている場合がとても多い様に思います。
勿論比較して、肉体的虐待やネグレクトが、
過保護、過干渉よりも良いとかマシだとか、
言っている訳ではありません。
肉体的虐待やネグレクトは、子どもの心を瞬時に、直接的に破壊する爆弾です。
一方、過保護、過干渉をはじめとする心理的虐待は、子どもの心をじわじわと蝕む細菌兵器の様なものだと思うのです。
爆弾が投下された時の様に、火柱が上がる訳でも、爆風が全てを吹き飛ばす訳でも無いのですが、
細菌兵器は静かに、しかし確実に内側から蝕むのです。
肉体的虐待も心理的虐待も、晒された子どもの心に甚大なダメージを与えます。
どちらも決して、あってはならないこと、です。
肉体的虐待やネグレクトと言った直接的な爆撃に晒された子も、
過保護、過干渉などの内側から蝕む細菌兵器の被害にあった子も、
行き着く先は同じ、生きづらさ、です。
どちらも其処に行き着きますが、
行き着いて、永く苦しんだ先で、
生きづらさを手放して軽やかに自分の人生を生きようとした時に、
両者の違いが浮き彫りになります。
直接的な爆撃をかいくぐり生き抜いた人は、心に大きく深い傷を負っていますが、
傷が大きく深いからこそ、生きづらさを手放す決意を固めたなら、
上がる火柱や、記憶ごと吹き飛ばす様な爆風も、
そして爆弾を投下したのは誰なのか、ということ迄も明確に思い出し、向き合い、
決意のままに一気に、生きづらさを手放す方向へと駆け出す場合が多いのですが、
細菌兵器に内側から蝕まれた人は、直接的な火柱も、爆風も無く、
確信に至ることが無いままに、永い時間をかけて、深く静かに心を傷だらけにされています。
だからあまりにも苦しくて生きづらさに気がついても、
細菌兵器を使ったのが誰なのか、が判りません。
言うまでも無く使ったのは、その人の親、に他ならないのですが、
内側から蝕まれ、心を傷だらけにされ、生きづらさに永く苦しんで尚、
「自分は親から愛された」
と言う人が多いのです。
生きづらさを手放す時、
自分の心の状態を把握し、
どうしてそうなったのかを紐解き、
そして腑に落とします。
細かなメソッドは多岐に渡りますが此の、
【把握する→紐解く→腑に落とす】
という大枠の流れは、省略することの出来ないものだと思っています。
ところが、心は傷だらけであるにも拘らず、
「自分は親から愛された」と頑なに盲信していると、
自分の現在の心の在り様が把握出来ません。
把握出来なければ、どうしてそうなったのか紐解くことが出来ません。
把握出来ず、紐解けなければ、腑に落とすことは出来ないのです。
生きている只それだけで苦しいから、生きづらさ、に気がつきました。
それはとても大きな一歩です。
でも、「自分は親から愛された」と思った瞬間に、生きづらさを手放すことからは離れてしまいます。
無垢で無力な、幼い子どもにとって親は、全て、であり、世界、です。
親から愛されない、ということは、全てを失うに等しく、世界を敵に回すことと同義です。
だから傷だらけになって、永く苦しんで尚、親の愛に固執します。
考えてみて下さい。
かつて愛されたのなら、どうして今、生きづらいのでしょうか?
愛されたけれども生きづらい、は九分九厘ありません。
認めるには痛みを伴います。
受け容れるのは怖い筈です。
寂しいし、悲しいし、辛い筈です。
けれども、あなたは今はもう、
無力な幼い子どもではありません。
愛されなくても耐え抜き、
生きづらくても生き抜いた、
強く、勇敢で、尊い存在です。
そして生きづらさを手放すと、
決意しました。
かつて愛されて然るべき季節に、
愛されて然るべき人からは、
ついぞ愛されなかったけれど、
生き抜いたあなたが今、
愛溢れる親になって、
幼かったあの日のご自身を、
力いっぱい抱きしめてあげて下さい。
それが、
全てを腑に落とすということ、です。
頑なな何か、が溶けて流れます。
今、生きづらくても、
今、苦しくても、
強く勇敢で、
尊いあなたは大丈夫です。
必ず一歩、踏み出せます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
