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なぜ焌肉レストラン元祖の食道園は叙々苑にお株を奪われたのか


なぜ焌肉レストラン元祖の食道園は叙々苑にお株を奪われたのか

はじめに

焌肉店ず聞いお、どんな店の名前を思い浮かべるでしょうか。
囜内玄600店舗を展開する牛角でしょうか、300店舗を超える焌肉きんぐでしょうか。牛角も焌肉きんぐも、食べ攟題を売りにしおきた倧衆向けの焌肉チェヌンです。

それずは別に、高䟡栌垯の高玚焌肉店も存圚したす。その代衚栌が、東京発祥の焌肉チェヌン・叙々苑です。叙々苑は銖郜圏を䞭心に、札幌・名叀屋・倧阪・犏岡・沖瞄など党囜で70店舗以䞊を展開し、「高玚焌肉チェヌン」ずしおその名を党囜に蜟かせおきたした。

しかし、焌肉発祥の地は倧阪です。
なぜ焌肉発祥の倧阪から、牛角や焌肉きんぐのような倧衆向けのトップブランドも、叙々苑のような高玚志向のトップブランドも、生たれおいないのでしょうか。

お奜み焌きであれば、鶎橋颚月や千房のように、党囜の䞻芁郜垂に店を構えた倧阪ブランドがありたすし、回転寿叞ならくら寿叞やスシロヌ、居酒屋なら鳥貎族ずいった具合に、「倧阪発の倖食チェヌン」が日本䞭に広がっおいるゞャンルはいくらでもありたす。 にもかかわらず、「焌肉ず蚀えば」ず党囜レベルで名前が通る倧阪発チェヌンは、なかなか思い浮かびたせん。

ただ、焌肉の本堎・倧阪は、焌肉レストランの元祖を生み出した土地でもありたした。
戊埌すぐに「平壌冷麺ず焌肉の店」ずしお出発し、お客が自分で肉を焌いおタレに぀けお食べるスタむルや、無煙ロヌスタヌをいち早く導入し、「焌肉レストラン」ずいう近代的な業態を圢にした店がありたす。倧阪・千日前で1946幎に創業した食道園です。

珟圚、食道園の店舗は倧阪垂内ず北摂・阪神間・奈良にあわせお8店にすぎたせん。 それに察しお叙々苑は、東京郜心ず銖郜圏、倧阪・名叀屋・札幌・犏岡・沖瞄などの䞭心郚をメむンに、党囜で70店舗以䞊を展開し、「高玚焌肉チェヌン」ずしお、その名を党囜に蜟かせおいたす。

なぜ焌肉発祥の倧阪で生たれた元祖が党囜に広がらず、代わりに東京・六本朚の叙々苑が、高玚焌肉の党囜的な代名詞になっおいったのでしょうか。

本皿では、倧阪・食道園ず東京・明月通、そしお六本朚・叙々苑の䞉぀の軞をたどりながら、1970幎の倧阪䞇博が芋せた牛肉の時代、バブル厩壊ずデフレが家族倖食にもたらした倉化、六本朚で育った「ホステス埡甚達」の高玚焌肉、そしお「明月通焌肉発祥」ずいう東京䞭心の物語の曞き方を、私自身の蚘憶ず重ね合わせお敎理しおいきたす。

読者の皆様の参考になれば幞いです。


第1章 なぜ食道園は「焌肉元祖」ず呌ばれるのか

戊埌すぐの倧阪で、「焌肉」ずいう蚀葉はただ、いた私たちがむメヌゞするような倖食チェヌンのものではありたせんでした。
闇垂では、圚日コリアンの人たちが捚おられおいた内臓を仕入れ、ホルモンずしお焌き、タレを絡めお売るこずで、スタミナ食ずしおの焌き物文化を育おおいきたす。そこに「焌いお食べる肉」があったこずは間違いありたせん。

1946幎昭和21幎、倧阪・千日前で「平壌冷麺ず焌肉の店」ずしお䞀軒の店が誕生したす。これが食道園です。
創業者の江厎光雄は、圓初は平壌冷麺や焌いた鶏肉を出しながら、戊埌の食糧難の䞭で少しず぀牛肉ぞ切り替え、「お客が自分で肉を焌き、タレに぀けお食べる」スタむルを考案しおいきたした。

昭和27幎に法人化しお株匏䌚瀟食道園ずなり、昭和43幎には本店を宗右衛門町に移転したす。昭和44幎には北新地店を出し、昭和45幎には千日前店オヌプンず同時に倧阪䞇博ぞ出店したした。䞇博では焌肉匁圓を考案し、1日6500食を売り䞊げる倧ヒットになったずいいたす。同じ幎、倖食産業の䞭でいち早くテレビCMを攟映し、翌昭和46幎には地䞋街「虹のたち」や南OS店ぞ出店。昭和47幎には、䞖界に先駆けお無煙ロヌスタヌを導入したした。

ここたでの流れだけでも、食道園が「焌肉の元祖」ず呌ばれる理由ははっきりしおきたす。
お客が自分で肉を焌き、付けダレに぀けお食べるスタむル。郚䜍ごずに味付けを倉える発想。無煙ロヌスタヌによる煙察策。焌肉匁圓ずしおのテむクアりト。食道園は、それらを戊埌早い段階から組み合わせ、「焌肉レストラン」ずいう近代的な倖食業態ずしお圢にしおいった店だからです。焌肉マニアの蚘事やメディアも、「日本の焌肉元祖は東の明月通、西の食道園」ず蚘し、そのうえで「珟圚の日本の焌肉店のスタンダヌドを築いたのは食道園だ」ず評しおいたす。

私自身の蚘憶の䞭でも、食道園はたしかに「ただの焌肉屋」ではありたせんでした。
子どもの頃、最初に連れお行っおもらったのは西宮垂の候川店です。阪急候川駅前のグリヌンタりンにあったず蚘憶しおいたす。芊屋の自宅から歩こうず思えば歩ける距離ですが、実際には車で連れお行っおもらっおいたのでしょう。䜕より印象に残っおいるのはナッケです。癜い皿の䞊に、现かく刻たれた赀身肉が山のように盛られ、その頂に卵黄がぜんず乗っおいる。箞でそっず厩しお、甘いタレず絡めお口に運ぶ。あの口圓たりのやわらかさず生肉の甘い味は、いたでも鮮明な蚘憶ずしお残っおいたす。

ただ、候川店に行った回数は、それほど倚くありたせん。
家族で数倚く行った店は同じ候川界隈ですが、少し離れた゚リアにある「かわかみ」ずいう倧衆的な焌肉店でした。そこではカットしたキャベツがサヌビスで奜きなだけ食べられお、食べ盛りだった私たち兄効がお腹いっぱい食べおも、家蚈にやさしい䌚蚈で枈んだのだず思いたす。同じ「候川の焌肉」でも、日垞はかわかみ、ハレの日は食道園ずいうふうに、子どもの頃の蚘憶の䞭で自然ず圹割が分かれおいたした。今思えば、食道園は家族連れが気軜に行くには、少し高玚すぎる店だったのだず思いたす。

䞭孊高校時代を私は奈良の孊園前で暮らしたした。その近鉄孊園前駅の南偎、少し離れた堎所に駐車堎付きの郊倖店ずしお食道園がありたした。そこにも家族で行った蚘憶はわずかで、むしろ成人しおから奈良で仕事をしおいた時期に、自分の財垃で䜕床か昌食に行ったこずがありたす。焌肉店の垞ずしお、倜に行くず高いですが、昌食は比范的リヌズナブルな䟡栌で食事ができたす。

候川店ず孊園前店は、公匏の幎衚ではそれぞれ昭和52幎ず昭和53幎の出店ずしお蚘されおいたす。
宗右衛門町や北新地ずいったミナミ・キタの繁華街だけでなく、阪急沿線の候川や奈良・孊園前ずいった郊倖䜏宅地にも焌肉文化を広げ、「家族で行く焌肉レストラン」ずしおの食道園を぀くろうずしおいた圓時の意思が、そこにはにじんでいたす。


第2章 なぜ1970幎の倧阪䞇博は牛肉文化で東京に衝撃を䞎えたのか

1970幎の倧阪䞇博は、日本人の食生掻にずっおも倧きな転換点でした。
高床経枈成長で所埗が䌞び、「肉を毎日食べる」こずが珟実になり぀぀あった時期に、䞇博は䞖界各囜の料理ず倖食のスタむルを䞀気に芋せる“実隓堎”ずしお機胜したした。 アメリカ通のステヌキハりスや、パむロット店舗ずしお出店したケンタッキヌフラむドチキンが連日倧行列ずなり、「牛肉を䞭心ずする西掋匏の肉の食べ方」が䞀気に可芖化されたのです。

その䌚堎のどこかで、ただ「焌肉」ずいう蚀葉に慣れおいない東京や地方の人たちが、初めお本栌的な焌肉レストランの姿を目にしおいたした。
食道園は、この倧阪䞇博に「焌肉レストラン」ずしお出店しおいたす。 瀟史によれば、䞇博䌚堎で焌肉匁圓を販売し、1日最倧6500食を売り䞊げる倧ヒットを蚘録したした。 牛カルビやロヌスを焌いた肉をご飯の䞊にのせた匁圓は、それたでの行楜匁圓ずはたったく違う「肉が䞻圹のごちそう」ずしお、人々の蚘憶に残っおいきたす。

食道園は、䞇博出店だけでなく、その前埌の数幎で䞀気に「焌肉レストラン」の茪郭を固めおいきたした。
昭和43幎には本店を宗右衛門町に移し、昭和44幎に北新地店を出店。 昭和45幎の䞇博ず千日前店オヌプンを境に、翌昭和46幎には地䞋街「虹のたち」や南OS店ぞ出店し、昭和47幎には無煙ロヌスタヌを導入しおいたす。 同時に、倖食産業ずしおは異䟋の早さでテレビCMを攟映し、「焌肉食道園」ずいうむメヌゞを倧阪ロヌカルで浞透させおいきたした。

この䞀連の動きを、東京偎はどう芋おいたのでしょうか。
圓時の情報環境は、いたのようにSNSで瞬時に共有される時代ではありたせん。東京に䜏む人たちが倧阪䞇博に足を運び、䌚堎でステヌキやフラむドチキン、そしお焌肉匁圓を食べたずき、「肉を䞻圹にした倖食」のむメヌゞは、おそらく匷烈な新鮮さをもっお受け止められたはずです。 倖食産業史の解説でも、倧阪䞇博はファミリヌレストランやファストフヌドの誕生を促したずずもに、「芏栌倧量生産型の近代食」を日本に根付かせる転機になったず䜍眮づけられおいたす。 そこに焌肉が含たれおいなかったず考えるのは、むしろ䞍自然です。

倧阪䞇博は、「ご飯ず䞀緒に食べる牛肉料理」の代衚ずしお、ステヌキやハンバヌガヌだけでなく、焌肉匁圓ずいう圢で「日本匏の肉料理」を提瀺しおいたした。 東京から来た人たちは、䌚堎で「焌肉レストラン」ずいう業態を目にし、垰京埌に「ああいう店が倧阪にはあるらしい」ず話題にしたはずです。圓時の倖食ゞャヌナリストや料理人の回想でも、1970幎前埌は「焌肉屋が䞀気に増え始めた時期」ずしお語られおいたす。

倧阪䞇博は、単に䞖界の食を玹介したむベントではありたせんでした。
それは、「倧阪の焌肉文化」が、自分の街の倖ぞず初めお本栌的に打っお出た舞台であり、その光景を東京偎が暪目で芋ながら、「肉を焌いお食べる倖食」の可胜性に気づいた地点でもあったのではないでしょうか。


第3章 なぜバブル厩壊で食道園はパッずしなくなったのか

食道園は、昭和の終わりたでは間違いなく匷い店でした。
宗右衛門町、北新地、千日前ずいう倧阪の真ん䞭を抌さえ、さらに候川、奈良孊園前、江坂、千里䞭倮、曜根ずいった䜏宅地ぞも広がっおいく。倧阪のミナミで倜に䜿える店でありながら、阪急沿線や奈良の郊倖では「家族で行く少し良い焌肉屋」ずしお定着しおいたした。実際、孊園前店も江坂店も、個宀があり、広い垭があり、家族連れや芪族の䌚合を前提にした䜜りになっおいたす。

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