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こんな辛いのになぜ生きる? 集団の中で生まれる孤独と向き合うリルケ、この世界は生きるに値しないと認めた上でそれでも生きると宣言するヴァレリー【『世界近代詩十人集』をちゃんと読む④】

 メンバーシップ限定記事ではこれまで近代文学を中心に分析を重ねてきました。今月はSNSのつぶやきは詩の復活であると仮定した上で、いまこそ近代詩を代表する10人を読んでおこうという教養回になります。

 初回は伊藤整がまとめた傑作訳詞集『世界近代詩十人集』について解説した上で、ハイネとホイットマンの代表的な作品を取り上げました。

 その次は、詩人は「ろくでなし」というイメージを作ったフランスの天才たち、ボードレール、ヴェルレーヌ、ランボーってなにが凄かったのか、確認していきます。

 前回はメタ認知といういまっぽい視点を詩に導入したイェイツの代表作『1916年復活祭』を深掘りしていきました。

 ちなみに過去のメンバーシップ記事が溜まってきたので、各月の買い切りプランも始めてみることにしました。メンバーシップならすべての記事を読むことができるけれど、お試しとして、興味のある月だけでも是非是非。

 とりあえず横浜美術館で開催中の「マリー・アントワネット・スタイル」の精神的支柱となる伝記の天才『ツヴァイクが遺した昨日の世界』だけでも。


☆ライナー・マリア・リルケ

孤独を受け止め、内面に潜り、
世界を外部として徹底的に観察し続けた
ライナー・マリア・リルケ(独・1875-1926)

 1875年、オーストリア=ハンガリー帝国のプラハ(現チェコ)に誕生。早逝した長女の身代わりにされ、幼少期は女の子として育てられました。その後、父の意向で陸軍幼年学校に入れられるが、厳格な生活に耐えられず中退。

 1897年、22歳で14歳年上の才女ルー・アンドレアス=サロメと出会い、恋に落ちます。ルーと共にロシアを旅し、広大な大地と宗教的な民衆に深く感動、影響を強く受けました。その後、別の女性と結婚し、パトロンの仕送りで暮らすも、それが止まり、家庭生活は破綻。

 1902年、27歳で単身パリに移住、29歳で彫刻家オーギュスト・ロダンの秘書となり、彼の創作姿勢から「感情に頼らず、対象を徹底的に観察して形にする」方法を学びます。この「見る」修行から、独自の「事物の詩」の境地を開拓。若き日の孤独と苦悩を投影した唯一の小説『マルテの手記』を完成させました。

 その後、定住の地を持たず、ヨーロッパ中の貴族の城やホテルを転々とします。スイスのミュゾット城に落ち着くと猛烈な速度で代表作となる詩を次々生み出しました。1926年、白血病により51歳で死去。薔薇の棘で亡くなったという伝説も残っているとか。


人間の本質的な孤独感を描く『孤児』

私は何人でもなく、何人でもないだらう。
今私は存在には尚ほ小さ過ぎる、
しかし後になってもやはり。

お母さんだち、お父さんだち、
あはれんで下さい。

いたはり育てる甲斐はなくも、
でも私は刈り取られる。
誰も私を用ひ得ない。今は早過ぎるし、
明日は遅過ぎる。

私はただこの一つの著物を持つきりだが、
それは薄くなりまた色があせる。
しかしそれは長い間保つてある、
恐らくは神様の前でもなほ。

私はただこの僅かな髪をもつてある、
(いつも同じだった。)
嘗て一人の最愛のものだった。

いま彼はもう何にも愛しない。

(茅野蕭々訳)

『世界近代詩十人集』281頁

 客観的に見たとき、なぜ不幸なのか、原因らしいものは語られていないけれど、主観として幸福を感じられない以上、不幸でしかないという孤独感が描かれています。これは近代以降、社会が成熟する中で人々が「よりよい人生」という幻想を追い求めたことによって現れてきた孤独であり、リルケはいち早くフォーカスを当てました。


それでも生きる理由を描く『第九の悲歌(一部)』(『ドゥノイの悲歌』より)

つかのまのこの存在をおくるには
他のすべての樹々よりやや緑濃く
葉の縁(ヘリ)ごとに(風のほほえみのような)さざなみを立てている
月桂樹であることもできようのに、なぜ
人間の生を負いつづけねばならぬのか ー そして運命を避けながら
運命をあこがれわたるのか? ……
   おお、そのわけはそこに幸福があるからではない、
幸福とはまぢかに迫りつつある損失の性急な先触れにすぎないのだ。
またそれは好奇からでもなく、心情の修練のためでもない、
心情は月桂樹のなかにも生きつづけよう......

いや、そのわけは、この地上に存在するということはたいしたことであるからだ、そしてこの地上に存在するすべてのものが、
われわれ人間を必要としているらしく思えるからだ。
これらのうつろいやすいものたちが、
ふしぎにわれわれにかかってくる、ありとあらゆるもののうちで最もうつろいやすいわれわれに。
あらゆる存在は一度だけだ、ただ一度だけ。一度、それきり。
そしてわれわれもまた一度だけだ。くりかえすことはできない。
しかし、たとい一度だけでも、このように一度存在したということ、
地上の存在であったということ、
これは打消しようのないことであるらしい。
(手塚富雄訳)

『世界近代詩十人集』331頁

 なんのために生きているのか、目標を持ちづらくなった現代社会において、それでも生きてよかったと思える瞬間は確かにあって、それだけで生きていけると希望を示すのがリルケの優しさ。これはニーチェの『永劫回帰』などにも通じる思想ですが、リルケの場合はより身体感覚を伴う喜びで生を肯定しています。

 そんなリルケらしさが異なる方向から味わえる二作をご紹介します。どちらも「秋」をモチーフにしているのですが、描く内容が真逆で面白いです。どちらも『形象詩集』という一冊の中に収録されているので、意図的なずらし方と推測できます。


生の成熟と孤独を描く『秋立つ日』

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