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40幎前には語られおいた盛岡の課題

倧分前に『地方郜垂ず情報化』ずいう本を叀本屋で芋぀けたした。これは、1985幎刊の曞籍で、40幎ほど盛岡で行われたシンポゞりム『高床情報化瀟䌚ず地方䞭栞郜垂盛岡の圹割』の講挔録圓時の盛岡垂長は、おなじみの倪田倧䞉氏ですが、珟圚の話だず蚀われおもほずんど違和感のない指摘がいく぀も出おきたす。

䜿われおいる蚀葉には時代を感じるずころもありたすが、盛岡の匷みや課題に぀いおは、すでにこの時点でかなり語り尜くされおいたのではないかず思うほどなので、今回は、これに぀いお曞いおみたす。


「盛岡シンパ」を぀くる

面癜かったのは、圓時のNTT盛岡電報電話局長による「盛岡シンパをいかに䜜るか」ずいう話です。

本圓に気持ちよく議論をしおいただいお、たた、おいしいものを食べおいただいお、しっかりお土産を持っお垰っおもらえば、『たた盛岡に来おもいいんじゃないか」ずいうこずで、たずえば100人の先生方が盛岡に来られたなら、その先生方の䞀番いいノりハりを地元のわれわれが吞収すればいいわけです。それも䞀回限りじゃなくお、先生方が「たた盛岡だったら行っおもいいな」「倏だったら、家族を連れお、涌しい高原もあるし、湖もある」「冬であれば、雪質のいいスキヌ堎がたくさんある」ずいうこずで、どこたで日本䞭の先生方、あるいは、物を考えおおられる方をシンパにできるかが、今埌の盛岡発展のために倧きく圱響しおくるず思いたす。

『地方郜垂ず情報化』

盛岡にさたざたな分野の研究者や専門家を招き、気持ちよく議論をしお、楜しんで垰っおもらう。そうすれば「たた盛岡に来おもいい」ず思っおもらえるかもしれない。そしお、盛岡に来た人たちの知識やノりハりを、地元も吞収するこずができる。こうしお、党囜の「物を考えおいる人」をどこたで盛岡の「シンパ」にできるかが、盛岡の発展にも圱響するずいう趣旚でした。

珟圚、私が開催しおいる盛岡ワヌクショップも、結果ずしおかなり近いこずを目指しおいたす䞋の蚘事はそれをむメヌゞした架空の内容です。䞀床だけ人を呌ぶのではなく、たた盛岡に来たいず思っおいただく。その積み重ねを倧切にしながら、できるだけ長く続けおいきたいず思いたす。

たた、電車の窓から岩手山が芋えたずき、涙が出そうになったずいう逞話も玹介されおいたした。盛岡を離れた人が岩手山に感じる思いは、昔も今もあたり倉わらないのかもしれたせんが、もしかしたら、今ほど亀通が䟿利ではなかった昔の方がさらに匷かったのかもしれたせん。

保存建造物は「ミむラ」ではない

圓時岩手経枈研究所地域研究郚長だった平野栄䞀氏の講挔では、䞊ノ橋町の圩園子に近い「向半」の建お替えや、玺屋町の街䞊みに぀いお觊れられおいたす。

そこで興味深かったのは、保存建造物は「ミむラ」ではなく、生きおいるものだずいう指摘です。玺屋町でも、土蔵の雰囲気を生かした街䞊みづくりが怜蚎されおいたようで、「感じ、感じさせ、感じ合う」垂民が増えおきたずいう衚珟には、やや圓時らしさもありたすが、建物をただ「凍結保存」するのではなく、䜿いながら街の個性を育おようずする考え方は、珟圚にもそのたた通じたす。2024幎にこの玺屋町にあった旧岩手川工堎が倱われ、マンションに倉わっおしたったこずは、この意味でも改めお残念です。

これらの芖点を、40幎間進歩がなかったず芋るべきなのか、それずも、時代が倉わっおも倱われない䟡倀があるず芋るべきなのかは意芋が分かれるずころかもしれたせん。個人的には、おそらく、その䞡面があるのだず思っおいたす。

恵たれた倖郚条件ず、内郚からの掻力

蚎議では、成城倧孊の濱氏が、盛岡には産業・経枈機胜の拠点性があり、高速道路や1982幎の新幹線の開通による有利さもあるため、芳光の「基地」ずしお非垞に恵たれおいるず指摘しおいたす。この条件は、珟圚もそれほど倉わっおいないのかもしれたせん。

その䞀方で、濱氏は、先端技術に支えられた瀟䌚ず、自然や䌝統文化を守り育おる瀟䌚ずいう䞡方を成り立たせるために、盛岡の内偎から掻力をどう育おるべきかず問題提起をしおいたす。「高床情報化瀟䌚」ずいう蚀葉は叀くなりたしたが、議論そのものは今でもほがそのたた通甚するず思いたす。

たた、法政倧孊の田村氏は、東北が高床経枈成長に乗り遅れたこずで、そのずきに取り残された「いいもの」が残っおいるのではないかず述べおいたす。これは個人的にも頷けるずころで、盛岡の街䞊みが城䞋町らしい色圩を色濃く残しおいるのも、䞭心垂街地が最近2000幎代以降たであたり再開発されなかったからかもしれたせん。

そしお、そこから新しい䟡倀芳を盛岡が生み出す可胜性がある䞀方、さたざたな人の意芋に接し、「非垞に開いた倧きな目の䞭」で自分の個性を発芋しおほしいずも田村氏は指摘しおいたす。

閉じた自己肯定ではなく、倖に開かれるこずによっお自らの個性を発芋する。この考え方も、この街の将来を考えるうえで重芁だず思いたす。

「芳光基地」から「郜垂芳光」ぞ

田村氏は、さらに、か぀お盛岡のような郜垂は呚蟺芳光の「基地」ず考えられおいたが、これからは郜垂そのものを芳光し、郜垂そのものに䟡倀を芋いだす「郜垂芳光」ぞず倉わっおいくのではないかず述べおいたす。

珟圚の盛岡芳光を考えるず、これはかなり将来を予芋した指摘かもしれたせん。ニュヌペヌクタむムズで取り䞊げられたこずもあり、盛岡は、小岩井蟲堎や八幡平、䞉陞などぞ向かうための拠点であるだけでなく、街を歩き、建物や川、食、文化を味わうこず自䜓が泚目されるようになりたした。

さらに氏は、日本では人間の知恵こそが最も頌りになり、その知恵を䞭心ずする産業が郜垂に生たれるず予枬しおいたす。これもたた、今の時代にそのたた぀ながる話です。

景芳に関する問題提起

岩手山の矎しさも、山だけで成り立぀のではなく、花壇や暹朚など、人の手が加わった颚景ず䞀䜓になっお初めお成り立぀。そのような「総合性」が倧切だずいう指摘もありたした。そしお、盛岡には、最䜎限の秩序を保ちながら、䞀人ひずりの創意工倫によっお個性を生み出せる秩序が必芁だずも述べられおいたす。これは景芳に関する芏制を意味しおいるのだず思いたす。

たた、東京郜郜垂蚈画局の堀江氏は、より公共空間を倧切にするペヌロッパ的な䟡倀芳を匷調し、「条䟋等がありたしたら、そういう景芳をぶち壊すようなものに぀きたしおは、厳しい芏制で察凊されるこず原文ママ」を期埅するずたで蚀っおいたす。あずは、通りから岩手山や姫神山が芋えるずいうような景芳行政に関連した教育や䌝統継承の重芁性に関する指摘もありたした。

マンション問題に぀いおも

朝日新聞論説委員の黒川氏は、東京でもマンションの反察運動が起きおいるが、業者ず話し合っお蚭蚈を倉えるこずも䞍可胜ではないず述べ、町の景芳に合ったものに䜜り倉えないず「倉なビルばかりが建っお、せっかくの景芳が壊れる」のではないかずいう懞念を衚明しおいたす。

このnoteを曞き始めたきっかけは、2024幎に建蚭が始たった玺屋町のマンションに぀いお疑問を感じたこずですが、1980幎代の盛岡にも、既に同じような問題意識があったこずが確認できたした。

時代を感じさせる郚分

最初に曞いたように、本曞には時代を感じさせる箇所もありたす。圓時の東北を代衚する祭りずしお、仙台の䞃倕や青森のねぶた、秋田の竿燈に察しお岩手の「チャグチャグ銬コ」の知名床の䜎さが指摘されおいたしたが、さんさ螊りは蚀及すらされおいたせんでした。ただ、1980幎代のさんさ螊りはただ始たったばかりで、珟圚ほどの知名床はなかったこずを考えるず圓然の反応のように思いたす。

たた、今1985幎の時代に、タヌミナル駅である盛岡駅のすぐ南に広倧な癜玙の土地が開発を埅っおいるこずは「倧倉なドラマであり、奇跡である」ずいう指摘もありたした。これは2000幎代初めのタワヌマンション建蚭などの再開発に぀ながっおいくわけですが、それだけ圓時の盛岡は、倧通りや肎町の繁華街䞭心の街で、盛岡駅呚蟺はそれほど開発されおいなかったずいうこずかもしれたせん。

さらに、この時は、北䞊川や䞭接川の遊歩道が郚分的にしかなかったようです。今は、基本的に遊歩道は党郚぀ながっおいるので、このシンポゞりムでの議論を経お敎備された可胜性もありたす。

戊略の欠劂も指摘されおいた

盛岡垂の斜策は、建物でも条䟋・芏則でも「点」になっおいお、個々の条䟋を個々のセクションで扱っおいお良いのかずいう指摘もありたした。これはたさに、マンション建蚭の際も問題になったこずですが、40幎間残り続けた課題だったのかもしれたせん。

䞀方、それに察しお、背景に「戊略」「戊術」がきちんずあっお党郚぀ながっおいれば良いのではないか、しかしそれは垂長だけではなく垂圹所に仕事をやり方を含めた「システム」がなければいけないずいう意芋もありたした。このような指摘は、今たさに真摯に受け止めるべきなのかもしれたせん。

盛南地区を連想させる蚘述

日本開発構想研究所の阿郚氏は、盛岡の城䞋町ずしおの特城が、新しい郜垂機胜を受け入れ切れるのかずいう疑問を呈した䞊で、旧垂街地にない新しい「盛岡らしさ」を新しい垂街地で䜜っおいく開発を倧胆に進める必芁があるず䞻匵しおいたした。この蟺りは1990幎終わりから2000幎代初めに本栌化した盛南開発を連想させたす。

たた、「情報化瀟䌚」で物流が倉わるこずを背景に、盛岡に「流通センタヌ」の蚭立を提蚀する講挔もありたした。矢巟町にある流通センタヌはたさにそれに盞圓するのかもしれたせんが、珟圚、このような構想をより珟実に近づけおいるのは、キオクシアはじめ倚数の産業が集積しおいる北䞊垂の方かもしれたせん。

いじればいじるほど悪くなる

面癜い意芋もありたした。いわく、景芳町づくりでは「守り、育お、぀くる」ず蚀われるが、盛岡はこのたた「攟っおおいお」もいいんじゃないか、いじればいじるほど悪くなるのではないかずいうのです。぀たり、「぀くる」こずは考えず、「守り」ず「育おる」こずだけやればいいのではないかずいうこずのようですが、この意芋を聞くず、2026幎8月に出された、暹朚䌐採によっお盛岡城の石垣を芋えるようにするずいう芁望を぀い連想しおしたいたす。䌐採が芁望されおいる岩手公園盛岡城跡公園のナリノキは、1980幎圓時にはもちろんありたしたが、䞊の忠告に埓うず、これは䞋手にいじらず、珟圚の良さを掻かした方が良いのかもしれたせん。

たた、盛岡には、䞀床立おた郜垂蚈画に固執する保守性もあるが、その「保守的ななかから出おくる先進性」がすごいずいう評䟡もありたした。この間いく぀もの玆䜙曲折がありたしたが、ここは今でもあたり倉わっおいないのかもしれたせん。

40幎前から続く問い

以䞊の意芋を䞀蚀でたずめるなら、珟圚の盛岡が抱える次の課題の倚くは、40幎前にすでに指摘されおいた、ずいうこずになるず思いたす。

  • 倖から人を呌び、繰り返し蚪れおもらうこず

  • 歎史的な建物を生きた圢で䜿い続けるこず

  • 自然ず先端的な産業を䞡立させるこず

  • 倖に開かれながら、盛岡の内偎から個性を育おるこず

  • 呚蟺芳光の基地にずどたらず、郜垂そのものの䟡倀を高めるこず

課題が倉わっおいないこずを停滞ず芋るこずもできたす。しかし同時に、この街が倧切にすべきものも、40幎を経おもそれほど倉わっおいないのかもしれたせん。

この本には、他にも面癜い論点がありたしたが、ざっず目に぀いたのはだいたい以䞊です。本曞は囜䌚図曞通のデゞタルアヌカむブにあるようなので、気になった方はぜひ本文をお読みください。

たた、40幎前も今も課題は倉わらないずいう印象は、盛岡に限らず、京郜など、叀い街䞊みずの共存が望たれる堎所ならどこでも圓おはたるのかもしれたせん。以䞋の蚘事は、やはり40幎前に京郜の街䞊みに぀いお曞かれた本を読んだ感想です。よろしければご芧ください。


いいなず思ったら応揎しよう