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何故それを撮ろうと思ったのか

1980年代前半の稚内がたくさん詰まっている親父のネガアルバム。中には意図が掴みにくい「何故それを撮ろうと思ったのか」という写真もありますが、フィルムカメラで撮影していることを考慮するに、漫然とは撮っておらず、そこには確かな狙いがあったはずです。

個々の写真からは意図するところが見えなくても、ある程度まとめて俯瞰することで浮かび上がってくるテーマがあるのでは、と思ったところが今回の出発点ということで、果たして浮かび上がってくるかどうか。


敵に攻め込まれそうになったら橋を上げて…とはなりませんが、場所が分かりそうで分からない、ちょっと特定が難しい稚内です。

こちらも家から橋というパターンですが、どちらの写真もガードレールがグシャグシャです。もしかしてガードレールを撮りたかったのかも。少し水路を避けて建築した方が便利になりそうですが、生活排水を流すためなど事情があったのでしょう。

この時期の親父の稚内写真は「海側から山側を向いて」撮られたものが多いように感じます。別に山側から海の方を向いて撮っても良いと思うのですが、撮影の癖みたいなものでしょうか。


「二階堂理容所」もしくは「二階堂理容院」はたまた「セツコ美容室」、どれが正解でしょう。場所は曖昧ですが、セツコ美容室はバスの車内でもアナウンス広告が流れていて、宝来のあたりにあったような気もします。ヘドバとダビデの名曲「ナオミの夢」をリスペクトしている、クレイジーケンバンドの「せつ子」という楽曲を思い出しました。

店名といい下四桁だけの電話番号といい、潔い感じの「こまもと」。ここも知っているはずだけど場所が思い出せません。こまもと商店という名前で憶えていたような気もします。

ほんま小児科の駐車場が見えますが、建物自体は医院っぽくないので小児科の隣にあったものかもしれません。幼い私も何かにつけお世話になった記憶がボンヤリあるほんま小児科。きっと注射された時のネガティブな記憶だと思います。

銭湯「松の湯」が見えます。家族風呂と銘打たれているのが良いですね。銭湯といえば私は宝来3丁目の祖父母の家に親戚が集まった時などは、向かいにあった「吉の湯」によく行っていました。

吉の湯は風呂がなかった祖父母の家の向かいにあり、建物の横に大量に薪が積まれていたことと、風呂上がりに従兄弟と飲む「カツゲン」が楽しみだったことを思い出します。当時は日本最北端の銭湯でした。


街から少し離れた場所を何枚か。下の写真で交通安全特別推進地区の横に「南五町内会」とありますが、「港五」ではなく南? あまり記憶にない住所です。

冒頭でガードレールがグシャグシャになっている写真の別アングル

こうして並べてみると「何故それを撮ろうと思ったのか」の答えとしては、おそらく稚内の1980年以降の発展に伴い、それまでの古い建物がどんどん取り壊されていく中で、うつろいゆく景色を写真に留めておきたかったから、ではないかと感じました。

例えば下の写真は、建物に「中央四丁目9」とプレートが貼られており、現在では有形文化財として登録されている「旧瀬戸邸(登録名称:旧瀬戸家住宅主屋しゅおく)」の道路を挟んだ向かい側になります。これもまた、なかなか立派な建物です。

この場所が、少なくとも2014年には駐車場へと姿を変えていることから、まさにうつろいゆく景色ですねと書こうと思ったところ、実は左隣の建物が現存しており、そこだけうつろっていませんでした。とはいえ、それはそれでいろいろ思うところがあるわけですが。


さすがに稚内全部を写真に収めるのは無理にせよ、職場(稚内機関区)の周辺だけでも遺しておきたかったのではないかという親父の思いを今、息子の私がデジタル化して白日の元に晒し、うっかり懐かしさに咽び泣く人が出てこないとも限らない、かなりターゲットが絞られるnoteですが、当時のことをコメントで教えていただけてありがたく思っています。

最近コメントの通知がこない(新しいコメントに気づいてnoteの通知欄を確認しても何も表示されていない)ことが結構あって困っているので、改善されることを願いつつ。

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