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最後は野次馬

1980年代前半の稚内の写真が、用意したうちのおよそ7割くらい紹介できましたので、いったん今回で一段落。さすがにウエンナイ川をまたぐ橋の写真が、完成直後らしいとはいえフィルム一巻分あるところを紹介してもなあ、という葛藤もありました。

今回は、親父のネガの中でも撮影日が分かるアルバムよりピックアップしています。具体的には1980〜1981年がメインでフィルム40巻分くらいの、1シート36枚で単純に換算した約1400枚の中から、相変わらず濃いめの稚内をご覧いただければ。


と言いつつ、まずは平成14年(2002年)6月29日の話。JR稚内駅前の繁華街で昭和6年(1931年)に建築され、その後増改築を重ねた木造モルタル2階建て、T字形の大建築物の複合商業店舗から出火がありました。

瞬く間に隣接する建物に延焼し、焼失面積は8,845平方メートルにも及んだ大火災。ニュースの映像が流れてきた時に保存していたものがこちらです。

この大火事は稚内消防署の「大火災の歴史」というページにも記載されています。

それよりは小規模ですが1981年2月6日、高林百貨店の隣にあった山本商店のビルから出火した時の模様を、なぜか栄町に住んでいた親父が撮影しています。たまたま近くにいたのか、知らせを聞いて駆けつけたのか。以前本人に聞いたところでは「俺そんな写真、撮ってたっけ」とはぐらかされましたが。

これもまた、フィルムを一巻使い切るくらいの勢いで、報道記者よろしく撮影しているわけですが、最後の方になると少し飽きてきたのか「この放水ホース、うねり方がいい感じだな」みたいな構図も混ざり始めます。

よそ見しだした

野次馬たちも固唾を飲んで見守る中、無事に鎮火したようです。火災についてはネットで情報を見つけられず、怪我人などの詳細は分かりませんが、被害が最小限であったことを願いつつ。


火災の話はさておき、せっかくなので紹介するタイミングを逃していた1979年の年末を。中央の看板は電柱で隠されていますが「暮らしに役立つ郵便貯金」と読めそうですので、おそらく稚内郵便局が建設中ではないでしょうか。山の上にはロープウェイの駅も見えます。

そしてこれ。ものすごく何気ない風景のため、これまで場所が全然分かりませんでしたが、コメントをいただいて撮影場所が判明した別の写真と同じく、ホテル奥田屋から南側の、クサンル川にかかる橋でした。

こちらは緑町方面へとつながる踏切。左にある「予告」に、昭和55年(1980年)11月25日〜29日まで工事を行う旨の案内が。実際に工事中であることから、この写真は上記の期間内に撮られているはずです。


大衆食堂の隣に「けんちゃん食堂」、そして下の写真では「味の大番」。親父の腹を満たしてくれていた定食屋だったのでしょうか。


母親の買い物に、荷物持ち要員として連れていかれることが多かった気がする藤間商店。でも頭の片隅に「藤間先生」という名前もちらついており、幼稚園か小学校の時分にそういう名前の先生がいたような、いなかったような。


最後は1981年9月撮影の分かりやすい稚内から。と書きつつ、私が道を一本間違えていたうえ、Googleストリートビューで過去に遡らないと北海道銀行が出てこなかったこともあって、特定に少々時間を要した稚内です。

焦点距離が違うので同じ構図は難しい

奥に見える立派な建物は稚内総合文化センター。1981年時点では存在していませんが、1984年(昭和59年)6月に落成の折には、札幌交響楽団(札響)による記念演奏会が行われ、私の母親がコーラス隊の一員として参加しています。

また稚内総合文化センターの場所といえば、建物ができる前は雪まつりが開催されていたこともあり、ちょっと解釈の難しい顔出しパネルの向こうで目線を逸らす私が写っていたりします。

さて、冒頭の火災の写真では野次馬の姿があったわけですが、親父の写真を肴にあれやこれやと盛り上がる私たちも、ある意味で野次馬ではなかろうかという説を最後に提唱しつつ、昔の稚内を知らない方は驚きや新鮮さを、御存じの方は郷愁や切なさを感じていただければ幸いです。

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