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THE ODYSSEY

映画の話…⑦


“一見、魔法があったような時代”


『The Odyssey(オデュッセイア)』を観てきた。

映画は、宴の広間でTravis Scottさんが演じる吟遊詩人が物語を謳い始めるところから展開していく。

Christopher Nolanさんが脚本、製作、監督だからな。

おもしろいに決まっているが、いつものことながら、そのとてつもなく大きな期待を遥かに上回ってくるからおそろしい。

想像力と創造力と実行力にちょっとしたユーモア…今作でも炸裂している。

人間の傲慢さへの代償をテーマにしていて、そこは『Oppenheimer』にも通じているかな。

いや、これまでのChristopher Nolan監督のどの作品でも、根底にはこのテーマが根付いていた。

Ὅμηρος(ホメーロス)さんの同名の叙事詩『Odyssea(オデュッセイア)』を原作とした作品。

2800年前には原型が完成していたらしい。

日本史的には1万5000年前から始まった縄文時代の晩期だ。

九州等の地域では水稲耕作が伝来し、後の弥生文化の象徴的な農耕社会が始まった時期。

世界史的にいうと、青銅器時代の後期になる。

トロイア戦争自体は考古学的に、紀元前13世紀から12世紀頃……3200年程前に小アジアで大戦争があったことが確認されているようだ。

小アジアというのは、アナトリアとも呼ばれ、現在のトルコ共和国のアジア側にある半島の周辺にあったらしい。

その大戦争が数百年に渡って口承で語り継がれてきた。

口承というのは、口頭での伝承(口頭伝承)のことを言い、又は口伝えでの伝承(口伝伝承)とも言う。

口承は、文字体系がなかった頃から、人から人…もしくは世代を超えての情報伝達の手段だった。

このような活動から、ヒトという動物が社会を形成するヒトとして…人間になった。

口承は、ヒトが言葉を獲得して以降に自然発生的に見出された情報伝達行為の1つであり、文字文化以前に情報を保持する役割を果たしてきたものだ。

口承の他にも、舞や踊りなどの身体を使う様式化した所作や、壁画といった図画を用いるもの、意味のある文様を織り込んだ布や結縄などの手段もある。

そんな古典の作品を商業長編映画史上初の全編IMAXフィルムカメラで撮影した。

IMAXは、IMAX社が造った映画を観る環境の規格の一種で、元は大判フィルムそのものの規格だった。

通常の35mmフィルムの面積比4倍もある70mmの大きさだ。

撮影用フィルムとしても、上映用フィルムとしても、超高解像度の画が得られるというわけだ。

日本の映画館で採用している上映用システムはその高解像度の技術をデジタル化したIMAXデジタルシアターという規格になる。

撮影用フィルムカメラとしては、以前は実験映画や環境記録などで使われていたけど、カメラ本体が巨大になってしまうので、通常の映画の撮影で使われる事はほとんどなかった。

カメラを手持ちで撮影するのが大変だからだ。

その常識を覆したのが、Christopher Nolan監督の2008年の名作『The Dark knight(ダークナイト)』。

カメラをたくさん動かすアクション映画で使用し、その緻密な画で描く冒頭の銀行強盗シーンやカーアクションなどは、それまで経験したことがないようなリアルな映像だった。

当時世界に4台しかなかったIMAXカメラを、カーチェイスの撮影中にクレーンに乗せて、別の車がそこに突っ込んでしまい、破壊してしまったという伝説もある。

当時、1台50万ドル(約8000万円)はした。

紀元前の物語を題材にした映画のことを書いているのに、こんな新しめの文化について書いてしまって申し訳ないと思うけど、仕方ないんだ。

この対比もまたおもしろい。

この神話の舞台は青銅器時代中期、紀元前1600年~1200年頃のミケーネ文明時代のギリシャだ。

主人公はオデュッセウスで、彼は機転を利かせて次々と窮地を脱する。

オデュッセウスが最初に登場するのは、Ὅμηροςさんのもう一つの叙事詩である『Ilias(イーリアス)』だ。

これは、ギリシャとトロイアの10年にわたる戦争におけるギリシャの英雄アキレウスと司令官アガメムノンの確執を描いた物語で、イタケの王であるオデュッセウスはギリシャの為に戦った。

これを題材にした映画としては、1955年のRobert Wise監督の『Helen of Troy(トロイのヘレン)』が有名だな。

紀元前1100年に繁栄を誇るトロイ市を舞台に、ギリシャの諸国がヘレンを取り戻す為にトロイを攻撃する様子を描いていた。

パリスとヘレンの禁断の愛が、国家間の大戦争を引き起こした。

そして、2004年のWolfgang Petersen監督の『Troy(トロイ)』もあるな。

この作品は神々と英雄の織り成す神話としてではなく、架空の人間のドラマとして描かれていて、主人公のアキレスも神の庇護を受けた英雄としてではなく、あくまで普通の人間の武将として扱われていた。

『Odyssea』は、オデュッセウスが、10年に渡るトロイア戦争の為に祖国を離れた後、妻ペネロペと息子テレマコスのいる故郷イタケに帰るまでを描いた物語だ。

数日で済むはずの航海が、途中で嵐に遭遇し、10年の放浪の旅となってしまう。

その原因は、オデュッセウスが海の神ポセイドンの怒りを買ってしまったからで、激怒したポセイドンはオデュッセウスの航海を何度も妨害するが、オデュッセウスはその度に切り抜ける。

様々な苦難を乗り越えて、20年の時を経て祖国に戻ったオデュッセウスだけど、そこにあったのは変わり果てた自分の家だった。

オデュッセウスを死んだものと見做した地元の独身者たちが、オデュッセウスの妻のペネロペに求婚し、オデュッセウス家を荒らす悪行を重ねていた。

それを知ったオデュッセウスは怒り、極悪非道の求婚者たちを抹殺する。

こうしてオデュッセウスは再びペネロペと結ばれることになった…という物語。

古代ギリシアの最高傑作とも言われている文学作品の『Odyssea』だ。

アオイドスとも呼ばれる吟遊詩人の口承で伝承された後に、紀元前6世紀頃(紀元前750〜600年頃)から文字に起こされるようになった。

口頭による物語の引き継ぎでは、正確に伝承するということは難しい。

物語は世代から次世代に、吟遊詩人たちによって伝えられたが、吟遊詩人たちは膨大な詩行を記憶する補助として決まり文句を利用した。

それぞれのクセがあったわけだ。

Ὅμηροςさんが最初に描いた物語とは様変わりしている可能性は大いにあるだろ。

そこでだ。

この作品は劇場公開前…予告編が初めて公開された時から、キャストの起用方法や劇中の甲冑のデザイン、現代英語やアメリカ英語のアクセントを採用していること等で批判されてたよな。

バカげてないか?

ヘレンが黒色の肌の人が演じてることに批判があったけど、本当に肌が真っ白のブロンドの女性だったのか?

古代ギリシャの時代には、確かに白人はいたようで、肌の色の違いは認識されていたけど、現在のような白人や有色人種という固定化された区分や特権意識はなかったようだ。

そういう人種格差が生まれたのは、17世紀から18世紀の大航海時代で、植民地支配の中で、ヨーロッパの学者たちが人間を分類する為に発明したというじゃないか。

経済的や政治的な優位性を正当化する過程で白人という概念が定着したのは、遂最近のことであり、そこからおかしなことになり、今に至るわけだ。

そして、当時は実際にどんな言葉で話してたか誰か知っているのか?

実際にどんな鎧を着て戦っていたんだ?

そもそも、Ὅμηροςさんは実在したのか?

実在していたとしてもトロイア戦争を題材にした作品はそれ以前からあったはずだ。

ずっと昔に小アジアで起きた大戦争のことを誰かが伝承してきたはずなんだからな。

“映画を見る前に交わされる議論は、いつだって意味がない。
実際にその映画がどんな作品なのか、誰もまだ知らないのだから。”

映画公開前の批判続出に対してのChristopher Nolan監督の御言葉だ。

“大切なのは、原作への敬意を忘れず、自分自身が最も良いと信じる形で解釈すること。”

…とも話し、映像化では独自のアプローチを貫く姿勢が重要だと強調した。

そして、

“私にできるのは、心から誠実に、可能な限り最高の映画を作ることだけだ。
他の誰かが作る作品とは違って当然だが、それこそが映画化というものなのだ。”

…と仰っている。

Christopher Nolan監督はどんなに大物になっても変わらない。

この映画は最後に、ペネロペがオデュッセウスと共に生き延びる道を選ぶ。

夫婦が一緒に旅立つ点では、希望のある終わりになっている。

一方で、オデュッセウスは故郷を取り戻すことができずに、自分が生み出した暴力と文明崩壊への道に対する罪を自覚して故郷を去る。

これは追放だ。

オデュッセウスのセリフにもある。

“死にも値しない。追放だ。”と。

戦争の勝者を完全な善人ではなく…悪人でもなく、でも、英雄のままは帰還させない。

オデュッセウスは悪人だから苦しんでいるのではない。

自分が正しいと思ってやったことが、正しい結果だけを生むわけではないと認識したから苦しんでいる。

これは戦争だけの話ではないよな。

どの世界でも同じで、人間はより良い世界を作る為に新しいものを生み出すわけだ。

でも、その新しい力こそが、同時に破壊の力にもなってしまう可能性がある。

そして、一度生まれたその力を、完全に元に戻すことはできない。

Christopher Nolan監督が『Oppenheimer』の後にこの作品を作った必然的な理由はここにある。

オデュッセウスはトロイア戦争で大活躍して自国の勝利に貢献した。

英雄として語り継がれる。

しかし、この勝利によって何かを壊してしまった。

自分の国を救ったけど、その方法で別の何かを破壊した。

そして、何とか家に帰ってきた。

しかし、帰ってきた世界は、出発した時と同じ世界ではない。

人間は変わっていない。

いや、物事が便利になり過ぎた結果、退化しているのかもしれない。

人間は何度でも同じことを繰り返す。

でも、退化した人間が同じことを繰り返したらどうなる?

この映画で、古代のギリシャ神話が現在の世界と重なった。

現代では、人間はこれまで以上に強力な道具を発明してしまった。

その強力な道具をどう使うべきなのかについて、人間がしっかりと考え制御できるようにならないと……。

古代ギリシャ文明はどうなった?

崩壊したのか…。

では、今の文明はどうなる?

現代まで受け継がれてきた『The Odyssea』という詩が、文字がない世界で謳って伝える方法しかなかった結果として、現在まで存在している。

深い。

何度でも観ていたい。

人生最高の映画体験。

あぁ〜ステキ♪


はぁ…、このNoteをやり始めて、もうすぐ1年になるけど、もうこれ以上のテーマはおそらくないな…。

137個目の投稿…これで完結にしても良いぐらいか。

中途半端な数字だな…。


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