② AIと旅をつくる|スコピエの歴史 【後編:国が変わっても、人はここで暮らしていた】
第1章 オスマン帝国の終わりと、バルカンの目覚め
前編では、スコピエが古代マケドニア、ローマ、ビザンツ、そしてオスマン帝国と、さまざまな時代を重ねてきたことを見てきました。では、そのオスマン帝国が弱くなっていくと、この地域はどうなったのでしょうか。
19世紀になると、バルカン半島では各地で「自分たちの国を持ちたい」という動きが強まっていきます。ギリシャ、セルビア、ブルガリアなど、さまざまな民族や人々が独立を目指し始めました。スコピエもまた、その大きな変化の中にありました。
ここで少し難しいのが、バルカン半島では「どこからどこまでが自分たちの土地なのか」という考え方が、民族・言語・宗教によって複雑に重なっていたことです。
前編で「文化が重なる街」と書きましたが、それは美しいだけではありません。時には、人々のアイデンティティや国のあり方をめぐる難しい問題にもつながっていました。
20世紀初め、オスマン帝国の支配が終わると、スコピエはセルビア王国の支配下に入り、その後、第一次世界大戦を経て、セルブ・クロアート・スロヴェーン王国、後のユーゴスラビア王国の一部となります。
つまりスコピエは、短い期間のうちに所属する国が変わっていったのです。でも、ここで私が「へえ……」と思ったのは、国が変わっても、そこに暮らしていた人々の生活が突然消えるわけではない、ということでした。
市場に行き、パンを焼き、祈り、家族と暮らす。
歴史の本には国の名前が書かれますが、実際には、その土地で暮らす人々の時間が、ずっと流れ続けていたのだと思います。

第2章 ユーゴスラビアという国
第一次世界大戦後、スコピエは新しく成立したセルブ・クロアート・スロヴェーン王国、のちのユーゴスラビア王国に組み込まれました。
第二次世界大戦後には、今度はユーゴスラビア社会主義連邦共和国の一つの共和国であるマケドニア社会主義共和国の中心都市となります。
ここで、また国の名前が変わりました。
オスマン帝国。
セルビア王国。
ユーゴスラビア王国。
そして社会主義ユーゴスラビア。
スコピエは、そのたびに新しい時代を迎えていきます。でも、街の中には以前の時代の痕跡も残っています。モスクがあり、教会があり、バザールがあり、近代的な建物がある。
新しいものが古いものを完全に消してしまうのではなく、上から次の時代が重なっていく。
スコピエという街を調べていて、私はこの「重なり」という言葉が何度も出てくることに気づきました。
第3章 1963年、スコピエを襲った大地震
そして、スコピエの歴史を語る上で避けて通れない出来事があります。
1963年7月26日。
スコピエを大きな地震が襲いました。
マグニチュード6.1の地震によって、市街地は大きな被害を受け、多くの人々が亡くなりました。街の約8割の建物が被害を受けたともいわれています。
スコピエは、まさに一度、街そのものを失いかけたのです。
でも、ここからがスコピエのもう一つの物語です。
世界各地から支援が集まり、スコピエの復興が始まりました。そして復興には、世界的な建築家たちも関わりました。
日本からも建築家丹下健三のチームが参加しています。
つまり、スコピエは一度大きな被害を受けたことで、今度は世界中の人々の力を借りながら、新しい都市へ生まれ変わっていったのです。
ここは、今回の旅でぜひ見てみたいところです。古い時代の街並みだけではなく、「1963年以降につくられたスコピエ」も、現在の街の一部なのです。

第4章 マザー・テレサとスコピエ
そして、スコピエを調べていて忘れてはいけない人物がいます。
マザー・テレサ。
彼女は1910年、当時のオスマン帝国領だったスコピエで生まれました。アルバニア系の家庭に生まれ、後にインドで活動し、貧しい人々や病気の人々のために生涯を捧げました。
スコピエという街を歩くとき、
一人の人間が、この街から世界へ出ていった。
そんな視点でマザー・テレサを考えてみるのも面白そうです。
スコピエには、彼女の生誕地を記念する場所やメモリアルセンターがあります。今回、私はここにも行ってみたいと思っています。
第5章 ユーゴスラビアから、現在の北マケドニアへ
1991年。ユーゴスラビアが解体へ向かう中、マケドニア共和国は独立を宣言しました。
現在の北マケドニア共和国です。しかし、ここにもまた「マケドニア」という名前をめぐる複雑な問題がありました。
隣国ギリシャにも「マケドニア」という歴史的な地域があり、古代マケドニア王国やアレクサンダー大王をめぐる歴史認識も複雑です。
そのため、国名をめぐって長い間、ギリシャとの間で対立が続きました。そして2018年、両国はプレスパ合意に至り、2019年に正式に国名が「北マケドニア共和国」となりました。
前編で、「アレクサンダー大王の故郷なの?」
と簡単には言えなかった理由が、ここにもあります。古代の歴史と、現代の国家。その間には、2000年以上の時間があります。歴史を現在の国境にそのまま当てはめることはできません。
第6章 そして、現在のスコピエへ
こうして歴史を見てくると、最初に感じた疑問が少し分かってきました。
なぜ、スコピエにはこんなにいろんな文化が重なっているのだろう?
答えは、一つではありません。古代から人が行き交い、ローマ帝国が支配し、ビザンツ帝国の時代を経て、オスマン帝国の都市となり、セルビアやユーゴスラビアの時代を経験し、1963年の大地震から復興し、
ーーそして現在の北マケドニア共和国の首都になった。
その一つ一つの時代が、完全に消えてしまったわけではありません。
街の中に、少しずつ残っている。
モスクも。教会も。バザールも。近代的な建物も。
そして、そこに暮らす人々も。
だから私は、スコピエを「文化が重なる街」と呼びたくなりました。

