富山で母に会う
一昨日は、母の初月忌。この日、八月初旬に執り行う四十九日の法要のため、富山行きの切符を予約した。
不思議なもので、この一か月はあっという間に過ぎたようにも思うし、母を看取った六月の出来事が、ずいぶん昔のことのようにも感じられる。
病院から母危篤の連絡を受け、富山へ向かった。私が駆けつけた日と翌日は、まだ息があった。
二十日の朝、病院に行ったとき、母はすでに息をしていないように見えた。医師が死亡を確認したのは、その直後だった。
最期に間に合った。
そのことだけは、今でも救いだったと思っている。
葬儀では、姪の夫が以前撮ってくれていた写真を遺影に使った。結婚式場のプロカメラマンだけあって、カメラに向かって構えた表情ではなく、ごく自然な笑顔が写っていた。
参列した人たちからも、「いい写真だったね」「お母さんらしい笑顔だった」と言っていただいた。
私もそう思う。
母は、よく笑う人だった。
葬儀を終えた夜、従兄弟と富山駅前の老舗「あら川」で食事をした。
そこで見つけたのが、ミギスのすり身だった。

富山では昔から親しまれている料理だが、私にとっては母の味である。子どもの頃、わが家の食卓にもよく並んだ。
一口食べると、味だけではなく、家族で囲んだ食卓まで思い出された。
料理というものは不思議だ。
舌ではなく、記憶で味わうことがある。
昆布を使った料理やバイめしもいただいた。どれも富山らしい味だった。
富山の味を楽しむために帰ったわけではない。母を見送るために来たのである。
それなのに、母の故郷の味に出会うたび、母のことばかり思い出した。
翌日の夜は、駅前に新しくできた焼き鳥屋を訪れた。
給仕をしてくれた若い女性が、「富山大学の看護学科で、看護師を目指しています」と話してくれた。
話し方が標準語だったので、「富山じゃないよね?」と聞くと、
「どこだと思います?」
と笑う。
「長野?」
「新潟です」
そんな他愛もない会話だった。
しかし、そのあと、不意に母のことを思い出した。
母は若い頃、看護婦になりたかったと言っていた。時代の事情もあり、その夢は叶わなかった。
違う時代に生まれていたら、母は看護師として患者さんに寄り添う人生を歩んでいたのだろうか。
そんなことを考えた。
母を看取るために富山で過ごした数日間、私は何度も母と出会った。
遺影の笑顔の中で。
ミギスのすり身の中で。
昆布の香りの中で。
そして、看護師を目指す若い学生との何気ない会話の中で。
人は亡くなる。
けれども、その人が生きてきた時間は、案外いろいろな場所に残っている。
母がいなくなったという実感は、今もまだどこか薄い。
間もなく、四十九日の法要で再び富山へ向かう。
きっと私は、またどこかで母に会うのだと思う。

