私たちは、どんな「日本史」を読んできたのか――河野有理『日本史はいかに物語られてきたか』
河野有理『日本史はいかに物語られてきたか』(新潮選書)を読んだ。
なかなか面白い本だった。
本書は、さまざまな書き手によって描かれてきた「日本史」を取り上げ、それぞれが日本の歴史をどのように捉え、どのような物語として提示してきたのかを読み解いていく。
最初に登場するのは、なんと百田尚樹『日本国紀』である。そして最後は、いわゆる「皇国史観」の中心人物と目される平泉澄にまでたどり着く。
その間に登場する人物は、実に多彩である。
登場する大抵の本はこれまでに読んでいた。しかし、「まあ、こんな本だろう」と勝手に見当をつけ、読まずにうっちゃっておいたものもある。そうした本が実際には何を問題にしていたのかを知ることができたという意味でも、ずいぶん勉強になった。
意外な発見もあった。
たとえば上野千鶴子が、アカデミック・キャリアの出発点で歴史研究に取り組んでいたことを、私はほとんど知らなかった。佐藤誠三郎についてもそうである。
「この人も歴史をやっていたのか」
そんな発見が何度かあった。
なかでも興味深かったのは、坂本多加雄をめぐる分析である。
坂本というと、晩年の活動や「新しい歴史教科書をつくる会」との関係から、「保守派の歴史観」という一言で処理されがちである。しかし本書では、坂本がそもそもどのような問題意識から歴史を考え、日本という国家や社会をどう捉えようとしていたのかが丁寧にたどられている。
ある歴史観を「右」か「左」かで分類して終わるのではなく、その書き手がなぜそのような歴史を必要としたのかを考える。本書の面白さは、こういうところにあるのだと思う。
一方で、最後まで読み終えると、少し不思議な感じも残った。
個々の章には面白い論点がたくさんある。知らなかったこともあるし、なるほどと思わされる分析も少なくない。
ところが、「では、この一冊を通じて『日本史はいかに物語られてきたか』について、どのような見取り図が得られたのだろう」と考えると、私にはいまひとつうまく整理できない。
もともと連載として書かれた文章をまとめた本だから、最初から体系的な「日本史の思想史」を構築しようとしたものとは性格が違うのだろう。また本書が描こうとしているのは狭い意味での歴史学史ではない。出版社の紹介にもあるように、さまざまな書き手が提示した「歴史物語」を通して「歴史観の戦後史」を描こうとする本である。そう考えれば、私が感じた違和感のいくらかは、そもそも本書に期待したものとのずれから生じているのかもしれない。
私自身がこれまで読んできた「日本史」と、本書が描く地図が少し違っているのである。
考えてみれば、そもそも河野さんは日本政治思想史の研究者である。私とは「日本史」へ入っていく入口そのものが違う。河野さんが本書で描いた「日本史の思想史」と、私が「日本史はいかに物語られてきたか」と聞いて頭に思い浮かべる研究史の地図が違うのは、むしろ当然なのかもしれない。
私が大学院生だった頃には、正田健一郎先生や石井寛治先生に経済史研究の基本を教えていただいた。永原慶二先生からも教えを受け、藤木久志先生の研究からは間接的に大きな影響を受けた。学部の川勝平太先生のゼミでは、経済史の本ばかりではなく、上山春平や梅原猛など、いわゆる「新京都学派」の著作もかなり読まされた。
だから本書にそうした名前や議論が登場すると、内容以前に、何だか懐かしい。
そして「日本史はいかに物語られてきたか」と問われると、私は無意識のうちに、そうした自分が教えられてきた日本史の地図を重ね合わせてしまうのである。
一方、戦後歴史学には、今日から見ると驚くほど大きな歴史像を提示した研究がいくつもあった。安良城盛昭の幕藩体制論などはその典型だろう。遠山茂樹の明治維新論も、幕藩制社会の矛盾から明治維新を説明する大きな歴史像だった。本書では、遠山の議論にはかなり厳しい評価が下されている。
中世史でも、永原先生をはじめ多くの研究者が中世社会をどう捉えるかをめぐって議論を重ねていたし、藤木先生の戦国時代論も、戦争や飢饉、村落や民衆の側から戦国社会を捉え直すものだった。もちろん網野善彦の仕事もある。
だからといって、「河野さんは安良城や永原や藤木も取り上げるべきだった」と言いたいわけではない。
そんなことを言い始めれば、誰を入れるべきで、誰が抜けているというだけの話になってしまう。
むしろ本書を読んで気づいたのは、私自身が「日本史はいかに物語られてきたか」と問われたとき、こうした研究史をかなり無意識のうちに思い浮かべてしまうということである。
もし私が別の場所で歴史学を学んでいたら、頭のなかにある「日本史」の地図も違っていたはずだ。
慶應で速水融先生や西川俊作先生のもとで経済史を学んでいれば、歴史人口学や数量経済史、市場経済の発展から見た日本史がもっと大きな位置を占めていただろう。東大で坂野潤治先生から近代政治史を学んでいれば、また別の近代日本像ができていたに違いない。
歴史観とは、本を読む人が自由に選び取るだけのものではない。
誰に教えられ、どんな本を読むよう勧められ、どんな論争を重要だと教えられたか。そうした知的環境によっても、私たちのなかの「日本史」は作られている。
與那覇潤さんは本書の書評で、こう書いている。
「豪華キャストを揃えた群像劇として描かれる『日本史の思想史』は、客がはけ空っぽになった屋外フェスの会場を思わせる寂しさを湛えつつ、でもどこか懐かしくて、愉しい。」
この感想は、かなり当たっていると思う。
本書に登場する人々の多くが活躍した時代には、「日本とは何か」「日本の歴史とは何だったのか」という大きな問いについて、歴史家だけでなく、政治学者、社会学者、哲学者、思想家などが盛んに語っていた。
いま、そのフェスはずいぶん静かになった。
歴史研究は当時よりはるかに精緻になった。一方で、専門の歴史家が「日本史とはこういう歴史だった」と大きな物語を提示することには、かなり慎重になったように思う。
しかし、ここで別の疑問が生じる。
大きな歴史物語を専門家が語らなくなったからといって、人々が大きな歴史物語を必要としなくなったのだろうか。
おそらく、そんなことはない。
そもそも一般の人々は、何を読んで自分なりの「歴史観」を作ってきたのだろう。
戦後日本で大きな影響を与えたものの一つは、間違いなく司馬遼太郎の歴史小説だろう。「司馬史観」という言葉まである。
『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』などを読んで、幕末とはこういう時代だった、明治とはこういう時代だった、という歴史像を身につけた人は少なくないはずである。
さらに学校の教科書がある。歴史小説がある。映画があり、漫画があり、テレビの歴史番組がある。いまならYouTubeやSNSもある。
そしてNHKの大河ドラマがある。
専門的な歴史研究がいくら変化しても、一般の人々が抱く歴史像は、それとは別の回路を通じて作られていく。
そう考えると、「日本史はいかに物語られてきたか」という問いは、いつの間にか別の問いへつながっていく。
私たちは、いったいどこから自分の「日本史」を手に入れてきたのだろう。
来年のNHK大河ドラマは『逆賊の幕臣』である。主人公は幕臣・小栗忠順。タイトルからして、なかなか挑発的である。
そもそも小栗は、誰にとっての「逆賊」だったのだろう。幕府に仕えた小栗自身からすれば、最後まで自分の仕える政権に忠実だったともいえる。それを「逆賊」と呼ぶ歴史観は、いったいどこから生まれたのか。
来年一年間、大河ドラマを見ているうちに、私たちの幕末維新史の見方も、少しずつ揺さぶられることになるのかもしれない。
そして、テレビを見ていた子どもが親に尋ねるかもしれない。
「ねえ、逆賊って何?」
さて、そのとき親は何と答えるのだろう。
日本史は、いまも物語られ続けている。
