dṛg dṛśya vivekaのsneak preview (一部をちょこっと出し)
ヴェーダーンタを勉強していると、私の本質は意識そのもので、存在の本質、という事は(なんとなく)分かったけど、じゃあ、このいろいろと経験をしている私の体やマインドとそしていろいろと起こっているこの世界はいったい何なの?と不思議に思うことがあります。
全ての現象は、不可能を可能にするmāyāの仕業なので、考察すればするほど不思議な現象でしかないのですが、dṛg dṛśya vivekaではそれがどのような仕組みになっているのかが説明されています。
ヴェーダーンタを勉強する事は真実を知ることですが、真実を知る過程で、今まで真実だと思っていた事象に「実存がない=mithyā」、と確信を持つ必要があります。これはとても大事な過程です。ヴェーダーンタを勉強していてもいつまでたっても自由になれないのはこの過程に踏み切れていない場合が多いのではないでしょうか。
この「あたかも」現実のように現れている事象がどうのようにして「あたかも」現れているのかを知ることによって、「実存がない=mithyā」という事実が腑に落ちる場合があります。
dṛg dṛśya vivekaの最後の方の節に
पारमार्थिकजीवस्तु ब्रह्मैक्यं पारमार्थिकम् ।
प्रत्येति वीक्षते नान्यद्वीक्षते त्वनृतात्मना ॥ ४२॥
pāramārthikajīvastu brahmaikyaṃ pāramārthikam |
pratyeti vīkṣate nānyadvīkṣate tvanṛtātmanā || 42 ||
があります。
pāramārthika jīvaとは自分の本質であり、唯一実存のあるもの。そしてそれは自分自身=主体なので、対象物として捉えることが出来ない、けど、確かにあるものです。知識のある人はそれのみが唯一実存のあるものだと知っていますが、この世界の姿かたちや自分の身体や考えを全く見ないわけではなく、ただ単に、それらを実存のないもの=mithyāとして見るのです。
真実を知ると間違えが自然と消えてなくなる、という例で、ロープの蛇が例として使われます。暗がりで、ロープを間違って蛇に見てしまっている時に、懐中電灯で照らしてロープだという事が分かれば蛇は居なくなります。しかし、この世界の真実を知り得たとしても、この現れている世界はなくならないのです。
何が変わるか、というと、単にそれを「実存のないもの=mithyā」として見るのです。
どうやったら見えるのかも、vīkṣate=見る=知る、という言葉が巧みに使われ、きちんと教えられています。
プージャスワミジはfalsifyという言葉を使って教えてくれます。
多分、この文章を読んでもしっくりこないでしょう。。。きちんと知りたい方は是非リシケーシでのリトリートにご参加ください~。
みなさまのヴェーダーンタの勉強が実りのあるものとなりますように。
ओं तत्सत्
