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【゚ッセむ】【文孊】独文孊者倧山定䞀ずゲヌテ、リルケのこずなど五 愛する少女の臚終に目蓋の䞊に薔薇の぀がみを茉せる話

女の県はい぀たでも悲しくひらいおいた。いくらずじようずしおも、死んだ貝殻のように、音もなくあくのだった。䜕もみえなくなった人間の県がこんなに無邪気にあいおいるのが、圌にはもう堪えられなかった。圌は庭に出お、咲きのこった薔薇の぀がみを剪っおきた。それを目蓋のうえにそっず重しのように茉せるず、女の県はもうあかなかった。䞭略䞭身をくりぬいおしたった果物の皮か䜕ぞのように、掛蒲団のうえにおかれたおが぀かない死者の手に圌はさわっおみた。その冷たさには、もはや倉らぬ異様な均䞀さず沈黙があった。䞀倜、倜぀ゆにぬれお、すずしい朝かぜのなかに䞀瞬冷え也いおゆく物䜓の感觊だった。そのずき、ふず女の顔に䜕かうごいたような気がしお、圌ははっず凝芖した。郚屋のなかは静寂が深い氎のように湛えおいる。女の巊の県の薔薇がかすかにゆれた。右の県のうえの薔薇の぀がみがだんだんおおきくなるような気がした。女の顔はもう死の芪しいやすらかさに垰っおいたが、二぀の真玅の薔薇だけが別の人生をみおいる無邪気な目のようにそっずひらくのだ。やがお静かな日がくれお、倜になった。圌は顫える手に二぀の薔薇の花をにぎっお、窓ぎわに立った。咲きこがれた花の重さにい぀たでも揺れやたぬ真玅の薔薇。死んでしたった女の芋のこした倢ずいのちが、圌は二茪の薔薇のうちにやどるかずおもった。圌が女から぀いに受けずるこずのできなかった幞犏なう぀くしい倢の開花である  

『リルケの薔薇』より 倧山定䞀蚳

 ラむナヌ・マリア・リルケ18751926幎の薔薇を䞻題ずした詩の倉遷ず成長を論じた、倧山定䞀190474幎による珠玉のような゚ッセむに匕甚されおいる小説の䞀節である。䞍芪切なこずに、「リルケの初期の或る短篇」ずだけあっお䜜品名が明かされおいない。前埌の文脈も「愛する少女の臚終を描いた䞀節」ずしか瀺されない。死に瀕した少女、閉じない県、目蓋の䞊にそっず茉せる薔薇の぀がみ、静かに花開く薔薇——初めお読んだ時、その異様な矎的想像力に戊慄に近い感動に打たれた——薔薇、瞌、眠り、倢、死——そう、前回の蚘事を読んでいただいた方はピンずきたかず思うが、リルケの墓碑銘のモチヌフが出そろっおいるのである。そのあたりに有名な䞉行詩に倧山定䞀が぀けた個性的な蚳を、やや批刀的な芖点もたじえお玹介したが、䞊述の短篇の䞀節ず墓碑銘の倧山蚳を䞊べおみるず、薔薇を巡る詩人のポ゚ゞヌず孊究による解釈、芋事なたでにそのパセティックな䞖界芳、矎意識が䞀貫しおいるこずが分かる。

おお薔薇、かなしい矛盟の花。
花びらず花びらは、幟重にもかさなっお、たぶたのように、
もはや誰のねむりでもない儚 はかない倢を、ひしず぀぀んでいる
う぀くしさ。

リルケ『墓碑銘』倧山定䞀蚳

 本人はその存圚すら忘れおいたかもしれない若かりし日の無名な小品ず、死の前幎、自ら遺曞で墓碑銘に指定した特別な䞀篇を盎接結び぀けるのは、孊問的には無茶だろう。初期の枅新な抒情詩から䞭期の事物詩の圫像のような造圢矎、畢生の倧䜜「ドゥむノの悲歌」を頂点ずする埌期の哲孊詩のような荘厳さ、そしお晩幎のフランス語による詩䜜の解き攟されたかのようなかろやかさ、生涯に倧きく詩颚が倉遷したリルケである。ただ、薔薇を共通の䞻題にした性栌の異なる䜜品をこうしお䞊べおみるず、より本源的な、より深遠な「䜕か」がそこにあるように思えおならないのである、その「䜕か」をうたく蚀葉にずらえられないのだが——。

憧れのむンれル瀟版リルケ党集

 若い頃にショックを受けお以来、い぀かこの短篇に出合えるだろうず思っおいたのだが、䞀向に出くわさない。それどころか、この小品に觊れた論文、゚ッセむの類いにもお目にかかったこずがない。どうしたこずだろう。䞀介のアマチュアファンであり、リルケ関連の文献を広く枉猟しおいるずいうこずではたったくないのだが。
 長きにわたるモダモダに決着を぀けよう。それには䜜品にあたるしかあるたい。意を決しお図曞通に足を延ばした。リルケ党集を繙いたはいいが、河出曞房版で散文を収めた6巻、7巻に目を通すも芋圓たらない。ただ、よく䌌た雰囲気の䜜品はあった。「倢の曞より」Aus dem Traum-Buchずいう、タむトル通り倢幻的な連䜜小品集である。ドむツ・むンれル瀟の原兞党集では連䜜䞭の未完の断片も収められおいるが、邊蚳では割愛されたずの蚻があった。どうもその蟺りがあやしいず目星を぀けるも、私が蚪ねた郜立䞭倮図曞通にはむンれル瀟版党集は眮いおおらず、倧孊図曞通に䌝手があるわけでもなし、あるいは芋萜ずしがあったやもしれないが、玠人文孊探偵ずしおはこの蟺が限界であろう。振り出しである。たた無益なこずを  。

アンゲルス・シレゞりス

Die Rose ist ohne Warum.
Sie blÃŒhet, weil sie blÃŒhet.
Sie achtet nicht ihrer selbst,
fragt nicht, ob man sie siehet.

薔薇の花に「なぜ」はない
薔薇の花は咲くから咲く
自分のこずなど少しも構っおいない
人に芋られるかどうか問いはせぬ

アンゲルス・シレゞりス『箎蚀』倧山定䞀蚳

 倧山定䞀が「僕の翻蚳の理想がここに完党な姿で珟れおいる」ずたでいう戊前刊行の詩華集「ドむツ詩抄」は、ドむツ・バロック期の宗教詩人、アンゲルス・シレゞりス(162477幎)の䞊に匕甚した短詩を最初に掲げ、件のリルケの薔薇の墓碑銘で閉じおいる。初めず終わりの照応を考えた、円環的な構成を意識したのだろう。矎しい。シレゞりスのこの詩も薔薇を詠んだものずしおは倧倉有名で、特に犅ずの関わりで蚀及されるこずが倚い。なるほど、「柳は緑、花は玅」、通ずるものがある。哲孊に明るい人だったらハむデッガヌによる匕甚を思い出すかもしれない。シレゞりス自身、䞭䞖ドむツの神秘䞻矩者、マむスタヌ・゚ックハルト12601328幎の吊定神孊の圱響を匷く受けおいるずいわれる。「有」の盎截性、端的性を存圚論的にうたったのだろうが、俗人ずしおは人生論颚に、「生きるから生きる」ず受け取りたい。
 颚雪に耐えお咲く䞀茪の薔薇の花の枅らかさを愛し、その矎の深さを繰り返し讃えたリルケ。自然に開花する薔薇に存圚の神秘を芋お、驚きに打たれるシレゞりス。うたく蚀葉にできないが、私にはどこか䞡者の粟神が぀ながっおいるように思えおならない。
 あえお蚀葉にするなら、「生掻は運呜より偉倧である」ずいうリルケのよく知られた蚀葉がヒントにならないだろうか。倧山定䞀ず瞁の深い堀蟰雄190453幎も、「颚立ちぬ」ずの関わりで、この蚀葉を匕甚しおいたず蚘憶しおいる。出兞元の「マルテの手蚘」圓該箇所を正確に匕くず以䞋のようになる。

Immer ÃŒbertrifft die Liebende den Geliebten, weil das Leben größer ist als das Schicksal.

恋の女のう぀くしさは、い぀もその愛人より䞀際立ちたさっおいるのだ。ちょうど運呜よりも生掻が偉倧であるように。

リルケ『マルテの手蚘』倧山定䞀蚳

 「マルテの手蚘」に぀いおは、倧山定䞀の流麗な蚳ずは別物ず蚀っおいい難枋な原文に、少しは歯が立぀ようになっおから顔を掗っお出盎すずしお、今は限定的に觊れるにずどめるが、文脈でいえば第二郚埌半、「愛する女」die Liebendeに぀いお述べるくだりで出おくる蚀葉である。リルケ独特の思想、人間類型ず蚀っおよいであろう。恋人に芋棄おられた女たちがそれでも恋人をひたむきに思い続け、もはや芋返りを求めるこずもなく、恋人の向こう偎に神を求める無償の愛、魂の底光りを、詩や手玙の䞭でたびたび賛矎しおいる。珟実にはほずんど䞍可胜で、容易には肯んじえない考えかもしれない。
 この䞻題を論じた倧山定䞀の゚ッセむの䞭の蚀葉が瀺唆に富む。倧山定䞀は圌女たちの悲しい生を自己犠牲ずいうような通俗的道埳の枠の内にずらえるのではなく、明らかにシレゞりスの詩を念頭に䞀茪の薔薇の花に譬え、次のように述べる。「可憐な薔薇がおそろしい雚颚をしのいで、玅いろの䞀茪の花を咲かせるには、幟床も悲しみのなかをくぐっお来なければならぬ。けれどもその悲しみは薔薇の『犠牲』ずいわねばならぬものかどうか。むしろ、薔薇はただ咲くから咲くのである」「『愛の女』たち」。倖郚的な運呜の戊いでなく、内郚的な生掻の忍埓——愛する少女の臚終ずいう悲痛な珟実、远い打ちをかける虚しく開いたたたの県の堪えがたさ、やむにやたれず目蓋に薔薇を茉せるずいうおよそ無益な行為、あたかも死んでしたった少女の倢ず想いが宿ったかのような薔薇の開花、どんな悲しみがあろうず、薔薇は咲くから咲く——今の私には最も慰めのある解釈のように思われる。

【付蚘】
出兞が分からないずしおいた「愛する少女の臚終に目蓋の䞊に薔薇の぀がみを茉せる話」ですが、初期の短篇「Der TotengrÀber墓掘人」の䞀節であるこずが分かりたした。䜜品名が分かった経緯や䜜品の内容に぀いおは以䞋をご参照ください。

 前回ぞ   次回ぞ


いいなず思ったら応揎しよう

橋本 健史 公開䞭の「林檎の味」を含む「カオルずカオリ」ずいう連䜜小説をセルフ出版(ペヌパヌバック、電子曞籍)したした。心に適うようでしたら、賌入をご怜蚎いただけたすず幞いです。