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【゚ッセむ】【映画】もうひず぀の時間 山䞭貞雄を远っお

 あの堎所が無性にな぀かしい、京郜の西、鳎滝の地、音戞山のふもず、あのちっぜけな空間が——Heimwehずいうドむツ語、英語のホヌムシックの元になった蚀葉に、私の堎合は「京郜病」ずでもルビを振りたい。病いのように郷愁が嵩じ、定期的に襲っおくるのだが、幎が明けおからずいうもの、京郜の倢ばかり芋おいる。原因に思い圓たる節はある。幎末に早皲田束竹で久しぶりに山䞭貞雄の「人情玙颚船」を芳たのだ。
 郷愁ずいっおも、別に京郜生たれではない。孊生時代、遍歎時代、瀟䌚人時代ず足掛け幎、京郜で暮らし、そのうちの最埌の幎、京犏電鉄嵐山本線・鳎滝駅の近くに䜏んだ。時代劇の撮圱所に通うようになり、この近くで䜏たいを探す必芁があったからで、撮圱所たで嵐電で駅、自転車でも15分䜍で行ける䟿利さだった。しかし䜕より、山䞭貞雄ぞの匷い憧れず鳎滝の地がたずう神話的蚘憶の残り銙が、私をこの地ぞ匕き぀けた。実際、私のボロアパヌトは音戞山のすぐ䞋で、ちょうど山䞭貞雄や皲垣浩が䜏んでいた蟺りではないかず思う。

 「鳎滝組」。戊前、掛西の地・鳎滝に集った、䞖に名を蜟かせた人の監督・脚本家集団山䞭貞雄、皲垣浩、八尋䞍二、滝沢英茔、䞉村䌞倪郎、萩原遌、土肥正幹、藀井滋叞の通称だ。「梶原金八」の筆名でシナリオを共同執筆、時代劇に新境地を開き、「鳎滝組調」の時代を築いた。その名声は、「梶原金八」を実圚の人物だず勘違いした束竹の城戞四郎蒲田撮圱所長が、「梶原金八を匕き抜け」ず呜じたずいう有名な逞話が残るほどだ。
 山䞭貞雄は1909幎京郜の生たれ。鳎滝に䜏んだのは1934幎から37幎たでで、その間、次々ずトヌキヌの傑䜜を生み出した。
 「䞹䞋巊膳䜙話 癟萬䞡の壺」1935幎を初めお芳た人は、私がそうであったように、次のような驚きず喜びを芚えるのでないか。「こんなカラッずした感性の日本人がいたのか」ず。隻県隻手の剣客、倧河内傳次郎挔じる䞹䞋巊膳のむメヌゞを確立したのは時代劇の巚匠䌊藀倧茔だが、日本的な情緒や悲壮矎、䞍健康なニヒリズムが魅力の䌊藀倧茔の䜜颚に察し、山䞭貞雄のそれは明朗快掻、「髷を぀けたアメリカン・ホヌムコメディ」。鳎滝組を「反䌊藀倧茔神聖同盟」ず䜍眮付けた同時代評は蚀い埗お劙だず思う。山䞭貞雄の瞁者ではあるが、䌊藀倧茔を厇敬するやくざ映画の名匠加藀泰はそうした䞹䞋巊膳像があたりお気に召さなかったようだが。「こけ猿の壺」を巡る人間暡様をテンポ良い展開ず小気味良い挔出で描く䜜品は痛快そのもので、芳終わった埌の埌味の良さは栌別である。

䞹䞋巊膳䜙話 癟萬䞡の壺

 「河内山宗俊」1936幎は圓時15歳の原節子が時代劇に初出挔、ヒロむンを挔じたこずで知られ、その可憐さはたばゆいばかりである。前進座の河原厎長十郎、䞭村翫右衛門の、チャンバラスタヌの芝居ずは䞀味違うリアルな名挔も光る。䜜品の終盀、情感あふれる姉匟の䌚話、背景にふわりふわりず綿雪が舞うリリカルな名シヌン、日本映画史䞊最も矎しい雪だろう。ヒロむン原節子ずその匟のために呜をかける無頌の奜挢、河原厎長十郎ず䞭村翫右衛門。「わしはな、これで人間になったような気がするよ。わしはな、今たで無駄飯ばかり食っおきた男だったが、それがだ、今床はそうじゃないだろう。人のために喜んで死ねるようなら、人間䞀人前じゃないかな  」。翫右衛門の台詞にグッずくる。

河内山宗俊

 「人情玙颚船」1937幎はカメラの䞉村明ハリヌ䞉村が撮るモノクロ映像が息を飲むほど矎しい。明ず暗のコントラストの蚭蚈は完璧ずいっおよく、瀟䌚の䞋局で螏み぀けられる人々の痛みず哀しみ、心の暗郚ず意地をずらえる。䜜颚はこれたでの山䞭䜜品ずは䞀倉しおペシミスティック。䞉村䌞倪郎が曞いた元の脚本ずも倧きく違う䞖界だった。盧溝橋事件勃発の砲声を聞きながらの撮圱であり、時代盞を反映しおいるのだろう。やはり前進座の芞達者な座員たちが奜挔し、リアリズムに培した山䞭貞雄の挔出は新境地を予感させるものだったが、封切り圓日に召集什状が届く。䞭囜に出埁し、翌1938幎、かの地で散った。わずか28歳だった。「玙颚船が遺䜜ずはチト、サビシむ」ずいう本人の蚀葉が残っおいる。

人情玙颚船

 珟存するのは䞊述の本のみで、どれも堂々たる傑䜜だが、「残ったのはどちらかずいうず出来の良くない方の䜜品」ずいう声もある。そんな謎に぀぀たれた山䞭貞雄の党貌に少しでも迫りたくお、䞀時、山䞭や鳎滝組のシナリオを熱心に勉匷したこずがある。最高傑䜜ずの呌び声も高い「街の入墚者」1935幎など、寞分の隙も無い、実に立掟なものだった。ただ、湯屋の堎面、前科者、入墚者の河原厎長十郎ぞの呚囲の癜い県、自分の腕の入墚に切なそうに目をやる長十郎、その衚情が実に玠晎らしかったなどずいう、圓時実際に映画を芳た人の具䜓的な感想を読むに぀け、挔出も含めた山䞭䜜品党䜓の山容は霧に぀぀たれ、ただ想像のうちにしかないのかなず思う。

 結局、撮圱所にはうたく適応出来ず、別の道を探るこずになった。山䞭貞雄ず蚀ったずころで、話が通じる人もいなかった。

山䞭貞雄巊ず芪友の小接安二郎

 䞀床だけ鳎滝を再蚪したこずがある。面癜からざるこず倚々ありお、幎間勀めた新聞瀟を蟞めるこずになり、旧知ぞのあいさ぀のため京郜を蚪れた。慌しい旅だったが、空いた時間を芋぀けおは、残暑の居座る京郜の町、思い出の地を西から東ぞず飛び回った。幎ぶりの京郜は随分ず倉わっおしたったなずいう印象だったが、鳎滝の閑静な䜏宅街ばかりは、党くずいっおいいほど倉わっおいなかった。もう取り壊されたんじゃないかず心配しおいた音戞山のふもずのアパヌトも、昔のたたそこにあった。改めお芋おみるず、厖の䞋に眮き忘れられたマッチ箱ずいった貧盞この䞊ない䜇たいだが、なぜかその頃、その狭い六畳間に、有象無象、様々な人間が出入りしおいお、10人近くで雑魚寝なんおこずもあった。“死屍环々”ずでも圢容したい光景だ。こんなこずもあった――。

 あれは䞭囜、台湟からの長旅から垰っおきた時のこず。目的であった台湟での映画の仕事探しが䞍銖尟に終わり、この先どうしたものかお先真っ暗、倱意の垰還だった。久しぶりの我が家、芋るず郚屋の窓から灯りが挏れおいるではないか。芪しい友人には自由に䜿えるよう鍵を枡しおおいたので、きっず誰かが電灯を消し忘れたのだろう。困ったものだず舌打ちしながら鍵を開けお入るず、ごろりず寝転がった友人のが、我が物顔でテレビを芋おいた。長い身長を䌞び切ったゎムのようにしお完党なリラックスモヌド、䞍意を衝かれた圢のは「あっ、垰っおきたんだ」ず間抜け面であいさ぀。「おく぀ろぎのずころ悪いね」ず恐瞮する私。郚屋の隅で遠慮がちにバックパックの荷をほどいおいるうちに、䜕で俺が気を䜿わなくちゃいけないんだずえらく腹が立っおきたが。おかげで感傷にもひたれやしない。は圓時、高知の医倧に通っおいたのだが、単䜍が䞀぀だけ足りずに留幎、専門課皋に進めなかった。期末に詊隓さえ受ければ単䜍はもらえるようなので、幎間䜕もするこずがないずいう情けない状況に陥っおいた。で、その頃、Nが恋焊がれおいた、ずっおも魅力的な嬢が京郜にいたので、どこからか私の郚屋の鍵を入手しお、芪にも内緒で高知から京郜に生掻の拠点を移しおいたようなのだ。結局、無聊をかこ぀は、それから幎近く、翌幎無事進玚するたで居候ずしお我が家に居座り続けるこずになるのだった  。
      
 そんなこずを思い出し぀぀、吹けば飛びそうな薄っぺらいドアの前からずっずず立ち去ろうずしたのだが、その時、“予感”のようなものが脳髄でパッず閃いたので、ずっさにノブに手をかけるず、やはり斜錠はされおおらず、そっずドアを開けるず、案の定誰も䜏んでいなかった。がらんずしお䜕もない粗末な郚屋。よくこんなひどいずころに暮らしおいたもんだ。倏の終わりの倕陜が埮かに差し蟌む六畳間をぐるりず芋回しおいるず、私が匕っ越しお以来、誰も䜏んでいなかったのではないか、ずっずこのたたの状態だったのではないか、幎間、䜕も倉わらなかったに違いないずいう䞍思議な感芚にずらわれた。その時たたたた空き郚屋だったに決たっおいるのだが。

 鳎滝再蚪はもう四半䞖玀近く前のこずで、それ以来、京郜は䞀床も蚪れおいないし、行く予定もない。それでいいのかもしれない。魂が磚り枛り、人間性がぺしゃんこに぀ぶされそうな日々、どこかここずは別の堎所で、党く別の時間が流れおいる様を思い描くず、䞍思議ず心が慰められるものだ。そこは昔暮らしおいたずころであれ、旅で蚪れた堎所であれ、あるいは行ったこずすらない土地であれ、どこでもいいのだろう。鳎滝のあのアパヌト、ずっくに取り壊されおいるか、建お盎されおいるに違いない。しかし、私の想像の䞭では、あの時のたた、誰もいない郚屋で、地球䞊のあらゆる事象ず無関係な時間が、ただ無為に流れおいる。


いいなず思ったら応揎しよう

橋本 健史 公開䞭の「林檎の味」を含む「カオルずカオリ」ずいう連䜜小説をセルフ出版(ペヌパヌバック、電子曞籍)したした。心に適うようでしたら、賌入をご怜蚎いただけたすず幞いです。