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ソ連海軍航空隊による樺太・豊原空襲

8/22 p.m. ソ連海軍航空隊による樺太・豊原空襲」より

新装版「証言・南樺太 最後の十七日間」藤村建雄著、光人社NF文庫(2025)を読んでいます。昭和20年8月22日、停戦協定後の豊原駅前での空襲により日本人避難民に多数の死傷者が出た件について、概要をまとめてみております。最大二回といわれる空襲がどこからきたどの部隊によるものだったのか、まだ部隊の報告書等の一次資料には到達できていませんが、広めに手をつけて絞り込んでいこうと思います。

機種の標記等、日本語以外は英語・ロシア語の順です。ChatGPTによる照会結果を参考に、その翻訳によっています。

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1 爆撃時刻
「証言・南樺太 最後の十七日間」を読む限り、2回あったように読めます。午後0時00分から1時00分及び午後3時50分から4時20分です。同じ部隊かはわかりませんが、いずれも割と低空からの爆撃と機銃掃射の組み合わせのようです。

2 飛来機種・機数
爆撃機1機に戦闘機2機が付いているといった具体的な表現もある一方、全体では飛来した機数が3~9機と証言がばらけています。「連合国との折衝関係事項 其4(今後確認予定)」によれば、Tu-2×6機とYak-9×3機による攻撃だったとの記録があるものの、その他来襲可能な機種をまずまとめてみます。

ツポレフ(Tupolev/Туполев)双発爆撃機(Tu-2/Ty-2):日本側の記録にあり。

Tu-2

Tu-2: in the air and on the ground - 13.08.23 07:48 | Peekaboo
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ヤコヴレフ(Yakovlev/Яковлев)単発戦闘機(Yak-9/Як-9):日本側の記録にあり。

Yak-9

Asisbiz Yakovlev Yak 9 factory new with standard markings 01
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ペトリャコフ(Petlyakov/Петляков)双発急降下爆撃機(Pe-2/Пе-2):ロシア側の2025年のネット記事によれば、Pe-2×2機が前日豊原駅前にいたとの記載あり。同じ双発機なので、上のTu-2と見間違える可能性がある。

Pe-2

Petlyakov Pe-2, the winter 1942/1943 | Aircraft of World War II - WW2Aircraft.net Forums

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イリューシン(Ilyushin/Ильюшин)襲撃機(Il-2/Ил-2):戦闘機に似ているが2人乗りで若干大型、爆撃・機銃掃射が可能なのでこれを爆撃機と証言する可能性がある。

Il-2

Shturmovik Il-2 photogallery


3 部隊名・発進基地
近隣の基地と配属されている機種と各部隊の行動を、できるだけ集めてみました。

前掲書297頁
「停戦協定成立後のソ連機の空襲についてヴィシネフスキー氏によると、攻撃に参加した機体は『沿海州の飛行場を飛び立ったもので、訂正協定成立の連絡が間に合わなかった』とのことである。」

の「沿海州」を狭義に捉えると表中の5と6が有力になりますが、実際にはこれらを比較検討する限り、実際に豊原を空襲したのは3と4の組み合わせの可能性が高そうに思われます。

比較表

*連隊史を載せているava.org.ru自身が挙げている主要出典

P. Levshov / G. Vabishchev「ロシア海軍航空と科学技術の進歩――創設の構想、発展の道程、研究方法論」
П. В. Левшов, Д. Е. Вабищевич "Авиация ВМФ России и научно-технический прогресс: история создания, развития и перспективы совершенствования авиационной техники и вооружения"

V. Anokhin / M. Bykov「スターリン時代の全戦闘航空連隊――初の完全百科事典」
В. А. Анохин, М. Ю. Быков "Все истребительные авиаполки Сталина. Первая полная энциклопедия"
Москва: Яуза-пресс, 2014, 944頁 ISBN 978-5-9955-0707-9

“Краснознаменный Тихоокеанский флот”, Воениздат, Москва, 1973.
「赤旗勲章を授与された太平洋艦隊」ソ連国防省軍事出版所 1973
Глава тринадцатая. Освобождение Южного Сахалина(第13章 南樺太の解放)

上記の本の中に「敵機の抵抗には遭遇しなかったが、戦闘地域が飛行場から最大250kmに及ぶ非常に遠距離であった影響を受けた。撤退中、日本軍はすべての飛行場を破壊し、復旧には時間がかかった。8月22日午後、艦隊の空挺部隊が古丹岸(コノトロ)飛行場を占領したが、この時点で敵の抵抗はすでに崩壊していた。」とあり、250kmという距離から見て上の3と4に事実上絞られたものと考えます。

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