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日本の心髄に぀いお語る第回

「日本の心髄」ずいう぀の重芁なテヌマに぀いお、回シリヌズでお話しおいたす。
 
第回では日本神話を䞭心に日本人が持぀べき日本創生の「歎史芳」に぀いおお話したしたが、第回では神瀟・仏閣を䞭心に䞖界の䞭でも特異な日本人の「宗教芳」に぀いお述べたいず思いたす。
 
 日本人固有の「死生芳」
第回でもお話したように、叀来から神道では死に察する穢れけがれの抂念があり、死者は集萜から離れた黄泉よみの囜や垞䞖ずこよの囜ずいった隔絶された䞖界に行くず考えられおいたした。
 
その埌、䞖玀䞭頃に䌝来した仏教の考え方が取り入れられ、「人は死埌、霊魂ずなり、あの䞖で先立った者たちず再䌚し、そしお神仏ずなる。しかし、珟䞖ぞの執着や怚念が匷い堎合は成仏できずに幜霊ずなっおこの䞖を圷埚い、或いは、行いが良くなかった者は地獄に堕ちお鬌たちから拷問を受ける」ずいった平均的な死生芳が圢づくられ、今日に至っおいたす。
 
 日本人にずっお神様ずは
「人は死埌、あの䞖で神仏になる」ず申したしたが、私たちは「ああ、神様」ず倩を仰いですがりたくなったずき、いったい䜕者を想像するのでしょうか
 
そういわれるず、あの䞖で神仏になった特定の人物ではなさそうな気がしたす。たた、倩照倧埡神でも、仏陀でも、ご先祖様でもない、自分でもよく分からない䜕か挠然ずしたものではないでしょうか。
 
江戞時代の囜孊者・本居宣長もずおりのりながは、自曞「叀事蚘䌝」で、日本の神に぀いお「普通でない、優れたずころがあっお、恐れ倚いもの」ず定矩しおいたす。
 
぀たり、叀来、日本人は①玀蚘に登堎する倩照倧埡神や倧囜䞻神などの神々、②その神々の子孫ずされる歎代倩皇や皇族、③倪陜や月、海や颚、倧朚や岩などの自然のもの、④動怍物、及び⑀亡くなった埳の高い人間など、「八癟䞇やおよろずの神々」を敬い、これらが枟然䞀䜓ずなった姿かたちのないものが、私たちが困った時にすがりたくなる神様なのです。

いたる所に八癟䞇の神々が䜏たう囜、日本 

 日本における宗教の倉遷
このように、日本が独特の死生芳や神々を擁するに至った経緯は次のように考えられおいたす。
 
() é»Žæ˜ŽæœŸ
狩猟で暮らしおいた瞄文時代たでは、䞖界䞭でみられるような自然厇拝の習慣が根底にありたした。やがお匥生人が皲䜜を営むようになるず、土偶のような土地の生産力の象城を厇めるようになり、呪術垫によるシャヌマニズムも出珟したす。
 
その埌、倧陞から䌝来した易孊や倩文孊などが統治者による祭瀌に反映され、各地で瀟やしろが建おられお、それぞれが祖ず仰ぐ固有の神々が祀られるようになりたした。
 
() å®—教を政治に利甚
日本を初めお平定したダマト王暩は、䞭倮集暩の瀎ずするため倩照倧埡神を祖ずし、その祭祀暩を独占的に継承する制床を暹立したした。
 
各地に䞊立する氏族は、それぞれに氏神うじがみを持っおいたしたが、ダマト王暩は、それらの氏神を排陀せず、倩照倧埡神に埓属する地䜍を䞎えるこずで、神々が調和的に共存できるように囜家統䞀が進められたのですこれも、第回でお話した初代・神歊倩皇から是ずされおいた「こずむけの粟神」の衚れなのでしょう。
 
() ä»æ•™äŒæ¥
仏教は、玀元前䞖玀頃たでにネパヌルの釈迊族の王子であったゎヌタマ・シッダヌルタお釈迊様(泚1) ïŒ‰ãŒã‚€ãƒ³ãƒ‰ã§å‰µå§‹ã—た宗教で、538幎䞀説には552幎に日本に䌝来したした。
 
倩照倧埡神を祖ずする神々や土着の信仰に慣れ芪しんでいた圓時の日本人には、初めお文字で曞かれた仏兞や説法に接したずき、さぞかし奇異で異質なものず感じられたこずでしょう。
 
(泚1) äž€èˆ¬ã«ã€ãŠé‡ˆè¿Šæ§˜ã®ã“ずを「仏陀」ずも呌ぶが、本来は悟りを埗るこずが「仏陀」であり、個人を衚すものではない
 
圓初、日本人は仏のこずを蕃神ばんしん、぀たり「異囜の神」ず受け止め、しばしば、倖来の宗教である仏教を容認するか吊かで察立が起きおいたした。
 
普通であれば匟圧や排斥が起きおもおかしくない状況ですが、この時も圓時の王暩は英知をもっお仏教を共存させる道を暡玢したす。
 
593幎に聖埳倪子が叔母・掚叀倩皇の摂政になるず、倩皇䞭心の囜づくりを進めるにあたり、仏教の教えを積極的に取り入れた「冠䜍十二階」や「十䞃条の憲法」(泚2) ãªã©ã®åˆ¶åºŠã‚’敎え、埋什囜家の基瀎を築きたした。
 
たた、法隆寺や四倩王寺など幟倚の寺院を建立し、仏教の振興に力を入れたした䞖玀䞭頃になるず、東倧寺に盧舎那仏像るしゃなぶ぀ぞう、いわゆる「奈良倧仏」が建立される。
 
そしお、死埌埀生しお仏になるずいう仏教の考えは叀来の神道ず異なる斬新な発想で、次第に圓時の日本人の間で受け入れられおいったのです。
 
(泚2) 604幎に発垃された道埳的芏範を䞭心ずする法什。内容は「和を以っお貎しずなす」から始たり、官吏の服務などの蚓戒を瀺し、囜家理念ず人間の圚り方を説いた。仏教思想の圱響もうかがわれる

仏教䌝来のルヌト、聖埳倪子ず法隆寺 

() æ—¥æœ¬ç¥žé“の確立
このように、仏教が急速に日本瀟䌚に浞透する䞭、仏教ずの比范においお日本叀来の神道ずは䜕かが再認識されるようになりたす。
 
䞖玀初頭に「叀事蚘」や「日本曞玀」などの蚘玀が線纂され、神代から第41代・持統倩皇に至る歎史がたずめられた背景には、時の朝廷には、倩皇の祖である倩照倧埡神を䞻神ずし、歎代倩皇がその盎系の子孫であるずいう正圓性を改めお䞖に瀺したいずいう思いがあったのでしょう。
 
() ç¥žä»ç¿’合
平安時代には本地垂迹ほんじすいじゃくが唱えられたした。本地垂迹ずは神仏習合しんぶ぀しゅうごう(泚3) æ€æƒ³ã®äž€ã€ã§ã€ç¥žé“の八癟䞇の神々は、実は様々な仏が化身ずしお日本の地に珟れた暩珟ごんげんであるずする考えです䟋倩照倧埡神は「倧日劂来」、倧囜䞻神は「倧黒倩」、瓊瓊杵尊は「釈迊劂来」等。
 
鎌倉時代になるず、これが日本人の䞀般的な通念ずなりたす。仏教ず神道、神瀟ず仏閣、その境界は益々あいたいになっおいきたす。
 
(泚3) ç¥žç€Ÿã®äž­ã«ä»åƒãŒã‚ったり、お寺の䞭に鳥居があったりず、日本叀来の神道ず倖来の仏教が融合しお䞀぀の信仰䜓系ずしお再構成されるこず
 
なお、神仏習合の最たるものは䞃犏神しちふくじんです。䞃犏神は、ヒンドゥヌ教倧黒倩・毘沙門倩・匁才倩、仏教垃袋尊、道教犏犄寿・寿老人、日本の土着信仰恵比寿倩などの囜際色豊かな神仏が習合したもので、宀町時代の末期に生じお庶民に広たったず蚀われおいたす。

実家の床の間で芋た「神仏習合」の瞮図Photo by ISSA 

() åŸºæ•™äŒæ¥
時代は䞋っお16䞖玀の戊囜時代、再び倖来の宗教が日本に䌝来したす。それは、む゚ズス䌚のフランシスコ・ザビ゚ルが日本で垃教した基教キリスト教でした。
 
しかし、そもそも䞀神教の基教ずは折り合いが悪く「神仏『基』習合」ずはなりたせんでした埌幎にマリア地蔵のような習合化がみられた。
 
圓初は織田信長の庇護を受けたこずもあり、む゚ズス䌚は順調に基教信者を増やしおいきたすが、豊臣秀吉の安土桃山時代になるずバテレン远攟什により基教は犁止され、江戞時代に入るず曎に匟圧は厳しくなり、日本人党員が仏教埒であるこずを匷芁されたした。
 
特定の寺院に属しおお垃斜などによっお経枈的に支揎する檀家制床だんかせいどが採り入れられ、鎖囜政策によっお宣教垫は日本に入囜できなくなりたした。
 
() å›œå®¶ç¥žé“の台頭ず神仏分離
江戞時代埌期になるず、囜孊者から仏教の圱響を受ける前の日本固有の粟神に立ち返ろうずいう考え方が提唱されたした。
 
先述の本居宣長の「叀事蚘䌝」などによっお䜓系づけがなされ、これに啓発された平田節胀ひらたあ぀たねらが、仏教を陀倖しお日本叀来の信仰を尊ぶ「埩叀神道」を発展させおいったのです平田神道ずもいう。
 
埩叀神道は圓時の町人や蟲民のみならず幕末の志士たちにも支持され、明治維新ぞの源流にもなる尊王攘倷そんのうじょういの考え方にも圱響を及がしたした。
 
明治元幎1868幎、王政埩叀ず政教䞀臎を理想に掲げる明治新政府が神道囜教化の方針を打ち出し、「神仏分離什」を発したした。
 
これにより、神瀟ず寺院を分離・独立させ、神瀟に奉仕しおいた僧䟶には俗人に戻るこずを呜じたほか、神道の神に仏具を䟛えるこずや埡神䜓を仏像化するこずも犁じたした。
 
神仏分離什は、仏教の排斥を意図したものではなかったのですが、これをきっかけに党囜各地で「廃仏毀釈」運動がおこり、倚くの寺院や仏具が砎壊されたした。
 
しかし、そもそも神道の囜教化は宣教経隓に乏しい神道関係者のみでは難しく、1872幎には神仏分離什は頓挫したす。
 
他方、神道に぀いおは歎史教育で日本神話が取り入れられ、倩照倧埡神を祀る䌊勢神宮を頂点ずした神瀟本局が党囜の神瀟を統括し、あらためお倩皇を神聖䞍可䟵の珟人神あらひずがみに祭り䞊げるこずによっお神栌化の色合いを匷めるなど、神道ず倩皇が新政府の基盀固めに利甚されたした。

明治政府の憲法発垃巊䞊
平田節胀ず廃仏毀釈巊䞋
菊花王章ず明治倩皇右 

() æˆŠåŸŒã€å›œå®¶ç¥žé“は廃止ぞ
第二次䞖界倧戊が終結するず、連合囜最高叞什官総叞什郚GHQによっお囜家神道は廃止され、政教分離が行われたした。
 
たた、倩皇自身で神栌を吊定しお欲しいずするGHQの意向を螏たえ、昭和倩皇自らがいわゆる「人間宣蚀」ず呌ばれるの詔曞(泚4) ã‚’発垃したした。
 
(泚4) ãã‚‚そも、倩皇が自らを神ず䞻匵したこずはなかった。たた、詔曞の䞭に「人間」ずいう蚀葉は䜿われおおらず、倩皇の祖先が日本神話の神であるこずや歎代倩皇の神栌に぀いお吊定しおいない
 
このように、玆䜙曲折を経お日本は独自の死生芳や神々を擁するずずもに、時代の倉化ずずもに神々の定矩に぀いお柔軟に解釈しおきた蚳ですが、閉鎖的で個性がないなどず蚀われがちな日本人は、本圓は倚様な八癟䞇の神々を受け容れるだけの寛容さを備えた、開攟的で個性豊かな民族だったのです。
 
 神瀟の皮類
その八癟䞇の神々を祀る神道の祭祀斜蚭である神瀟には、神宮、倧瀟、八幡宮など、様々な呌び名がありたす。
  
() ç¥žå®®
本来、「神宮」は「䌊勢神宮」を指しおいたしたが、今では䞋蚘のような皇族の祖先や皇族が埡祭神ごさいじんずしお祀られおいる皇宀ずゆかりの深い神瀟を神宮ず呌んでいたす。
・䌊勢神宮倩照倧埡神
・明治神宮明治倩皇・昭憲皇倪后
・橿原神宮神歊倩皇
・䌊邪那岐神宮䌊邪那岐呜・䌊邪那矎呜
 
() å€§ç€Ÿ
本来、「倧瀟」は「出雲倧瀟」(泚5) ã‚’指しおいたしたが、今では䞻に党囜にある神瀟の総本瀟や、戊前に瀟栌が高かった神瀟のこずを蚀いたす。
・䌏芋皲荷倧瀟
・春日倧瀟
・諏蚪倧瀟
・出雲倧瀟

(泚5) 10月になるず、翌幎の瞁を結ぶ䌚議のため八癟䞇の神々が出雲に集うずいう云われから「倧瀟」ず呌ばれた日本各地で10月を神無月かんなづきず呌ぶ䞀方、出雲では神圚月かみありづきず呌ぶ。
 
出雲倧瀟は、平安時代には日本䞀の高さを誇る「高局神殿」であった。出雲倧瀟では叀来、他の神瀟ずは反察に神様に向かっお巊方を䞊䜍ずしおいたこずから、出雲倧瀟の倧しめ瞄はしめる向きが逆になっおいる。
 
() å®®
宮みや、ぐうは、神宮ず䌌お身分の高い人や皇族をおた぀りしおいる神ほか、歎史䞊の重芁人物をた぀る神瀟のこずです。
・日光東照宮埳川家康東照倧暩珟を祀る神瀟の総本瀟
・倧宰府倩満宮孊問の神様、菅原道真を祀る神瀟
 
() å…«å¹¡å®®
八幡宮は八幡倧神、぀たり「応神倩皇誉田別呜ほんだわけのみこず」、「比売倧神ひめおおかみ」䞊びに応神倩皇の母「神功皇后じんぐうこうごう」をお祀りする神瀟で、党囜に玄44,000瀟ず、日本で䞀番倚い神瀟ず蚀われおいたす。
 
応神倩皇がなぜ八幡ず蚀われるようになったかは定かではないようですが、八幡宮は東倧寺の守護神ずしおも鎮座し八幡倧菩薩ず呌ばれるなど、神仏習合のさきがけになったずされおいたす。
・石枅氎八幡宮
・鶎岡八幡宮
  
() ç¥žç€Ÿ
最も䞀般的な名称です。党囜には、䞊蚘の倧瀟や神宮なども含めお玄85,000の神瀟があり、登録されおいない小神瀟を含めるず10䞇を超える神瀟が存圚しおいるようです。
・靖囜神瀟
・厳島神瀟
・貎船神瀟
 
靖囜神瀟(泚6) ã¯ã€1868幎以降、戊蟰戊争や明治維新期の戊没者を慰霊する動きが掻発化した背景を螏たえ、明治倩皇の勅什によっお明治2幎1869幎に建立されたした。
 
戊前は内務省によっお管蜄されおいたしたが、戊埌は独立の宗教法人ずなっおおり、囜家のために殉難した人の英霊246侇6千䜙柱を祀っおいたす。
 
䞀方、党囜各地には護囜神瀟が建立されおおり、その地域の出身ないし瞁故の戊死者や、自衛官・譊察官・消防士等の公務殉職者を䞻祭神ずしおいたす。
 
公匏には護囜神瀟は靖囜神瀟ずは本瀟分瀟の関係にはないのですが、共に英霊を祀る神瀟ずしお深い関わりがあるようです。

(泚6) é–囜神瀟は、どこの囜にも圓たり前にあるような「囜のために殉難した者をお祀りする斜蚭」であり、海倖メディアが「War Shrine」などず衚蚘するのは誀り。たた、玚戊犯の合祀を問題芖する向きもあるが、日本はいわゆる「死者に鞭打぀囜」ではなく、「戊犯」自䜓、いわば戊勝囜によっお䞀方的に貌られたレッテルずいう偎面があるこずも考慮すべきであろう
 
 「祈り」ずは䜕か
これらの神瀟に参拝する私たちは、境内の前で䜕かを祈願するものですが、そもそも「祈」ず「願」の違いはどこにあるのでしょうか。
 
端的に蚀えば、「願い」ずは個人的な願望から発生するものであり、「祈り」ずは他者ぞの思い遣りから発生するものずいえたす。
 
人は善なる存圚である䞀方、時ずしおいずも簡単に悪意に揺れ動いおしたう匱い存圚です。
 
叀来、日本の神々はそのような匱い人間のあらゆる「祈」「願」に寛容でした。その寛容さこそが、神道の最倧の魅力なのではないかず思うのです。
 
鳥居の先は神々の領域であり、䜕だか「利欲にたみれた私が立ち入っお良いものか」ず、䞀瞬、躊躇したくなるこずさえありたす。
 
しかし、埡神朚に囲たれた境内、朚挏れ日のさす石畳、神の䜿いずしお立ち䞊ぶ狛犬、鳎り響く野鳥のさえずり、吹き抜けるそよ颚、たなびく朚々のざわめきに觊れたずき、私たちは党身で神々の存圚や、あるがたたの自分が受け入れられおいるこずを感じ取り、邪心が消えお枅々しい気持ちになっおいる、そしお拝殿で祈願を終えたずき、自身の考えがたずたり、迷いが吹っ切れお、決意や芚悟が決たっおいる、ずいったこずを倚くの人が䜓感しおいるはずです。
 
難しい教矩がなくおも、行きたい時に蚪れるだけで、より良い自分を取り戻し、或いは啓発させられる、このこずも神道のもう䞀぀の魅力なのだず思いたす。
 
数幎前、本圓は願い事が叶うずは思っおいないもう䞀人の自分がいるこずに気づきたした。
 
それ以来、自身に関するこずに぀いおは「神様どうか願いを叶えおください」ずいった他力本願的な祈願をはやめお、努めお「私はこうしたす、これを達成するので、䜕卒お芋守りを、力添えを」ずいった自力本願的な誓いを立おるようにしおいたす。
 
他者を思い遣り、迷いのない自分に高めるための行為、それが「祈り」なのかもしれたせん。

God helps those who help themselves.
倩は自ら助くる者を助く 

たずめ
叀神道は自然厇拝の䞭で生たれ、ダマト王暩は基盀固めに神道を利甚したした。しかし、それは他の神々ぞの匷制や排斥を䌎うものではなく「こずむけの粟神」によっお進められ、仏教䌝来埌も神仏習合ずいう圢をずりたした。
 
叀事蚘や日本曞玀が線纂され、歎代倩皇ず神道の関係が明確になり、その埌は基教匟圧や神仏分離、囜家神道の台頭などがありたしたが、根底には、垞に神々が共存できる道を遞んできた時の王朝の英知ず、時代の倉化に応じお倚様な神々を受け入れおきた日本人の柔軟さがあったのです。

初代・神歊倩皇を䞻祭神ずする神䞊神瀟Photo by ISSA 

䞖界䞭、どこを芋枡しおもこれほど個性豊かで寛容な神々は居ないのではないでしょうか。信埒である私たちにほずんど矩務的な感芚はなく、むしろ行く先々で出䌚うその土地ならではの神々ずの觊れ合いを楜しんでいるようにも芋受けられたす。
 
日本の神は、䞀神教でいう創造䞻や党知党胜の神ではなく、日本の隅々にあたねく存圚しおいる神々のこずです。同時にそれは「私たち自身が創造した神々」でもあり、これら個性豊かで寛容な八癟䞇の神々ず日本民族は、実は衚裏䞀䜓の関係にあるずも蚀えるでしょう。
 
これらの神々を祀るこずによっおその恩恵にあずかり豊かで平和な暮らしができる、䞇䞀神々ぞの祀りを怠れば灜厄が降りかかる、これが日本人の「宗教芳」なのですが、䞀方で、内面的には仏教の教えず盞たっお「宗教的䟡倀芳」ずいうものを育んできたした。
 
この宗教的䟡倀芳はずおも倧事なもので、より良い人間になるための道埳や芏範ずしおの圹目を果たしおいたす。私たち自身が気づけないほど自然に物事の考え方や暮らしに根付いおいお、厳栌な教矩がなくおも道埳や芏範が保たれおきたこずは、実は凄いこずなのです。
 
昚今、「䟡倀芳の倚様化」が進み、より自分らしく生きられるようになりたした。先述のずおり、日本人は元々「倚様」な神々を受け容れるだけの「寛容さ」を備えた民族だったのですが、「倚様性」ず「寛容さ」が䜵存できる瀟䌚は、道埳や芏範が根底で共有されおいるこずが倧前提です。道埳や芏範を守れない「倚様性」には、人は「寛容」になるこずはできないのです。
 
埓来、その根底の郚分を担っおきたのが宗教的䟡倀芳であり、もっず端的に蚀えば「和の粟神」だったはずです。今埌、どれだけ日本瀟䌚においお䟡倀芳の倚様化が進んだずしおも、日本の心髄ずもいうべき「和の粟神」だけは倱われお欲しくないずそう思いたす。
 
「和を以っお貎しずなす」聖埳倪子
 
第郚ぞ続く