つかの間の里帰り:母と友と庭と猫
休みをもらえた7月最終日。
何処に行こうかと思案していた私。
故郷の京都はインバウンドや観光客で溢れ、つい足が遠のきがち。
それでも定期的に故郷の空気が吸いたくなる。
半年ぶりに、京都日帰りで人混みを避けつつ心のチャージをしようと、早朝東京から新幹線に飛び乗った。


朝8時過ぎの京都は、意外とカラッとしてそれほど暑くはない。
相変わらず朝から観光客で大混雑の京都駅。
そそくさと電車を乗り換え、まずは実家に向かう。
いつも母を介護してくれている妹は、ちょうど出張中で不在。
89歳の母は何とか留守番ができるレベルではあるが、薬を飲むのを忘れたり食事せずに寝てばかりいたりする。
半年ぶりに会う母の元気な姿に安堵する私。
久しぶりに帰ってきた私を質問攻めにする母。
しかし聞いたそばから忘れるので、母は何度も同じ質問を繰り返す。
「何度言わすねん」と笑いつつ、母も「覚えられないのよ」と開き直り、会話のラリーが続く。
母からの質問に答えつつ、妹からの指示に従って充電が切れこと切れていた母の携帯電話を充電し生き返らせ、ゴミをまとめ、何も食べていない母に食べられそうなものを準備し、薬を飲むところを確認する。
そして、妹からのもう一つの宿題にとりかかる。

私が猫を飼う数か月前、妹も猫を飼い出した。
先代の2匹のニャンが旅立って1年。
マンチカンのニャンは、うちの猫(月)より丸顔でお鼻が低め。
最初は私を警戒していたがすぐに懐き、液体おやつも食べてくれる。


最近登場したニャンに、母は先代のニャンの名前で呼びかける。
「違うよ」と言うと先々代の猫の名を、「それも違うね」と話すと「ねこ!」と呼びかける。
何だかニャンが気の毒になる。
実家でつかの間を過ごした後、今度は友人Yと会うために街中へと向かう。

彼女とは高校入学時からの付き合いで、もう40年近くになる。
高校で同じ部活に入り、勉学ではお互い切磋琢磨し、二人とも念願の大学に合格できた。
そして今彼女は大学教員として、私は医師として働いている。
学業の悩み、恋愛の悩み、結婚してからは家庭の悩みなど、そして現在は仕事や今後の人生について、いつも話は尽きない。
彼女と話していると、かつての自分から変化していることに気付かされる。
そして、彼女も変わっていくことも。
良くも悪くも、それをありのまま受け入れられる友人関係。
ブランクが1年以上あろうと、会えば気兼ねなくおしゃべりできる貴重な存在に感謝する。
あっという間に3時間近くが過ぎ、店を出た私たち。
すぐ裏に六角堂があることに気付き、ふらっと立ち寄る。

お線香を供え、手を合わせる。
生活圏に、空気のように普通にお寺がある環境。
やっぱ京都はええな、と彼女と笑う。
友人と別れて東京へ帰る前に、立ち寄りたかったお寺に向かう。

京都市のはずれにあり、実家に近いこのお寺。
観光客が少なく静かに過ごせる、大好きなお寺の一つだ。




寺巡りが好きになって以降、この庭園をお目当てに何度も訪れている随心院。
認知症で壊れていく父や老いと闘う母のお見舞い後、冷え込んでいく結婚生活や仕事などで疲れた時に、心癒やそうと私はここを度々訪れた。
独り、目を閉じ風の音を聞き、木々や寺の香りを楽しむ。
忙しない日々を忘れ、通り抜ける京都の風を感じつつのんびり佇んでいると、悲しみや苛立ち、やるせなさがすーっと消えていく。
辛かった時、人混み気にせず気軽に立ち寄れたこの空間に、私は幾度となく救われた。
この日の京都は真夏日。
白無垢の花嫁さん達を撮影するグループ以外に人はいない。
暑そうやなぁと花嫁さんを眺めつつ、ひと時を過ごす。



大好きな故郷での時間はあっという間。
気がつけば9時間が過ぎている。
こんな田舎を早く飛び出したい、と思っていた若い頃。
今となっては、そう変わらない風景に懐かしい思い出がよみがえり心が癒える。
資本主義が台頭する東京に食傷気味の私。
お金では買えない素敵な記憶を思い返し、心に元気が戻っている。
またリフレッシュしに帰ってこよう。
さあ、明日から仕事だ。

