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こっちがフォロバしたらフォロー外してくるやつに、ムキっとしたら「依怙贔屓」で解決!SNS疲れを消すストリート思考

向こうからフォローしてきたくせに、こっちが喜び勇んでフォローバックしたら次の日さっさとフォロー解除されてて、私だけが一方的にフォローしているかのような図式にしてくる人、いますよねー!!

noteもそうだし、インスタとかでもいますよね^^;

ああいうのって、なんか都合のいい踏み台にされたみたいで「なんだコノヤローーーヽ(`Д´#)ノ」って気分悪くなったこと、ある人〜〜〜?🖐️🖐️🖐️

「そんなに私の発信には魅力がなかったのかな?」なんて、ついムキになって理由を探したくなる夜もあるかもしれません。

でも、そんな数字の増減に心をすり減らしてしまうのは、少しもったいないんじゃないかと思います。

今回は、そんなフォロワーさんとのお付き合いについて思うことを書いてみようと思います。

フォロー外しのテクニックに、心を揺らさない理由

いわゆる「フォローバックを確認したら、さっさとフォローを外す」という動き。

確かに、自分がされたときに気分が良いものではありません。
でも、ぶっちゃけ私は不思議と腹が立たないのです。

それは「数字を作るため」の仕組みだと割り切る

なぜなら、それが一つの「テクニック」であることを知っているからです。

露出を稼ぐために、まずは分母となるフォロー数を伸ばしたい、とにかくフォロワーを増やさないとアクセスが上がらないから、片っ端からフォローして回ろう、と考えるわけですよ。

これ、私が同じ立場だったら、きっと同じことをするだろうなー、と思います。

そして、相手がフォローしてくれた頃を見計らって、しれっと自分のフォローだけ外して、「自分は全然フォローしなくても、勝手にファンがたくさん集まる人気クリエイターなんです」的な演出をしようとする、その気持ちもわかります。

ってか、そういう一方的にフォローしてもらえる状況って、高評価されるんですよ。

高評価されると、運営にえこひいきしてもらいやすくなるから、アクセスが増えたり、露出が稼げたりするわけです。

うん。
気持ちはわかるよ。
やりたくなるよねー。。。

ただ、そういう踏み台にされたクリエイターがどう思うか、ちゃんと考えた方がいいと思うの。

私はね。
片っ端からフォローするのはアリだと思うんだけど、自分だけしれっとフォローを外すのはナシ派。

せっかくのご縁になるかもしれないのに切っちゃうのはもったいないし、そもそも誰かが一生懸命作っているnoteを、土足で踏みつけるような無礼はやっちゃダメでしょ?

そういう意味で、私もあからさまに「一方的フォローを作るためにフォロー外しをしてくるアカウント」については、同じようにフォローを外すことはあります。

特に、1日の投稿数が多すぎてタイムラインが埋まってしまうような「マシンガン投稿」とフォロー外しがセットの場合は、心地よい距離感を保つために整理させていただくことも。

でも、それは怒りではなく、お互いの快適さのため、という感覚です。

見えないものにムキになっても、時間は戻ってこない

それと、フォロワーさんが1,000人を超えてくると、最新1000人以前のフォロワーさんの情報は見えなくなっちゃいます。システム上も物理的にも、全員の動向を把握するのは難しくなるんです。

手が出せないもの、コントロールできないことにムキになっても仕方がありません。

数字という「記号」に振り回されるより、今ここにある自分の文章に集中する方が、ずっと健やかでいられる気がするのです。

私のnoteは「リビング」ではなく「ストリート」

人によって、noteという場所の捉え方はさまざまです。

心の境界線をどこに引くか?

たとえば、noteを「自宅のリビング」みたいな、「四方を壁で囲まれた個室」のように感じている方もいらっしゃるでしょう。

小さな空間の中で、仲のいい人とだけ楽しく繋がれればそれでいいって考えるのね。

自分にとって居心地が良くて、仲のいい人だけお招きして、小さく濃いお付き合いをしたいよっていうケース。

そういうスペースに他人がずかずか上がり込んで、フォローしたり外したりして場を乱すのは気持ち悪いと思って当たり前。

noteが自分の大切なプライベート空間だと思うからこそ、見知らぬ人の出入りや、無作法な振る舞いに敏感になるのは、とても自然なことです。

出入り自由な場所だからこそ、出会えるご縁がある

一方で、私はnoteを「ストリート(街角)」のような場所だと思っています。

道ゆく人がふと足を止め、私の話を聞いてくれる感じ。
いつの間にか来て、気に入れば聞いてくれて、いつの間にか去っていく。
そんな「出入り自由」な空気感が、私には心地よいのです。

数字を作るためにところかまわずフォローしてくる人だって、もしかしたらそのやみくもなフォローがご縁で、いつか本当に仲良くなるかもしれません。

どこにきっかけが転がっているかわからないからこそ、あんまりムキになって門を閉ざしてしまうのは、もったいないなと感じるのです。

数字の向こう側にいる「本当に大切にしたい人」

多分ね、モヤモヤする原因って、フォロワーさんがみんな「平等な立ち位置」にいるから、なんじゃないかな???

露出稼ぎのため機械的にフォローしまくってくる人と、日々交流のあるフォロワーさんが立場的に「同じフォロワー」だから、モヤっとするのではないでしょうか。

同じなわけがないだろ、ってね。

で、日々交流のあるフォロワーさんの立場を守るために、機械的フォロワーさんを排除する、ってなっちゃう。

ここの考え方を逆にして、排除じゃなく囲い込みにしたらいいんじゃないかと思います。

フォロー外しの犯人探しではなく、「手を伸ばしてくれた人を、どう依怙贔屓(えこひいき)するか」ということ。

つまり、仲のいい人にVIP待遇を作ればいいじゃんって話。

マーケティングファネルってやつですよ。
他のフォロワーと区別したい特別なフォロワーさんには、特別なメンバーシップを用意するとかね。

心を通わせようとしてくれる人にこそ、限られた時間とエネルギーをたっぷり使いたいと思うのです。

去っていく人を追いかけるよりも、ふと立ち止まってくれた人に微笑みかける。そんなスタンスでいれば、SNSの数字に振り回されることはなくなります。

自由に出入りする人々の中で、「また来週も顔を見せてくれる人」が一人ずつ増えていったら。それは何物にも代えがたい、幸せなことだと思うのです。

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