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「日本人はどうしてこんなに馬鹿になったのか」司馬遼太郎:第3章-個の思想を持たぬ国民:文字起こし

 

 私はね、戦後の日本を見ていて、もう一つ深刻だと思うことがあります。

 それは、この国の人間が、「個としての思想」を持たないということです。

 日本では、昔から“出る杭は打たれる”と言われます。

 つまりね、自分の考えを貫く人間よりも、波風を立てない人間の方が好まれる。それは、ある意味で美徳なんです。

 調和を重んじ、周りを立てる。他人に迷惑をかけない。確かに、世界に誇る礼節です。

 しかし、それが行き過ぎると、人間は「自分で考える力」を失う。「坂の上の雲」を書いたときも、私は感じました。

 明治の人々には、貧しくとも確かな思想があった。「どうすれば日本が一人前の国になるか」それを真剣に考えていた。

 しかし、現代の日本人は、その“思想する力”をどこかに置き忘れてしまったように見える。

 学校では「考える」よりも「正解を出す」ことを教える。企業では、「創造する」よりも「手順を守る」ことが求められる。政治では、「信念」よりも「調整」が優先される。

 気がつけば、国全体が“正解を探す社会”になってしまった。だがね、人間というのは、正解よりも、信念で動く生き物なんです。

 思想とは、知識の量ではなく、「この世界をどう見つめ、どう生きるか」という視点のことだ。

 でもね、人間というのは、本来間違える生き物なんです。間違えながら、悩みながら、自分の思想を作っていく。それをやめてしまったら、もう“人”ではなく、“部品”になってしまう。私は歴史の中で何度も見てきました。

 強い国とは、軍事力や経済力で決まるものでない。“自分の頭で考える人間”がどれだけいるかで決まるんです。

 思想を持つというのは、難しいことではありません。自分の人生を自分の言葉で説明できるか。たったそれだけです。

 「なぜ働くのか」「なぜこの道を選んだのか」その問いに、自分の言葉で答えられない人間が増えている。それが、今の日本の最大の病なんです。

 そしてこの“思想の空白“を埋めているのが“空気”です。“空気”が思想の代わりになっている。みんなが同じ方向をむていれば安心だ。考えなくても生きていける。でも、それでは何も生まれない。

 「個の思想」とは、反抗ではない。人に迷惑をかけることでもない。ただ、自分の人生を自分で引き受ける覚悟のことなんです。

 坂本龍馬は、幕府にも薩長にも属さなかった。彼の思想は、「誰の下にもつかない」ことだった。それが彼を自由にし、この国を動かした。

 同じように、私たちも、どこかの組織や社会に頼るのではなく、自分の目で世界を見て、自分の足で立たねばならない。空気に流されるな。他人の正解を生きるな。自分の思想を持て。それがこの国の若い人たちに、どうしても伝えておきたいことです。

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