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映画『シラート』を観て——身体を揺さぶる体験と「気づき」のあいだ

『シラート』という映画を観ました。

「“シラート”とは、地獄と楽園を結ぶ橋であり、変容のための道です」

序盤からいきなりレイヴ音楽がすごい!

変性意識状態(あるいは眠り?)にいざなわれます。

衝撃的な作品で、後半は心臓に悪いシーンばかり。

観終わったあと、どっと肝が疲れました……。

正直、希望があるのかないのかも分からないまま終わり、「これ、感想を書けるかな」という状態でした。

ところが、帰りに監督のインタビュー記事を読んでびっくり。

なんとオリベル・ラシェ監督はゲシュタルト療法を学んでいて、この映画を一種の心理療法、サイケデリック療法、イニシエーションの道として捉えていると。

ゲシュタルト療法、サイケデリック、レイヴ、身体感覚、祈り、儀式、変容……。

ほとんど私の好奇心と似てるじゃない!

ただ、インタビューには、ゲシュタルト療法で中心となる「気づき(Awareness)」という言葉は出てこない。

監督が強調しているのは、理性的に理解することよりも、身体を揺さぶり、傷や感情、身体に刻まれた記憶を浮かび上がらせる体験のほう。

映画の後半、衝撃的な場面では、私は何度も「今ここ」に戻っていました。

私は砂漠の危険地帯にいるのではなく、安全な映画館の椅子に座っている。椅子に支えられ、足は床についている。その感覚を確かめながら観ていました。

観ている私の側では、Awarenessが起きていたのかもしれません。

ただ、強い衝撃やカタルシスが起きることと、気づきや統合が起きることは、必ずしも同じではないと思います。

これは「気づき」へ至るための体験なのか。それとも、カタルシスそのものを重視しているのか。その違いが気になりました。

ゲシュタルト療法では、ただ強烈に体験するだけではなく、「いま、ここで、自分に何が起きているのか」に気づき、それを自分の中に受け取っていく過程も大切にします。

『シラート』は、観客の身体や感情を激しく揺さぶります。けれど、その体験を消化するための対話や、安全に振り返る場までは用意してくれません。

だから私の中には、「この映画に希望はあったのか」「いったい何を見せられたのか」という、まだ言葉にならない感覚が残っています。映画によって、“未完了のゲシュタルト”を残されたような感覚です。

でも、すぐに答えを出さず、この消化しきれなさを身体に残しておくこと自体が、監督の仕掛けたワークなのかもしれません。

余計に消化するのが難しくなりましたが、それもまたゲシュタルト的な映画体験なのかも。

心臓の弱い方にはおすすめしませんが、スウェットロッジのような、身体感覚を使った祈りや儀式が好きな方はどうぞ。

以下は、監督インタビュー記事からの抜粋です。

ネタバレはなさそう(記事そのものにはネタバレあり)

オリバー・ラクセは、映画について語る時、まるで儀式について語るかのような口調になる。映画は、娯楽の場というよりは「神殿」に近い。ゲシュタルト心理療法、スーフィズムの神秘主義、レイヴ文化、そして映像が身体に及ぼす影響といった要素を、まるで謎めいた言葉で語りかける。彼は、映画を純粋に知的な体験ではなく、身体的な体験として捉えるという考えに、何度も立ち返る。この哲学が、ラクセの最新作であり、これまでで最も挑発的な作品である『シラート』を支えている。終末的な砂漠の風景と地下のレイヴを舞台にしたこの映画は、まるで試練のように展開し、観客を恍惚、悲しみ、そして疲労へと突き落とす。その結果は、観客を熱狂させるものとなった。『シラート』はカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞し、最近ではアカデミー賞国際長編映画賞にもノミネートされた。ラックス氏は、新作映画、映画が持つ癒しの可能性、そしてレイヴと映画の共通点について語るために、私たちと対談した。

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https://www.interviewmagazine.com/film/how-sirat-director-oliver-laxe-found-god-at-a-rave



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