続 Sounds of the World 第2回 ティナリウェン Tinariwen

マリ共和国は1960年にフランスから独立した。モーリタニア、アルジェリア、ニジェールとの国境が直線的なのは植民地行政の都合で区切られたからだ。その結果、南部のサバンナに暮らすバンバラ人(マンディング系定住農耕民)と、マリ北部のサハラに暮らすトゥアレグ(アマジグ系遊牧民)という異なる文化圏がひとつの国になった。
写真はマリのトゥアレグを代表するグループ、ティナリウェン(Tinariwen)。2005年9月2日に、SHIBUYA-AXでの初来日公演のときに撮影した。いちばん左が中心人物、歌とギターのイブラヒム(Ibrahim Ag Alhabib)。続いて、女性はコーラスのミーナ(Mina Walet Oumar)、アコースティック・ギターと歌のアブダラ(Abdallah Ag Alhousseyni)、ギターのエラガ(Elaga Ag Hamid)、パーカッションのサイード(Said Ag Ayad)、ベースのエヤドゥ(Eyadou Ag Leche)、いちばん右がギターと歌とダンスのハッサン(Hassan Ag Touhami)である。
イブラヒムは、マリ北部、キダル(Kidal)州のアルジェリア国境に近い村、テサリット(Tessalit)で1960年に生まれた。
マリ北部のトゥアレグの歴史は、バンバラ人が主体のマリ政府からの弾圧に対する戦いの連続だった。
62年から64年にかけて第1次トゥアレグ抵抗運動が勃発して、イブラヒムの父は63年の反乱のときに殺された。そのときのことは、ティナリウェンの『Aman Iman: Water Is Life』(2007年)に収録されているイブラヒムが作った曲<Soixante Trois>で歌われている。
キダルはマリ政府軍に制圧され、子供だったイブラヒムは、残された家族と共にアルジェリアに逃れ、ボルジ・バッジ・モクタール(Bordj Badji Mokhtar)の近くの難民キャンプでの生活を経て、アルジェリア南部の中心の町タマンラセット周辺の砂漠で育った。
トゥアレグは、本来は遊牧民だが、イブラヒムは生活していくために子供の頃からさまざまな仕事をした。そして79年に初めてアコースティック・ギターを手に入れた。
その翌年、80年にリビアのカダフィ大佐がトゥアレグの若い人を受け入れて軍事教練をするという話が伝わり、イブラヒムはリビアに渡った。
80年代はアルジェリア南部とリビアを何度か行き来した。ティナリウェンのメンバーでは、ハッサン、アブダラらもリビアに行っている。イブラヒムらはこの時代に、トゥアレグの抵抗運動にまつわる多くの曲を作ってカセットに録音した。そのカセットがコピーされ、さらにコピーされ、トゥアレグの社会に伝わっていった。
イブラヒムが故郷マリのテサリットを訪ねたのは89年。じつに26年ぶりだった。90年から再びトゥアレグの抵抗運動が始まり、91年にマリ政府とトゥアレグとの間でタマンラセット協定(Accords de Tamanrasset en 1991)という停戦協定が結ばれたが、再びマリ政府による弾圧とトゥアレグの抵抗運動が始まった。
ティナリウェンに初めて接触したヨーロッパの音楽関係者は、フランスのワールド・ミュージックを奏でるグループ、ロジョ(Lo'Jo)で、98年にマリの首都バマコ訪ねたとき。それがきっかけとなり、ティナリウェンは、99年に初めてヨーロッパで演奏した。01年に、ジャスティン・アダムス(Justin Adams)とジャン=ポール・ロマン(Jean-Paul Romann)のプロデュースにより、トゥアレグの言語、タマシェクによる放送を行なっているキダルのラジオ局でレコーディングした『The Radio Tisdas Sessions』で世界デビュー。同年にヨーロッパの音楽フェス、WOMAD、ロスキルドなどに出演して注目された。
ティナリウェンの音楽は、外国では「砂漠のブルース(Desert Blues)」と呼ばれ、砂漠の民のエキゾチックな音楽として人気を掴んだ。タマシェクで歌われるその音楽は異国情緒が溢れている。しかしその聴き心地の良さとは裏腹に、60年代から続いているマリ政府によるトゥアレグ弾圧に対するレベル・ミュージックを一貫して奏で続けているのだ。アソウフ(Assouf)という郷愁のような感覚に乗せて、砂漠での生活やトゥアレグの反乱について歌っている。穏やかな曲調でありながら、レゲエやヒップホップやアフロビートよりも実際の抵抗運動と密接しているプロテストソングなのである。
2012年1月からマリ北部紛争が始まった。このときトゥアレグの抵抗運動は、MNLA(アザワド解放民族運動 Mouvement National de Liberation de l'Azawad)が牽引していて、マリ北部の主要都市、キダル、トンブクトゥ、ガオを支配下に置き、12年4月に、アザワド(Azawad タマシェクでマリ北部のこと)の独立宣言を行なった。そこに、アラブ人が主体のAQIM(イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ Al-Qaeda in the Islamic Maghreb)および彼らと共闘したトゥアレグが主体の過激派アンサル・ディーン(Ansar Dine)が割って入り、三つ巴の戦いになった。そして残念ながら、12年7月に、マリ北部、アザワドの主要都市をAQIMとアンサル・ディーンが掌握してMNLAは敗走した。12年7月26日にUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が発表したレポートによれば、マリ北部からの難民は25万人、国内避難民は16万人に達した。その8割がトゥアレグだ。12年8月には、アンサル・ディーンが不倫カップルを石打で処刑したとか、宗教音楽以外のすべての音楽を禁止したというニュースが伝わってきた。マリ北部は、AQIM、アンサル・ディーンに加えて、AQIMの分派、MOJWA(西アフリカ統一聖戦運動 Movement for Oneness and Jihad in West Africa)が支配する無政府状態となった。
『Emmaar』(2014年)に収録された<Toumast Tincha>は、エヤドゥが作った曲で、12年のアザワド独立宣言後の混乱のなか「先祖から受け継いだ尊厳と精神の美しさに基づく自信はどこへ行ったのか」と歌う抵抗のアンセムとなっている。
23年11月15日にマリ政府軍とロシアの民間軍事会社ワグネルがキダルに入ってきて制圧したというニュースが流れてきた。その直後にモロッコのカサブランカで予定されていたティナリウェンのコンサートは中止になったが、23年12月6日に渋谷クラブクアトロで予定されていた4度めの来日公演は無事開催された。その前に、滞在先のホテルでアブダラに話を聞いた。
「キダルで戦闘がありました。そのときパーカッションのサイードがキダルに滞在していたので、バマコまで危険で移動できなかったのです。テサリットにいたギターのエラガと私(アブダラ)も移動できませんでした。トゥアレグの戦士たち、MNLAからの流れを汲むCMA(アザワド運動連合 Coordination des mouvements de l’Azawad)はマリ政府軍と戦っていますが、マリ政府軍の側で戦うロシアのワグネルが入ってきて、ドローンを使ってマーケットに爆弾を落としました。それで住民(主にトゥアレグ)はみんな、ブッシュとかアルジェリア国境のほうに逃げ出した」のだという。
26年4月25日、AQIM、アンサル・ディーンなどが合流したサラフィスト(ジハード主義のイスラム過激派)の組織、JNIM(イスラム教及びイスラム教徒の守護者 Jama'at Nasr al-Islam wal Muslimin)と、CMAの後継組織、FLA(アザワド解放戦線 Front de Libération de l’Azawad)が共闘してマリ全土で大規模な同時多発攻撃を実施した。このときワグネルの後継組織、ロシアのアフリカ部隊(Africa Corps)にも打撃を与えた。
ティナリウェンの最新作『Hoggar』(2026年)に収録されている<Aba Malik>は、アブダラが作った曲で、アフリカ部隊の残虐行為、村の焼き払い、動物の虐殺、レイプ、拷問、ドローン攻撃などを糾弾して、マリ軍の過去のトゥアレグ弾圧と重ねて描いている。
