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コーヒーが苦手だったのに、京都で珈琲専門店巡りをするほど珈琲党になってしまった「せつない訳」とは

 京都でカフェ巡りをするのが好きです。
イノダコーヒ、スマート珈琲店、六曜社珈琲店、小川珈琲、市川屋珈琲、喫茶葦
島、ELEPHANT FACTORY COFFEE、カフェ デ コラソン・・・。
 一日に、3軒、4軒とはしごすることも珍しくありません。
 和洋問わず、「甘いもん」を食べるのも目的の一つですが、コーヒーが好きな
ので珈琲専門店で、その店のこだわりの「味」と「香り」、そして店の雰囲気に
ひたって時を過ごすのが何よりの幸せです。
 実は、50歳を過ぎるころまで、コーヒーが苦手でした。
 それが、「ある時」を境にして、飲むようになり、やがて生活に欠かせないほ
ど好きになってしまいました。
それには、ちょっと「せつない訳」があります。
その話を新刊「明日は必ず虹が出る」(PHP研究所)に書きました。

ここに転載させていだきます。
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       「悩みに悩んで寄り添った」

たった一曲ですが、ピアノが弾けます。片手ではありません。それも中級レベル
の編曲で、聴いた誰もが拍手してくれます。
 なぜ、弾けるようになったのかを語る前に、この話をしなくてはなりません。
 私は飲み物と言えば紅茶党でした。そうでなければ緑茶かほうじ茶。コーヒー
は苦手でした。ところが結婚した相手はコーヒーが大好きで、日に5杯も6杯も
飲みました。家庭だけでなく、旅先で休憩するときにも別々の飲み物を注文しま
した。
 そのカミさんが、がんになりました。「何も治療しない場合は……」と余命宣
告を受けました。
 少しでも長生きしてほしい。半ば頼み込むような形で、抗がん剤治療を受ける
ことになりました。その副作用は、聞いていたものよりも遥かに厳しく、どう寄
り添っていいのかわからず悩み苦しみました。
 少しでも笑顔で向き合いたくて話し掛けます。
「このドラマ面白そうだよ、一緒に観ようか」
「梅が咲いたから公園まで散歩に行こう」
「食べられるものがあったら、何でも買ってくるよ」
 など。体調の波が激しく、もっとも芳しくないときには、「うるさいわ!」と
怒鳴られました。
 そんななかでも、コーヒーだけは別。薬の副作用で味覚を失くしたときでさえ
も、カミさんはお気に入りの豆を自分で淹れて飲んでいました。
 ある日、カミさんに頼みました。
「僕のも淹れてくれる?」
「ほんとに?」
「試しに」
 ものすごく嬉しそうな顔をしました。そして、向かい合ってコーヒーを飲みま
した。その後、「淹れ方教えくれる?」と言うと、もっと笑顔になりました。コ
ーヒーメーカーの使い方を教えてもらい、毎日一緒に飲むようになりました。気
づくと私も、すっかりコーヒー党になっていました。
 もっともっと寄り添いたいと考えました。
 カミさんは病気になるまで自宅でピアノ教室を開いていました。
「もしもピアノが弾けたなら」と誰もが思うものです。結婚した当初、「ピアノ
を教えてあげようか」と言われましたが、その場で断りました。もし、カミさん
にピアノを習ったら、「先生」と呼ぶことになり、一生頭が上がらなくなるに違
いないと思ったからでした。
 治療の効果が現れ、いっとき寛解状態になったとき、思い切って頼みました。
「弾きたい曲があるんだけど、教えてくれないかな」
 それは「ヘイ・ジュード」、ビートルズの名曲です。二つ返事で、
「いいわよ」
 と言ってくれました。
 カミさんは市販の楽譜に手を加えて私に渡してくれました。その日からレッス
ンが始まりました。最初は、左手の伴奏から。毎日、2、3小節くらいずつ進み
ます。
 今度は右手のメロディ。1カ月くらいして初めて両手を一緒に弾きました。
「暗譜しないでちゃんと譜面を見て!」
「テンポが速いわよ」
「拍数が違う」
 などと指摘を受け、繰り返し繰り返し弾きます。
 私はひどく後悔しました。習い始めたことを、ではありません。どうしてもっ
と早く習わなかったのかと。とにかく教えるのがうまい。厳しいのは当然です
が、3カ月で弾けるようになってしまったのです。
 その間、私はとても幸せでした。間違いなく二人してピアノの前に座っている
間、同じ時間を音楽を通して共有できたからです。
 今も「ヘイ・ジュード」を聴くと、幸せと切なさが同時に胸に押し寄せます。


 「エスプレッソ珈琲 吉田屋」さん。   先斗町をはじめとして花街の芸舞妓さんや、芸能人にも愛されている珈琲専 門店。店内には、中村勘九郎(故・十八代目勘三郎)、松本幸四郎さんなど 大物役者のサイン色がたくさん貼られています。

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