四字熟語『悶々浮々』。好きなことだけをして生きて行くのが、こんなにも苦しいものだとは思わなかった
ご存じですか。
「悶々浮々」
四字熟語です。
でも、辞書を引いても載っていません。
なぜなら、私の作った新四字熟語だからです。
「悶々」とは、悩み事を心の中に抱え込んで苦しむ様。
「門」の中に「心」がある、この「悶」という漢字を考えた人は、本当にす
ごいなあ、と思います。
「浮々」は、落ち着かないほど楽しくて心が弾む様子。
この二つは、相反するもの。
ところが、私の日常では、常に同居しています。
原稿を書いている時、口癖のように唱えているのです。
その理由を説明するは、23年前の出来事に遡らなくてはなりません。
2003年7月。
私の人生を変える本に巡り合いました。
本田健さんの「ユダヤ人大富豪の教え」(大和書房)です。
そこには、
好きなことを仕事にしてお金を稼ぐこと。
それこそが幸せな人生を歩む方法だと綴られていました。
当時、私はサラリーマンをしていました。
数年前には、上司のパワハラに遭い生死を彷徨うほどの病に倒れ、退院後、通院しながら「この先、どうやって生きて行ったらいいんだろう」と悩んでいました。
好きなことをして生きる。
そんな調子のいいことができるのか。
病気をする前の私なら、
「そんな調子のいいことできる訳がない。仕事は我慢の積み重ね。辛抱するから、お金がもらえるんだ」
と、笑い飛ばしていたことでしょう。
でも、一歩間違えば死んでいたかもしれない。
再び、社会に復帰できたのはラッキーとしか言えない。
せっかく神様に救っていただいた命を、嫌なことをして過ごしていいのだろうか。
そんなことをモヤモヤと胸の中でくずぶらせていた中で、
「好きなことをして生きる」
という命題を目の前に突き付けられたのでした。
「小説家になりたい」
「好きな小説を書いて生きていきたい」
そう強く願いました。
でも、そこからの道は、実に険しいものがありました。
紆余曲折。
試行錯誤。
悪戦苦闘。
七転八倒。
艱難辛苦。
そして、ついに、還暦の歳に、
「京都祇園もも吉庵のあまから帖」で、小説デビューを果たしたのでした。
(それまでにも、自己啓発やビジネス小説は何冊も書いていましたが、目標としていた文芸ジャンルではないのでカウントしていませんでした)
ところが、です。
夢にまで見た小説家を名乗ることが、こんなにも辛いものだとは思いもしませんでした。
「書く」ことは好きです。
でも、書き始めるまでの「構想」の段階のどれほど長くてしんどいことか。
私の場合、朝ごはんを食べると、馴染みのカフェに出勤(?)します。
いつもの席に座り、大学ノートを広げて4色ボールペンを片手に、じっと妄
想を始めます。
でもなかなかアイデアは浮かびません。
ひねってもひねっても、出ない時には出ない。
カフェのママさんとおしゃべりしたり、スマホをいじったり、席はそのままにして近所を散歩に出掛けたり、小説や漫画を読んだり。
それでも、アイデアが出ない。
どうもそういう時、知らず知らず寝言のようなことを口にしているらしいです。
それが高じると、
「あ~」
とか、
「くそ!」
と大声を出す。
テーブルを叩いたり、壁に頭を打ち付けることも・・・。
夜は、よく夢でうなされます。
どうも熟睡できていないらしい。
寝ている時には、無意識にずっと考えているのです。
テレビや動画を見ていても、小説や漫画を読んでいても、
常に「いいアイデアはないか」と考えています。
家中に、メモをするためのポストイットとボールペンが置いてあります。
車の中にも、カバンの中にも。
なんでこんなに苦しい思いをしなくちゃいけなんだ!
あれ?
ちょっと待てよ。
俺は、好きで小説を書いているんじゃなかったのか?
それなのに、なんでこんなに苦しいんだよ。
あ~悶々とする。
こんな話を友人にすると、こう言われました。
「でも、悶々とした後に、アイデアが出た時とか、いい作品が書けた時には、ウキウキするんじゃないか?」
たしかに、アイデアが出た時には、めちゃくちゃ嬉しい。
一冊書き上げた時には、ほっとします。
でも、でも、違うのです。
「悶々」と「浮々」は、分離していないのです。
常に胸の中で、同居している。
苦しみの「悶々」。
喜びの「浮々」。
この二つは、別の存在ではなく、24時間365日、交じり合って一体化しているのです。
「好き」だから「書く」。
だから、「楽しい」。
でも、「苦しい」。
小説に向き合う自分は、いつも「悶々浮々」なのだと気づいたところから、
この四字熟語が生まれました。
ということで、アイデアを綴る大学ノートの表紙には、この言葉を書いて心が負けそうになった時に、自分を励ますようにしています。

