「悔しいから頑張る」のは、もっと悔しくなります
「どうせ、また辞めるんでしょ?」
30社以上転職してきたので、面接では何度か似たようなことを言われました。採用する側からしたら、そりゃそうです。オノが面接官でも、
「また辞めるんじゃないの?」と思うはずです。
分かる。めちゃくちゃ分かる。でも、図星を言われると悔しいんですよね。
自分でそういう職歴をつくってきたことも分かっている。面接官が意地悪で言っているわけじゃないことも分かっていました。それでも、
「くっそー、もっといい会社に就職してやる」となっていました。
「見てろよ」
「絶対ひっくり返してやる」
「すぐ辞めるって言ったこと、後悔させてやる」
中学生みたいな思考ですが、本当にそんな感じでした。そして、こういうときの就職活動は、だいたい雑になります。
自分はどう働きたいのか。
何を大事にしたいのか。
どんな場所なら、自分は無理なく働けるのか。
そういうことを見る前に、
「とにかく採用されてやる」
になってしまう。
結果、手当たり次第に応募していました。今振り返ると、仕事を探していたというより、言われたことを否定できる場所を探していたのだと思います。
書道教室でも、同じことをしていました
書道教室を始めたときも、似たことがありました。
ある人から、「書道って、単価とか人口とか少ないから、ビジネスとして成り立つ気がしないんだけど?」と言われたんです。今なら、かなり冷静な指摘だったと思います。
市場規模。
客単価。
集客。
継続率。
考えなければいけないことは、たくさんありました。でも当時のオノは、
「いやいや、そんなことないですよ」
「ちゃんと成り立ちますって!」
と、ムキになって応戦していました。
で、結果。はい。言われた通りになりました。く〜〜、悔しい。
「なんでうまくいかなかったんだ」
「あの人に言われた通りになったじゃないか」
さらに悔しくなりました。
でも今振り返ると、うまくいかなかったこと以上に気になることがあります。途中から、何のために書道教室をやるのかが変わっていたことです。
もともとは、
「書くことが楽しくなる教室をつくりたい」
「字をきれいにするだけじゃなく、書く時間そのものを楽しんでほしい」
だったはず。でも、いつの間にか、
「うまくいかないと言った人を見返したい」が混ざってきた。
届けたいものより、証明したいことの方が大きくなっていたのです。
悔しさに、ハンドルを渡していました
悔しさは、動く力になります。
「見返してやる」
「絶対負けたくない」
「できないと言ったことを後悔させたい」
そう思ったから頑張れた、という人もいると思います。だから、悔しさ自体が悪いとは思いません。オノ自身も、悔しさがあったから動けたことは何度もあります。
ただ、問題は、
その悔しさにハンドルまで渡してしまうこと。
です。
本当は、
「自分はどう働きたいのか」を考えたかったのに、「すぐ辞めると言った人を見返したい」になる。
本当は、
「どんな書道教室をつくりたいのか」を考えたかったのに、「書道はビジネスにならないと言った人を見返したい」になる。
動いているのは自分です。でも、行き先を決めているのは、ずっと誰かの言葉だったんです。
これでは、自分の人生を進んでいるようで、
誰かへの反論を続けているだけになってしまいます。それに気づいたのは、ずっと後になってからでした。
見返したあと、自分はどこに行きたいのか
悔しさで頑張ると、
「言われたことを否定する」ことがゴールになりやすいです。
「どうせすぐ辞める」と言われたら、辞めない自分を証明しようとする。
「書道は商売にならない」と言われたら、商売になることを証明しようとする。
でも、仮にそれができたとして、
その先、自分はどこに行きたいんだろう。
ここが抜けていました。
誰かを見返せたら、自分は満足なのか。誰かに「間違っていたよ。ごめん。」と言わせたら、自分はやりたいことをやれているのか。自分の行き先がわかっていたら、誰かの言葉に全部持っていかれることが少なくなると思うんです。
だから今は、そこを先に見るようになって、振り回されることがかなり減りました。
その人がいなくても、まだそれをやりたいか
もし今、
「あの人を見返したい」
「言われた通りになりたくない」
「絶対に負けたくない」
という気持ちで頑張っているなら、悔しさを無理に消す必要はないと思います。悔しいものは、悔しいんです。ただ、そのまま走る前に、一度だけ聞いてみてほしいです。
その人がいなくても、まだそれをやりたいか。
否定してきた人がいなくても。
比べている相手がいなくても。
誰にも証明しなくてよくても。
それでもやりたいなら、たぶんそこには自分の気持ちが残っています。反対に、その人がいなくなった瞬間、
「別にやらなくてもいいかな」
となるなら、もしかすると自分が行きたい方向ではなく、誰かへの反論を続けていたのかもしれません。
オノは長い間、悔しさを原動力にしてきましたし、動く力にはなりました。でも、ハンドルまで渡してしまったことで、何度も自分の行きたい方向を見失いました。
だから今は、
「見返したいか」より、「自分はどうしたいか」
そっちを先に確認するようにしています。悔しさは、動き始めるきっかけにはなる。でも、自分の行き先まで決めてもらわなくていい。その人がいなくてもやりたいものを、自分で選べた方がいいと思っています。
何かひとつでもきっかけになったら、スキで教えてもらえるとうれしいです
おの✏️
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