エッセイのための日常か、日常のためのエッセイか
今年の10月25日に「note創作大賞」の発表が行われていたことは知っていたのだが、あんまり結果を詳しく見てなかった。自分は期間中に書いたエッセイ数本に「一応ハッシュタグをつけておくか」程度に参加したのだが、かすりもせず終わった。発表時にXで「めちゃくちゃ気合い入れたのにダメだった…」と非常に落胆している人も見たが、倍率がとんでもないことになっているので大半の人がこうなるのだ。合掌。
正直こういうものの受賞作は理屈ではない。何か条件を満たしていたから受賞できました、という単純なものではない、と理解はしている。
ただそんな中でもやはりこれは必要ではないか、というポイントは感じる。
考えられるものとしては「エピソード自体が強い」「文章のセンスがすごい」「人間が感じられる」といったところで、エッセイでは特に3つ目が重要ではないかと思う。
エッセイの受賞作を読んでみたが、その人の人生が見えるようなものがあった。やはりその人でないと書けないものを見たい、という需要があるのだろう。
なお「エピソード自体の強さ」というのは、その人の運もあるし、そうでなければ莫大な時間や金をかけていることが多い。受賞作である、星野リゾートに300万円つぎ込む人などその典型だろう。もしくはバックグラウンドが既に特異な場合。例えば父がイタリア人で母がドイツ人だけど祖母は日本人、みたいなプロフィールがあったらその生活だけで引きがありそうだ。また一般的にすごく珍しい職業についているとか、世界を飛び回っているとか。「南米でロケコーディネーターをやっていた時に藤岡弘探検隊を案内したことがありまして…」とか言われたら気になるし。まあここまでくるとエピソードの強さなのか人間の部分なのかがわからなくなってくるが。
オモコロというサイトではよく様々な実験企画をやっていて記事にしているが、まさにこれこそ「エピソード自体が強い」例だと思う。洋服屋に行って声を掛けられる前に買ってきた服でコーディネート対決とか、ウォータースライダーで滑っている間に着替えるとか、思いつくこと自体もすごいが、それを実行するのがまたすごい。ウォータースライダーの記事はとにかく笑えるのでおすすめ。
これはこれで創作大賞とは別の方向性かもしれないが、今回の受賞作の一つでは「結婚のあいさつ」という人生においてなかなかの重大イベントのことを書かれていて、やはりエピソード自体の強さは必要だと改めて感じた次第である。ちなみにもちろん文章も面白かった。揚げ物を大量に作る実家の風景を「蟹工船」と表すなどセンスも素晴らしい。そしてやはりその人自体の家庭の歴史や人間性も見える。
ただこの「人間が見える」という部分、なかなか狙っては出しにくいというか、「こんなあったかみがありまっせ」みたいに作為的だと結構バレてくるような気はする。その人が思ってもいないことをさも発生した感情のように書いたり、家族のウソエピソードなんかを挟んでたら多分プロの人にはすぐ分かってしまうのじゃないかと思う。とはいえそこが薄っぺらいと引っかかりもしないわけで、なかなか難しい。
ラジオパーソナリティが、何かトークをするためにどこかへ出かけたりイベントに参加したり、というのと似ている。あれも結構「トークのネタにするぞ」と意気込んでいくと意外と何も面白いことが起こらなかったりする、とパーソナリティが話しているのを聞いたことがある。このあたり、リアルなのに邪念が入ることでリアルじゃなくなるのだろうか。何もなかった、ダメだったと思って家に帰っていたらその帰路で変な人に会い…と転がっていったりするのはそれがリアルだからだろう。
ただ星野リゾートやオモコロの例は「人間」的な部分はともかくとしてとにかくエピソードの強さですべてをカバーできる気がする。「リアルじゃないとダメなら、日常に面白いことが起こってなかったらそもそも勝てないじゃん!」と思う人はそっちの方向に舵を切るしかないだろう。ウソエピソードよりはマシである。
と、言いつついまネットとかで話題になるエピソードとか見てると「いやこれウソだろ…」と思うのも結構あるけどね。
あと何かやらかした後すぐ写真撮ってるのも違和感である。床に失敗した料理ぶちまけて「やらかした……」みたいな写真見ると「普通写真撮る前に片付けようとするもんではないのか」と思ってしまう。まあそれくらい写真アップするのが日常に結びついてる人なんかもしれんがね。知らんけど。
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