見出し画像

時を重ねるタオルケットに包まれて

私はタオルケットが好きだ。
この一言に尽きるのだけれど、その理由を説明しようとすると、意外と奥行きがあることに気づく。タオルケットはただの布ではなく、季節をまたいで日々に寄り添ってくれる、静かな相棒のような存在だ。

新品のタオルケットは、とにかく手触りがいい。すべすべとしていて、触れるたびに少しだけ背筋が伸びるような清らかさがある。しかし、使い込むほどに繊維は少しずつクセを帯び、やがてその人だけの「風合い」に変わっていく。一般的には“劣化”と呼ばれるのかもしれないけれど、私にとってはむしろ、そこに時間が積み上がっていく感じがして愛おしい。

寝る前にタオルケットを首まわりにそっと巻きつけると、ほんのわずかな重みが肩の力を抜いてくれる。柔らかな刺激が肌を包み、それだけで呼吸がゆっくりになる。安心というのは、こういう小さな手触りの中に宿るものなのだと、毎晩のように思う。

そんな自分をふと俯瞰すると、『ピーナッツ』のライナスが頭をよぎる。子どものころは、彼が毛布を抱え歩く姿を「ちょっと過保護すぎでは?」と思っていた。でも今は分かる。あれはただの習慣ではなく、安心の源を手放さないという、彼なりの健気な努力だったのだろう。大人になった私がタオルケットを首に巻いてほっとしているのも、案外それと同じなのかもしれない。

使い込んだタオルケットに頬を寄せると、少しゴワついた繊維に、これまで一緒に過ごした季節の記憶が重なってくる。暑い夏の夜も、寒さが沁みる冬の朝も、黙って寄り添ってくれた布。そこにある時間の堆積を感じると、ただの寝具以上の存在に思えてくる。

タオルケットは、年数を重ねるほど魅力が増す珍しいアイテムだ。新品の“清らかさ”と、使い込んだ“深み”。どちらも魅力的で、どちらも欠けがたい。
今日もまた、そのタオルケットを首に巻き、静かな夜へと沈んでいく。
自分でも少し可笑しく思いながら、やっぱり私はタオルケットが好きだとあらためて思う。

いいなと思ったら応援しよう!

mografm よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!